戦国時代最強の武将・武田信玄と徳川家康が対決した【三方ヶ原の戦い】を動く地図で解説!
信玄の真の恐ろしさとは?
・本が発売中!
【近代から現代まで時空を超えてインタビュー!? 「日本と世界」が同時にわかる すごい歴史】 定価1650円
ぴろすけ、社長、副社長が偉人や国とおしゃべりしながら面白おかしく歴史を大紹介!
Amazonなどにて予約受付中!→https://amzn.asia/d/gOULRIl
再生リスト【世界の決戦シリーズ】→https://youtu.be/6pJtSHXfYhM?list=PLCrJrkbUsf5TNU62y-mlaorZsJ001261
【参考】
主に桐野作人氏、平山優氏、河合秀郎氏、柴祐之氏、高柳光寿氏、渡邊大門氏など先生方の御考察を参考に作ってます。
各先生の書籍や論著を参照下さいませ。
★メンバーTwitter・インスタ
ぴろすけ→https://twitter.com/itukapirosuke
→https://www.instagram.com/pirosuke_ituka
いつかやる社長→https://twitter.com/itukayaru0
いつかやる副社長→https://twitter.com/fukushachou9
★キャラクターイラスト提供
武井 怜様
Twitter→https://twitter.com/kinishisugigirl
画像提供
shutterstock様
PIXTA様→信長、信玄のイラスト( nabe様)
BGM提供
魔王魂様「裸足の勇者」
Dova syndrome・作曲者kk様「全てを創造する者」
【いつかやる公式切り抜きチャンネル】
https://youtube.com/@ituka.kirinuki.kousiki
#歴史 #世界の戦術戦略 #戦国
35 Comments
【高天神城の補足】最近は信玄の侵攻ルートも新しく変わり、高天神城も元亀2年に信玄が攻めたのも否定され、翌三年10月つまり侵攻時に降伏したのが明らかになってます。
武田家の強さや結束ってちょいちょいイメージと違うところがあるけど、革新的ではないにせよ信玄の強さはマジで本物だと思う。
今回、改めて調べてみたけどやっぱり三方ヶ原では巧妙な作戦能力・軍才と経験からくる絶妙な戦争指導が爆発してる!ちょいと慎重なところもあるけど、そこが信玄らしいというかw
ただ、ちょっと運が弱いように見えるのは副社長だけですかね・・・
ちなみに結構前から否定されてるので【信玄上洛説】【戦後の家康の空城の計】はぶっとばしてるのであしからず。
あと三方ヶ原における魚鱗の陣や鶴翼の陣もどちらかというと【それっぽい陣形】ぐらいらしいです。
まぁ戦国の八陣などは江戸時代に作られたものですし、もっと陣形も汚かったかもしれません。
いずれ戦国の陣形の話もするので詳しい話はその時にでも~
どしどしチャンネル登録、評価、コメよろです~
こうして見るとこんだけ緻密な信玄の計略と対等に渡り合ってた謙信ってやっぱりヤバいんだなって本当に思う。流石越後の龍って言われるだけ有って伊達じゃない。。。二人の強さって相当だったんだなと思います。
毎回、楽しく観てます。
ありがとうございます、
日本史の、古代の戦い、お願いします!
何故に家康が出撃し、野戦に及んだか?について、一番しっくりくる説明だった
喋りの間が気持ち悪い、さすが。
面白いねぇ。やって欲しいスーパー有名な戦いがあります。桶狭間、厳島、川越夜戦、川中島なんかやってくれたら嬉しいなぁ。お金払います。
副社長、いつか日米の戦闘解説もお願いします!
自分の爺さん達がどのように戦い散ったのか、概ね知ってはいるつもりですが副社長の解説で知りたいです。
話がおもしろいのに字が汚くてやる気の無くなる授業をする高校時代の教師を思い出した
三国志みたいなすごい計略!
