静岡県沼津市。僕はこの街で生まれ育ち、高校卒業後、約20年という長いブランクを経て沼津に戻り、2023年9月に「リバーブックス」という小さな本屋を始めた。会社員生活を続ける未来を信じて疑わなかった自分がなぜ沼津で本屋をやっているのか。そのいきさつを話したいと思う。
沼津という街
沼津市は静岡県の東部の都市で、伊豆半島の付け根に位置する街だ。人口は約18万人で静岡県では4番目に多い。日本一の深海湾である駿河湾に面し、背後には富士山がそびえ、街の中心には狩野川という大きな川が流れていて、海・山・川が全部揃ったロケーションが自慢でもある。
自然が豊かなので当然食べ物もおいしく、魚介類や果物はもちろん、お茶やお米、地酒にクラフトビールと、要はなんでも美味しい。
そして、近年の沼津といえばアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の舞台である聖地として、街を挙げてラブライブ!を応援していることで有名だ。
東京から新幹線を使えば1時間ちょっとで来れるため、日帰り旅行はもちろん、近年は首都圏のリモートワーク中心の企業に勤めながら沼津に移住する人たちも増えている。かくいう僕も、沼津に戻ってから7年間は東京の会社に新幹線通勤していた。ほどよく田舎でほどよく都会、そのバランスが絶妙によい街なのだ。

本好きゆえにこじらせた青春
小さな頃から本が身近にあった。物心ついてから本を読むのが好きで、一日中部屋で本を読んでいるような子どもだった。近所に市立図書館の小さな分館があり、毎週通って一週間分の本を借りてきて、絵本、歴史マンガ、小説、なんでも読んだ。本を通じて新しい知識を得る楽しさに満ちた生活だった。
中学になると、図書館では飽き足らず、本屋に通ってコロコロコミック、少年ジャンプなどのマンガ雑誌にも手を伸ばした。高校生になる頃にはPOPEYE、ホットドッグ・プレスなどの情報誌を買って都会のキラキラしたライフスタイルをこれでもかと浴びまくるようになる。当時は90年代でネットもスマホもなく、雑誌の全盛期。雑誌に載っている情報が最先端で、最先端は正義だった。そして気づいた。沼津には何もない、と。

本をよく読む少年少女にありがちな知識超先行型で、日々自意識が肥大していく。いわゆる頭でっかちだった僕は、勝手に沼津に悲観し、ひたすら都会に憧れた。思春期の一大テーマである「とにかくモテたい」という願望とは裏腹に、現実の僕は田舎の垢抜けない高校生で、しかも汗臭い剣道部で、毎日ローカル線に乗って2時間かけて通学する、モテとは全く縁のない日々だった。
POPEYEに登場する東京のおしゃれ高校生に対して怨念に近い羨望をこじらせた当時の僕は、なぜかすべてを沼津のせいにした。狩野川の穏やかな流れも、スーパーで買える鮮魚の美味しさも、学校帰りに見る夕日を浴びて赤く輝く富士山の美しさも、当たり前すぎて僕の眼には入ってこなかったのだ。
(この辺りの気持ちについては同じく沼津出身の歌人・エッセイスト上坂あゆ美さんの記事をぜひ読んでほしい。僕は共感しかない)
沼津に戻ってきたらコロナ禍がはじまったけど、地元最高!と気づく
“東京に行けば全てが解決する”そう信じて疑わなかった僕は、念願叶って上京を果たし、東京生活を謳歌しまくった。本は相変わらず好きだったので、大学では雑誌をつくる出版サークルに入って本づくりの楽しさを知り、自ずと出版社を志望した結果、旅行雑誌を作る会社に入った。
ありがたいことに会社は僕に幅広い仕事を経験させてくれた。編集部、書店営業、企業広報、自治体との地域活性事業など、全国各地を取材や出張で訪れ、なかなか行けない場所や会えない人やおいしい食にたくさん出会い、地方の魅力を肌で感じる日々を過ごした。
たぶん、17歳の頃の自分の願望は、ほぼ叶えられたんだろう。徐々に東京へのこだわりも薄れていた頃、転勤で4年間名古屋で暮らしたのをきっかけに、東京に帰任するタイミングで20年ぶりに沼津に戻ってきた。平日は新幹線で東京へ通勤し、週末は沼津で過ごす生活。その矢先に始まったのがコロナ禍だった。
仕事がフルリモートになり、沼津にいる時間が突然増えた。家に篭っていると仕事が捗らないので、時々、沼津駅近くのコワーキングスペースで仕事をするようになった。
ランチや休憩時に、沼津の街を散歩するようになり、仲見世商店街や狩野川、沼津港といった沼津らしいスポットにも大人になってから久しぶりに訪れた。コロナ禍で人は少なかったものの、まだまだ元気な商店街に美しい自然、おいしい魚に感激した。かつて何もないと思っていた沼津は、キラキラした宝石があちこちに転がっているような、最高な街だった。

