秀吉の側室・茶々(淀殿)が産んだ子どもは、当時から秀吉の子ではないとの噂があった。寧々(北政所)は秀吉の手紙で秀頼が秀吉の子ではないことを知らされていたが豊臣家存続のために芝居をし続けた。

作曲 秋山裕和
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#nhk大河ドラマ #どうする家康 #日本史

10 Comments

  1. 「わしの子は鶴松であり」とあることから、鶴松は秀吉の子と自覚していたとも取れますね。
    秀頼は分かりませんが、子種はあったかも知れませんね。

  2. 当時は素直に生まれ変わりを信じている人も多かったから、それで良しとしたのでしょうね。

  3. 手紙の解釈に無理やり感があるよ😅
    私も秀頼が秀吉の子であったかは疑わしいと考えていますが、この手紙をその拠り所とするの乱暴すぎ😮‍💨
    この書簡は広く知られているし、これは正室寧々に対する秀吉特有の気遣いからの表現 というのが通説だし無理ないとこでしょう

  4. 茶々だけが、子供を産んでいる。何人も側室がいたのにほかに誰かが産んでいたなら、、、
    また茶々は、浅井の子供ではないとおもいます。
    何故なら、親として茶々、初、江与、とは名前はつけない。少し話はそれましたが、戦国時代お市の方は、一旦離縁の後、浅井に嫁いだと思われる。
    よって夏の陣で、本当の父の大野治長と茶々と秀頼と親子三人で、自害となる。
    また治長の母の饗庭の局も一緒に、大阪城ではてたと思われる。

  5. 庶民はもちろん多くの歴史研究家は科学的分析と言うのが苦手で心理を読むことばかりする。秀頼についてはそもそも殆ど子宝に恵まれなかった秀吉57歳の時の子だ。ルイス・フロイス言う「女遊びが酷い」うえに後に多くの側室を抱えていた秀吉に「隠し子すら」いなかったから「男性不妊」は確実だ。男性不妊は「造精機能障害」などが原因だが当時治す方法など「全く無い」。ちなみに秀吉は62歳で亡くなっているから「死の5年前に子宝」という事で、そういう確率が「どれだけ小さい」のかくらい検証すべきだ。個人的には秀頼が実子で無い確率は9割は軽く超えるとみる。

  6. 淀だけが懐妊するのはおかしいだろという意見も分かるし、
    そんな簡単に浮気できるなら他の側室も孕んでるだろ、って意見も分かる。
    真相は藪の中ですね……。
     
    ただ、ドラマでは険悪な2人だけど、史実では高台院が大坂を出たあとも割りと仲は良かったりします。
    (疱瘡にかかった秀頼を心配する書状などが残っている)
     
    豊臣一族の仏事は全て高台院が取り仕切ってたし、きちんと秀頼と千姫の婚儀を見届けたことを契機に落飾しています。
     
    ですが二条城で秀頼と家康の会見の仲介役をしたことにより、大坂の陣では家康からの命令で蟄居監禁されています。
     
    高台院を監禁してた武将はそれだけで大名になってますから、彼女の仲介力は家康が警戒するほど危険だったと思われます。

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