#後白河法皇 #奈良の大仏 #鎌倉殿の13人

※概要
『鎌倉殿の13人』第22回「義時の生きる道」で息を引き取った、日本一の大天狗・後白河法皇への感謝と追悼の意も込めた(本当です。本当なんですwww)プチ解説です。

2022年、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」解説動画です。

【関連動画】
後白河法皇ってどんな人?

Twitterで配信情報とか配信前のネタをフライングでつぶやいてます。

▼使用効果音
「効果音ラボ」
https://soundeffect-lab.info/​​​
「DOVA-SYNDROME」
https://dova-s.jp/

▼使用画像
「Wikipedia」
https://ja.wikipedia.org/wiki/
「鎌倉殿の13人公式ツイッター」
https://twitter.com/nhk_kamakura13?s=20

▼使用動画
「MotionElements」
https://www.motionelements.com/ja/

※素材提供ありがとうございます!

▼お問い合わせ(☆を@に変えてください)
tonreki.ch☆gmail.com

25 Comments

  1. 戦国時代に大仏が焼けなければ後白河法皇の開眼の大仏が今も残っていたのにねーW。”梟雄”松永弾正め~W。

  2. 大仏開眼の時のお話、おもしろ〜い!確かに後白河法皇、武力を全く持たず威光だけで、武士集団と渡り合うには策略を巡らせるしかないものねぇ。こういう文化を生み出す人のエピソードが好きだな。

  3. 松永久秀にも焼かれちゃって、大仏様も大変だぁ~。
    後白河も亡くなり、八重も亡くなってしまいましたね。
    それにしても、江間次郎って誰なんだろう、ってずっと気になっています。
    えまじろう?「しまじろう」なら知ってるけど。

  4. 大仏に目を入れるときに 法皇様はかなり焦らしたのだと思う 書き入れるのかな と思ったら突然体操したりとか

  5. 6月12日の「鎌倉殿の13人」、曾我兄弟の仇討ち(頼朝暗殺)、違和感ありませんでしたか?仇討ちがあったのは、旧暦の5月28日(新暦6月28日)、富士の裾野で巻狩りのときですよね。頼朝が映し出されたバックに富士山の映像がありました。違和感はあの富士山です。この季節に富士三にあんなに雪が積もっているのは、考えにくいです。それとも、1200年頃は寒冷化が進んでおり、6月に雪でも降ったのでしょうか???

  6. 後白河法皇に対してのきりゅうさんの見方は非常に賛成です。この方がいたからこそ今の日本の皇室があるんだというのはその通りですね。

  7. 僕もゴッシー好きです。上洛したときは
    三十三間堂の近くの陵墓よく行きます(^^)

  8. 後白河法皇が今の天皇陛下や愛子内親王殿下に繋がっているのは感慨深いですね。生きる伝説。

  9. 皇族側から見た鎌倉殿の
    解説の楽しい動画ありがとうございます。
    武家社会も皇族の世界もこの時代が色んな意味で転換期だったんですね。
    開眼の見物人のトランス状態になった話面白かったです。先生がネックレスの様な物を身に着けているのを見て今回の先生はラッパーでしたね。

  10. A宮家のお子さん達は、リベラル学者からだけでなく幅広く歴史を学んでいるのだろうか?日本が心配になる。

  11. フィクサー三浦義村が控えていますね。土方歳三役を超えたはまり役メフィラスの山本耕史さん。今や主人公をシン・ウルトラマンを凌ぐ人気です❤三谷さん、是非劇中でメフィラス構文の台詞を🙏「駿河守 私の好きな言葉です」「権謀術数 私の好きな言葉です」(笑)

  12. 21世紀にこれ程後白河法皇の良い面を語ってくれるのは、桐生さんくらい!?

  13. 人の命を弄ぶ恐い後白河法皇様で御座います。飢え死にする庶民なんぞ目でないお方でしょう。

  14. 西田敏行さんの後白河法皇、名演だったと感じています。きりゅうさんの解説で後白河法皇も朝廷も権力のパワーゲームをやっていたのだと得心しました。後白河法皇の手練手管(平家→木曽義仲→義経→頼朝)は真田昌幸が表裏比興の者と批判されたのと似ているなと思いました。私見ですが、今の世も昔同様、為政者には切らねばいけない関係があると思います。でも頼朝はやりすぎたのでしょうね。

  15. 解説はとても腑に落ちます。後白河法皇は、悪役で描かれることが多いですが、その世界観、スケールの大きさは並みの人ではないですね。
    失意で隠棲していた建礼門院を見舞いに行った大原行幸の話などは大好きです。損得ばかりで動く冷徹な人ではなく、優しい人だったと思います。

  16. 後白河法皇に天皇家を守り抜くという功績があったとは!私も「守り抜くって何を???」と思ったので、なるほどです。
    確かに、第二次世界大戦後に天皇家が象徴(=傀儡)になってしまって、ご親戚を大幅に皇籍から外され、女子は継げないとか、養子は取ってはいけないとか、法律でがんじがらめにされた結果、天皇家は虫の息、絶滅危惧種になってしまっていますもんね。今はもうピタゴラスイッチが終わりに近いところまで進んでしまっている感じです。「GOSHIRKAWA, come baaaaack!!!」by皇室ファン

  17. いやー、目から鱗が落ちる思いです😂
    なるほど・・・確かに我々は天皇(皇室)がずっと在るとわかっているけれど、当時はまさに存続の危機であったというわけですね。
    もう!これだから歴史は面白い!
    ありがとうございました。

  18. 将軍家は清和天皇の流れで北条家も辿れば桓武天皇の血を引いてるので継ごうと思えば天皇家継げたんじゃないかな
    新たな王朝と言うより過去の系図を弄って正当な後継に仕立て上げそう

  19. 腐敗した貴族政治から武家政権発足という新風吹き荒れる激動の時代。
    悪役にされがちな後白河法皇から見ると、大きな流れに抗いながらピンチの連続を凌ぎ切った人生だったんですね。
    「ワシは守り抜いたぞ」と「楽しまれよ」は後白河法皇の人生を象徴する言葉だと思いました

  20. …となると、後醍醐天皇はこの後白河院の遺恨を体言しようとしたんですかね?🤔
    けど、その後、江戸幕府が滅びるまで、貴族社会には戻りませんでしたね😅(清盛のように、貴族まがいのことをした、一休さんの将軍様ってのもありましたが😅)

  21. きりゅうさんの後白河院への愛が眩しすぎます😂

    歴史上の人物も見方によっては正義にも悪にもなります。その生き様はそれぞれに素晴らしいと思います。

    平清盛の挿入歌(?)「遊びをせんとやうまれけん」のあのメロディも秀逸やなと思いました。

Write A Comment

Pin