NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で瀬川/瀬以(小芝風花)、松平武元(石坂浩二)、平賀源内(安田顕)ら、主要人物が立て続けに退場した。それはあらたな物語を始めるためのお膳立てなのだが、その一つひとつが最終回と言われても納得してしまう域にあった。「耕書堂」飛躍のネクスト・ステージが始まる前に、それぞれの回を通して、あらためて本作の魅力を振り返っていきたい。

 瀬川の思いをていねいに紡いだ第14回「蔦重瀬川夫婦道中」。瀬川は視聴者の思惑むなしく、舞台から去ることを決める。そうして別れの手紙をしたためながら、涙ながらに「おさらばえ」と呟くのだが、その台詞は身請けされた第10回「『青楼美人』の見る夢は」において、晴れ晴れとした表情で発したものだった。おかげで「おさらばえ」は鮮やかなコントラストを成し、瀬川の悲哀はいっそう際立った。影をデザインに採り入れる日本建築をみているようで、悲しいけれど、美しかった。

小芝風花、『べらぼう』瀬川役を経てさらなる高みへ 大河史に刻まれる別れの朗読

NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の第14回「蔦重瀬川夫婦道中」で、瀬以/瀬川(小芝風花)は蔦重(横浜流星)と見た“…

 第15回「死を呼ぶ手袋」はいい意味で思惑を裏切ってくれた。謎解きかと思いきや、あっさりと種を明かし(すでにタイトルからして真相は歴然としていた)、武元の最期が描かれた。頑迷固陋にみえて、公明正大――古き良き武士の生き様を全うした武元は大見得を切る歌舞伎役者のようだった。田沼意次(渡辺謙)の無実を見抜き、放った台詞「みくびるなよ」にも唸ったが、「金というものは、いざというときに米のように食えもせねば、刀のように身を守ってもくれぬ。人のように手を差し伸べてもくれぬ。左様に頼りなきものであるにもかかわらず、そなたも世の者も金の力を信じすぎておるようにわしには思える」という台詞には痺れた。やおら咳き込み、「あぁ、(武元の夏風邪を)もらったか」と笑う意次も味わい深かった。男同士の友情を超えた絆=ブロマンスの香りが鼻をかすめた。

 その香りがむせかえるほど充満していたのが第16回「さらば源内、見立は蓬莱」。袂を分かってなお、源内を案じ、獄死の知らせを聞いた意次は涙を浮かべ、「言うたではないか。お前のために忘れよと」とひとりごちた。清濁併せ呑み、日本を変えていこうとしたふたりには、紛うことなきブロマンスがあった。

 寡聞にして知らなかったが、賄賂まみれの政治家というのはつくられた意次像だったとの研究もあるそうだ(※)。あらたなことを成そうと思えば疎まれるのは世の常であり、渡辺謙演じる意次に出会ったいまは、猛烈にその説を支持したい。

 ちなみに、源内の獄死ののち、黒幕と目される一橋治済(生田斗真)がうまそうに食べていたサツマイモは源内が著した『物類品隲』でその栽培方法を紹介した作物だ。この演出には肌が粟立った。

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