なんか武田信玄って諸葛亮孔明と被るんだよな、どっちも悲運の名将
やはり信玄が凄すぎるから、勝頼が優秀でもそりゃ滅びるわな
めちゃくちゃ面白い🎉
聞けば聞くほど「なるほど、実際その現場やったらそう決断せざるを得ないかも」と思える副社長の解説に、ある種感動しました。こうした解説を引き続き楽しみにしています。
Thanks!❤
塾やれ( ̄□ ̄;)!!
地形図を重ねてくれるから非常に分かりやすい!
武田軍ってモンゴル軍のサンプリングだよな
浜松城に向かおうとして反転した軍隊を率いてたのは馬場信春だよ 信玄部隊は別の道から合流したんだ
生涯戦績が72戦49勝3敗20分。勝率68%、勝分率95%。つくづく武田信玄は化物だな。俺なら戦場で風林火山の旗印見ただけで脳内BGMに怒りの日が流れてウンコ漏らすわw
掛川城からマップかいてくれてマジ感動です!
「センゴク権兵衛」で見た魚鱗の陣が無理ゲーすぎて焼き味噌不可避
「戦国無双クロニクル2」で三方ヶ原の戦いやれるけど、低難易度でもキツすぎて泣く。救いは武田の武将が史実よりも弱いこと。史実通りの強さを再現したらマジでツムツム
ちなみにこの戦いの後で絵に描いた橋を使って武田軍の一部を崖下に落とすという仕返しをしました
強い武将って戦い始める前の情報収集と準備が良い
自分達にとって有利な戦いを押し付けるのが上手い
西じょう作戦とは気付かれずに落とせる城を落とし野戦にて家康を引き釣り出し倒すとあると書いてます。
すっごいわかりやすくて楽しい!!
三方原資料館に置いて欲しいくらい!!
どの合戦もそうだけど、決戦の前の駆け引きがすごいよ。どうすれば自軍が有利になるか。どのように軍を動かせばいいのか。それを相手の動きを見ながら、その時々の情勢に合わせて対応する。武田軍は、その指揮を信玄が担っていた。すごいストレスが圧し掛かっていたと思う。健康であれば良いけど、そのころの信玄は、健康状態が(何の病気か分からないけど)万全ではなく、この遠征でその病状が一気に悪化したのだと思う。そして、運命の三方ヶ原の合戦。戦は武田軍の勝利に終わったが、信玄の病状はさらに悪化して、戦の指揮が取れなくなってしまった。一度は西に向かった武田軍だが、仕方なく本国へ帰還する道を選んだ。その途中で信玄はこの世を去ってしまった。
誰も飛騨高山取ってないの草
自分はこの時代なら長野業政のほうが好きかな。おじいちゃん贔屓だから。
ありがとうございます!
こういう窮地でも信長は的確な行動をとっている。
家康に大軍を送れない代わり城の防御に必要な兵と兵糧を買う銭を送った。
家康は部下に浜松城の海岸防御に当たらせ兵糧の搬入を邪魔させない体制である。
家康が城を出て戦たのは勇み足ではあったが、「家康様はいざとなれば助けに来てくれる」という信頼感を与えることには成功している。
冬場の夕刻時のあんな糞寒い中で石を当てられたら、血気盛んな若武者ならば尚更、頭に血が上るわな。そこで交戦状態に誘い込まれている時点で詰み筋に入ってるでしょ。武田信玄の方が一枚も二枚も上手だったってことだね。
敗走する家康が恐怖のあまりに途中で漏らしたという逸話がある一方で、敗走途中に茶店に立ち寄って呑気に餅を食い、食い逃げしようとして茶店の女将に叱られたという笑い話もありますね。
色が逆?
掛川城(かけがわじょう)の話や二俣城(にのまたじょう)の話はとても興味深いですね
こんな絶体絶命のピンチだったんだな…。
逆に生き残った家康もスゴイ
敗れた家康は仕方なかった戦に思えます
戦の年季はやはり信玄が圧倒的過ぎますね 相手にしていたのが軍神 長野業正 北条氏康 村上義清等チートクラスの名将でしたしね
しかし岡崎城を狙うと見せかけ転進して魚鱗の陣を構えた信玄の戦略は正に兵法の妙技
逆にこの敗北から学んだ家康も凄いですね