松平忠輝はその後、5代将軍徳川綱吉の時代まで生き 92歳の天寿を全うしました。
ちなみに吉宗が生れるのはその翌年です。

23 Comments

  1. このシーンは非常に感心した。秀忠の成長もさることながら、家康の老いに連れて強まる猜疑心をよく表現している。独眼竜政宗ではどうだったかな。

  2. 独眼竜政宗でも津川雅彦さんは徳川家康役をやっていて
    秀忠役の勝野洋さんは、逆に忠輝への厳罰を主張していたと思います
    原作者が違うと話も変わってくる

  3. 実際は秀忠のが残酷でヤバい奴だったはずなんだがこれでは違うんかねw

  4. 天下を狙う伊達政宗の娘婿に幼少期から気性が荒く家康の子の中でも名うての荒武者で武闘派の松平忠輝を目合わせたのは伊達家取り潰しを画策する家康側近の計り事ではないかと勘繰ってしまいます。

  5. こういう徳川政権草創期のジレンマを
    外連味なくあけすけにフィクションでアレンジして
    家康秀忠の大喧嘩にすり替えてしまうジェームス三木の非凡(笑)

    これが山岡荘八的なモノであれば
    大御所は甘すぎます!
    と忠輝を寛大に処置しようとする家康に
    秀忠が噛みついて猛反発するパターンになってるのもあり得る。

  6. 名優揃いの葵三代ですが
    茶阿の局の五大路子さんと
    春日局の樹木希林さんだけ

    上手すぎて主役食っちゃってるんですよね😇
    凄い名演なんだけど津川さんすら食っちゃってましたよね😂

  7. 家康って正直、卑劣だよね。
    以前は家臣としてそして同盟人の豊臣家を滅ぼして。
    秀忠って家康にこんなに楯突いたのは知らなかった

  8. 忠輝の行動は正しいんだがね。忠輝に因縁をつけて罰したというのが正しい

  9. 7:11 本日のメインイベント、【タヌキイエヤス】vs【ハマチャンヒデタダ】60分一本勝負!

    カーーン!!

  10. 現代の瑞巌寺を見る限りだとあまり出城には見えないけどな。
    当時は形が違ったんだろうか?

  11. 「大坂の次は奥州にございまするか」とかなり説得力のある言葉を使って刃向かう姿勢は秀忠に将軍としての成長を伺えるシーンのように思います。正に経験したことがそのまま言葉になったような感じでしょう。だからこそ息子の成長を嬉しく思うと同時に周りから秀忠は信用に足る人物であると思わせるために敢えて親子喧嘩に発展させていたようにも感じる。自分が悪行を全て持っていこうという行動にも見えます。後に「ただの親子喧嘩じゃ」と言っているところからも伺えます。

  12. でも後の後の後のことまで考えれば伊達はこの時つぶして、仙台には信頼できる譜代の家臣でもいれておくべきだったな。
    なにせ徳川時代江戸に流通する米の七割は伊達領で生産されたもの。もし伊達が謀反すれば幕府とて手におえなくなってたな…

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