昭和初期から太平洋戦争が終わるまで、旧海軍に通称「予科練」というパイロット養成機関がありました。全国から10代の少年が空に憧れを抱いて入隊しましたが、待っていたのは想像を絶する過酷な訓練の日々、そして、その先の出撃命令でした。元予科練生の証言です。
特集「語り継ぐ戦争の記憶」。
戦後80年近くが経って戦争体験者が少なくなり、「戦争の記憶」を語り継ぐことがますます重要になる中、宮城における戦争の証言や遺構、資料など、「戦争の記憶」を伝えるシリーズ。貴重な記憶を、放送後もアーカイブとして残し、後世に語り継いでいく。
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#太平洋戦争 #海軍飛行予科練習生 #宮城県 #仙台市 #ニュース #第二次世界大戦
42 Comments
予科練から震洋へ配属されることもあるのですね。
飛行機乗りになる方はもっと優秀❓ 鹿屋や知覧の遺書がすばらしいとありますが、彼らはエリート中のエリート。出来が悪くては特攻機にも乗せてもらえません。😢
和文電信分速80字 以前の1級アマチュア無線技士といっしょ。
今では欧文すらまともに取れない1アマばかり。
予科練にいじめ(虐待)があったとは初耳です。こういうことやってちゃ戦争に勝てないですよ、だって戦闘以外で体力消耗してるんだから。
甲種14期なら現在95歳くらいの方が多いので、志願年齢を4年程超えてから入隊なさった理由が気になります。
先輩練習生でもドカレンを強いられる時期にあって、予科練教育を中断させられた甲14期生で震洋に抜擢されてるなら士気の高い分隊におられたのが予想されますが…
いろいろ分かってる人でないと引き出せない証言が多くあるテーマです。
リプを見てもいい加減な知識が大分広まっていると思うので丁寧な取材をお願いしたいです。
予科練生のせいしんをたたえると共に
当時の戦争指導者の
無能なさくせんを断固
批判して
こやつらの責任を
明らかにすることを
国民全員で
行なうことを
奨励するものである
天皇陛下万歳
予科練万歳
東條英機を断固許すな
予科練生に対する
同情は
彼らに対する
侮辱である
よかれんはすべて
志願時代
勇士であり
立派な
武人である
国民よ
彼らの愛国心を讃えようではないか
愛国者万歳
今の子の退廃した日本人の有り様はいったい何事か
お国とために死んでいった
予科練せうにあの世で会って
何と説明する気か⁉️
政府は
よかれんをたたえる
祝日を
作れ
みんなで
靖国に
行って
予科練生を
追悼しよう
予科練生万歳
オートバイチューニングの「ゴッドハンド」POPヨシムラも、予科練の経験者でした(・△・`)ヘェー
吉村秀雄さんの、ご冥福をお祈りします😞🙏😭🤧
「甲部」ではなく、「甲種」の間違いだと思いますけど
大正12年生の叔父は海軍でも空自でも活躍しましたが、海軍生活も復員後経歴偽って米軍行った話や後に空自行った話も実に面白おかしく語ってました。晩年は地方議員だったので口がうまかった人誑しでした。僕も誑かされて定年まで自衛隊の世話になりました。こう言う泣き言話は叔父も僕も大嫌いですね。自衛隊でも今なら何とかハラスメントって言われる指導もありましたが、ミスした俺が悪いと今でも思ってます。厳しさのない社会は弱体化すると思ってます。なんでも個性とかで片付けてるのは無能の正当化だと思います
この番組では予科練の闇の一部だけに触れているが、霞ヶ浦の予科練平和記念館へ行けば光も闇も展示されている。
予科練生に対する仕打ちとして何が酷かったかというと、パイロットとして戦う事を夢見た青少年に対してモーターボートや潜水服での自爆攻撃を命じた事では無いだろうか。優秀な青少年達が辛い猛特訓に耐えたのは、パイロットとして活躍する夢があったからだろう。手段と目的が逆転し、死ぬ事が目的と化した命令を与え、パイロットとしての誇りを踏みにじるような殺し方をした。もっとも予科練がパイロットを育成する為に運用されていたのは途中までで、最後はミサイルの生体パーツを製造する運用に変わったようだ。
当時の航空機とは、今で言えばドローンに相当するか。発展途上の最新技術であり、各国で軍事転用を競い模索していた。そんな中で優秀な少年を早くから教育して優秀な操縦士を育てるべく設立されたのが予科練。戦争の記憶を語り継ぐにあたっては、その背景も同時に伝えなければ意味がない。
体罰云々は平成世代からすると、戦後昭和時代も程度の差であって同じような世界に見える。理屈より気合がまかり通った時代。
日本は戦争したくてしたんじゃないんだけどね
戦争はぜったい反対です。日本被団協ノーベル平和賞受賞して、広島県の皆さんと長崎県の皆さん、高校生平和大使を中心に活動がんばってください。
99歳でしっかりした受け答え。いつまでもお元気で居てほしいです。
(天国で)待ってろ、ではなくて
(靖国で)待ってろ
だと思います。
細かいことかもしれませんが、大事なことです。
日本人はスイッチが切り替わると、方向性が変わる民族だと思う。今は民主主義だけど、独裁的になればその方向に行動する。
社会見ていてもわかるけど、学校教育や会社の組織的あり方。ブラック企業に従う考え方。
今はそれらが見直されているので少し自由だけど、社会の方向性が変われば同じ空気に変わる。
多くの人々は、社会の影響の下で人生をある程度コントロールされていることを知らないと、人生の意味を社会に丸投げすることに気が付かずに人生を無駄にする(仏教的にね)。
戦争は相手の国に対する無知から始まる。
私の父も三重の予科練出身で終戦の時は呉の基地にいたそうです、一式陸攻の通信をしてました、広島の原爆投下の3日後に現地入りしたそうです。ただ昭和天皇の事を騙されたとよく口にしてました。
漫画家の神様「手塚治虫先生」の大親友も予科練から特攻隊へ…
死地へは手塚治虫先生が彼の為に描いた女の子の絵を腹に巻いて散って行ったという…
若者の純粋さを利用したらいけないなー
>無線で聞いて
さらっと言ってましたけど
どういうことでしょう?