沼津で本屋を始めたい
もちろん良いことばかりではなかった。
コロナ禍に、沼津では書店の閉店が相次いだ。「マルサン書店仲見世店」という沼津の中心部のランドマークだった書店が閉店し、沼津駅の南側には本屋がなくなってしまった。僕は10年ほど出版社で営業をやっていたので、書店の減少には慣れていたものの(慣れたくないけど)、小さな頃から通っていたマルサン書店仲見世店の閉店には少なからずショックを受けた。
でも。同時に思った。もしかしたら、沼津で本屋を始めたらそこそこいけるんじゃないだろうか……。

本屋を始める。大それたアイデアなのはわかっていた。本は利幅がとても小さく、儲かる商売ではない。出版社勤めで業界の構造もよくわかっているだけに、現実的ではないと思った。
でも。名古屋時代に大好きだった本屋「ON READING」は、たくさんのお客さんで賑わっていた。確かな選書で魅力的な本を揃え、ギャラリーを併設して展覧会を切れ目なく開催し、全国からも注目を集めるON READINGのような本屋は“独立系書店”と呼ばれ、苦境のさなかにある書店業界とは少し違う次元で存在していた。あんな本屋を沼津でできたら。妄想は日に日に大きくなっていった。
忘れもしない2022年12月の暮れ、仕事を終えて沼津駅前の地下道を歩いていたら、1枚のポスターが目に入った。沼津市が主催する「空き店舗活用のコンペ」の募集だった。最優秀賞には半年間の家賃無料特典と、賞金10万円がもらえるという。
これだ!と思ったが、応募の締切はなんと翌日。すぐに家に帰り、一晩で一気に本屋をつくる企画書を書き上げて送信した。企画書には店名も書いた。リバーブックス。沼津のシンボルである狩野川にちなみつつ、僕の苗字“江本”の英訳にもかけている。実は妄想時に店名まで決めていたのだ。
年が明けて2023年の2月にコンペが開かれ、僕は最優秀賞に選ばれた。沼津駅から徒歩10分にある築70年ほどの小さな建物で、本屋を開くことが決まった。告知ポスターを見つけてからわずか2ヶ月。妄想は突然現実になった。

沼津のクラフトビールが飲める本屋
沼津で本屋を始めることになったものの、決まっているのは新刊書店をやること、ギャラリーを併設することだけだった。先述の通り、書店は利幅が少ない。当面は会社員を続けながら副業で週末営業の本屋にするつもりだった。
とはいえ、普通の本屋では多分うまくいかない。人口比率から考えて、沼津市外からもお客様に来ていただかないと、商売としては厳しいと思った。それには遠くからでも行きたくなる特色が必要なんじゃないか。
あれこれ考えているうちにすっかりコロナ禍も明けて、店になる建物を改装している最中に、近所にあるクラフトビールのブルワリー「沼津クラフト」のヒロキくんと出会った。聞けば、偶然僕の本屋の裏に住んでいるとのこと。意気投合して話しているうちに、本屋でクラフトビールが飲めたら良いなと思いついた。沼津は水に恵まれ、クラフトビールづくりが盛んな街だ。地元のビールが飲めたら、本屋に観光の要素も取り入れられるだろう。ヒロキくんに相談したら、設備さえあれば可能だという。
ちょうど同じ頃、大好きだった沼津の居酒屋さんのご主人が急逝され、閉店してしまった。お母さんに相談してみると、お店で使っていた業務用のビールサーバーを譲っていただけることになった。思いつきのパズルのピースが信じられないくらい次々に組み合わさって、リバーブックスではクラフトビールを出すことになった。
ビールサーバーの搬入は、ヒロキくんと、近所で音楽スタジオ「スタジオ二音」をやっているマサオさんが手伝ってくれた。いろんな人の力を借りて、リバーブックスの準備は進んでいった。

リバーブックスにビールサーバーがやってきた日。ヒロキくん(左)、マサオさん(右)
外から来た人が沼津を激推ししてくれる理由
リバーブックスの開業準備と並行して、僕は出版社の社員として沼津の仕事に取り組んでいた。
沼津が舞台のアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の聖地巡り専用ガイドブックの制作だ。
実はコロナ禍に沼津の魅力に気づいた大きなきっかけが、『ラブライブ!サンシャイン!!』にハマったことだった。ストーリーが優れていることはもちろんだが、作中で沼津の街並みが非常に緻密に描かれていて、沼津の街を歩くとまるでアニメの世界に入り込んだ感覚になる。