東京ローズとかのことかな??
仲良くするには余計な支配欲と過度な金銭欲、相手に対する恐怖、相容れないなら距離を詰めすぎない努力。
これができてる人は少ないから平和にならない。
なんだかなー。平和な日本で発言してもねー。しょうもないマスコミ脳。
安藤昇さんは伏龍特攻隊員だった。
それぐらいでないと日本の強さは維持できないと思った。
アジアのものをアジアに返した先人達は、実に素晴らしいと思う!
日本は原油を絶たれ武力で負けたけれども、日本が一番精神性についてはTOPである。
日本が世界を統治したならば、安寧の日が続いたと思う事がある。
戦争を肯定する訳ではないが、誇りに思う!
最後まで国と国民の事を思って頑張ってくれた先人に感謝の思いしかない。
わたしのお祖母さんの姉さんの次男も予科練に行った、父親は陸軍の士官だったが、当時の伊丹中学で一番悪いという事で指名されて、無理やりいかされたが生きて帰ってきた。
家族がいました。 飛ぶことはなかったようですが、何を尋ねても「封印したんだ」とだけ言ってました。戦後はたいへん活躍して飛翔してました。 飛ばずに戦後社会を支えた9割近い方々にも触れていただきたいです。
太平洋戦争は飛行機と空母が主役
パイロットが最高の憧れとなるような教育を子供たちにすり込む
実戦どころか訓練中の事故でも当時の飛行機の死亡率は高い
つまり、操縦者は消耗品
実戦用機から体当たり攻撃に行くが、しまいには練習機まで投入
末期には飛行機が不足し、水上特攻 震洋 人間魚雷回天にまで候補生を強制する
国のため=愛する家族のためでもあるからな。
だから国の為ってのはただの綺麗ごとじゃなくあながち嘘でもない。
こういった経験者が語る戦争はいけないって言葉は本当に重く受け止めていかねばならないし現役世代の我々が「真実」を後世に伝え、先人達の犠牲の上にあるこの平和を守っていく責務がある。
当時と違って子供たちが飢えることも理不尽に親を失うこともなくつつがなく大人へ巣立っていける世の中を次の世代へ繋いでいかなければならない。
特攻だとか戦争を賛美する事はそれこそ散っていった英霊に対する冒とく。
彼らだって国や家族を守るという意志の他に個としての「死にたくない」「助けて」「帰りたい」といった当たり前な感情を抱きながら散っていったと思うんです。
当たり前の幸せを享受する権利があったはずだが時代がそれを許さなかった。
一緒くたに賛美してしまえばそういった彼らの人間としての想いまで消し去って過去の綺麗事として片付けられてしまうと思うんですよね。
だからこそ我々は先の大戦から学びこの日本国を守る事。領土を守り国益を守らなければならない。
その結果が行きつくところまで行ってまた戦争だとしても国を守り国益を守り領土を守るためであるならば戦うしかない。それが先の大戦でもあるのです。
昨今の教育にあるような戦争を起こさない=国防・国益・領土を放棄する。ではありません。
この辺りは学校では教わりません。正しい歴史認識を伝えていきましょう。
侵略戦争に加担したヤツらは全員悪。
原爆で蒸発した日本人も含めて全く同情の余地がない
生き残った方が語っても 真実は?
亡き叔父は戦後銀行の幹部で退職したが葬儀の際、棺に予科練の制服を入れていた。生前本人の強い願いだった。
今でこそ話してもらえる事がある。これは色々な人の話を聞いて実感をする。
(天国)ではなく (靖国)でまってろよ!だろ!
嫁の絵の先生が予科14期で当時の話をよく聞きました。大篠津で訓練されたのですが
訓練の練習機が足りずまともに訓練もできず、終戦は神町航空隊に配属されてそこで終戦を迎えたとのことでした。
被害者の勇敢さに感動しました👏
軍隊にをいて楽なことはないのは当たり前じゃないか…?国防なんだけと。
今は結果論にしかならないけど?当時は、何も言えない時代!本音は、天皇陛下の為じゃ無く、父母や家族の為に心を鬼にして特攻に行った!と思う。送り出した、親や家族の気持ちを思うと涙溢れてくる。
国に騙されてはいけない。
軍、政治家、企業、天皇は絶対では無いので色眼鏡で見れば自分が死ぬ。