アニメの聖地は全国に多々あるけれど、沼津は地元の人たちがファンの来訪を温かく迎えることで知られている。この、人の温かさがアニメファンを“沼津ファン”に変容させ、沼津のリピーターになり、最終的に移住する人も数多くいる。作品愛が地元愛につながる、沼津という街はアニメ聖地として全国でも最先端の事例なのだ。
ガイドブックの制作を通じて気づいたのは、沼津の人たちが地元を愛し、誇らしく思う気持ちは、外から来た人によって育まれているということ。
アニメのファンは、自分が大好きな作品を一緒に盛り上げてくれる沼津の街を愛し、訪れ、移住する。最大限の愛情を込めて、SNSなどで地元の人たちが気づかなかった沼津の魅力を発見して激推ししてくれる。ファンの愛によって沼津の魅力が可視化され、沼津の人たちは地元の魅力に気づき、さらに地元愛が大きくなっていく。アニメ、ファン、地元の相思相愛が、沼津の魅力をいっそう輝かせてくれるのだ。
観光案内所みたいな本屋になりたい
2023年9月、リバーブックスが開店した。
週末だけの営業だったが、沼津では初の独立系書店ということもあって、地元の新聞やテレビなどに取り上げられ、たくさんのお客様で賑わった。11月からは、クラフトビールと、隣の富士市で生産されている香り高いほうじ茶の提供も始めた。

週末ごとにお客様が増え続け、2024年3月、僕は約20年勤めた出版社を退職して、本当の意味で独立した書店の店主になった。店舗にはギャラリースペースがあり、銀座の森岡書店さんのご協力で、こけら落としとして赤瀬川原平の写真展を開催した。月に1、2回は金曜夜に深夜2時まで営業するイベントも行っている。


ご来店いただくお客様の8割近くが沼津市外からで、週末になると東京や神奈川、愛知などからもたくさんの方が来てくれる。僕はずっと観光に携わっていたし、『ラブライブ!サンシャイン!!』の聖地ガイドブックを制作したご縁もあって、アニメファンの方のご来店も多い。自然と沼津市内のおすすめを案内することが増えてきた。
外から来る人にとって、地元の人のおすすめ情報は魅力的なコンテンツだ。
リバーブックスは、沼津の観光案内所的な存在になりたいと思う。
おいしいご飯屋さん、おしゃれなカフェや古着屋さん、眺めのいい場所など、沼津を楽しむ参考となる情報を、僕の言葉で伝えることで沼津のファンが増えたら最高だ。
沼津のいいところは、街で友達や知り合いに会う確率がとても高いことだ。
交差点の向こう側にいる友達と手を振り合う。カフェで会って雑談する。
かといってお互い必要以上に干渉もしない。この田舎と都会がブレンドされた絶妙な距離感は、Uターンや移住者が増えてきたおかげだろう。
ぜひ一度、沼津を訪れてみてほしい。できればリバーブックスも。
沼津のおすすめ
僕がいつもお客様に紹介している場所やお店たち。
【かのがわ風のテラス】

沼津の中心部を流れる狩野川の西岸が、憩いの場として整備されている。
名前の通り、川の上が風の通り道になっていて、夏場でも結構涼しい。沼津で一番好きな場所。
【チャトラコーヒー】

沼津駅から近い大手町にあるコーヒーショップ。店主の古谷さんが焙煎するコーヒーと、パティシエのまほちゃんがつくるスイーツが人気。

デカくて硬いプリンが最高。
【JOUJOUKA】

オーナーの奥村夫妻が営む古着屋。欧米から買いつけたセンス抜群の古着たちにファン多数。
一年のうち4ヶ月は買付期間で、営業しているのは8カ月のみ。
【MATAHARI】

沼津駅南口から東に少し歩いたところにあるスムージー&フレッシュジュースのお店。店主のさおりさんがつくる季節のジュースがおいしい。僕のお気に入りはグリーンスムージー。
【つじ写真館】

国内外から連日ファンが訪れるアニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の聖地としても有名なあげつち商店街にある写真館。峯知美さん(右)はいつもファンを温かく迎えている。
最近、沼津あげつち商店街でスタートした“御商印プロジェクト”に参加していて、お店で「御商印」を買うことができる。
【弥次喜多 幸町店】

リバーブックス近くの定食屋さん。揚げ物、刺身、全部おいしい。一番のおすすめはアジフライ。僕は週3回くらい通ってます。
【aiai】

大手町にあるクラフトビール&ワインがあるビストロ。“fete(フェット)”というブランドのクラフトビールやワインを醸造していて、西浦のみかんを使ったスパークリングワインも。店長の伴さんがつくるオムライスが好き。
著者: 江本典隆

1978年、静岡県沼津市生まれ。大学卒業後、旅行系出版社勤務を経て、2023年9月沼津市下本町にクラフトビールが飲める新刊書店「リバーブックス」を開業。趣味は展覧会巡りとサウナ。好きな食べ物は麻婆豆腐。2024年沼津市の魅力発信を行う「沼津ふるさと応援隊」に就任。
Instagram:@riverbooks_numazu
X:@Riverbooks_NMZ
編集:荒田もも(Huuuu)

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