徳川四天王といえば、徳川家康を支えた有能な重臣として、あまりにも有名です。酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の4人を指しますが、それぞれが多彩な能力をもって、徳川家を天下取りへ導きました。
個性にあふれ、華やかな印象がある四天王ですが、その最期はあまりにあっけなく寂しいものだったようです。そこで今回は、彼らの晩年から死去するまでに焦点をあて、その最期の様子を語ることに致しましょう。
教科書では教えてくれない歴史の1ページをお楽しみください。

36 Comments

  1. この馬だけ明らかに動きが違うよね
    ほぼ全部外回りなのに軽々抜いて行くの凄すぎる

  2. 結局、子孫のために、利用するだけ利用して、力を持たせないようにしただけの事、人間の本質なんてそんなもん

  3. 戦国無双4-Ⅱでの
    井伊直政の口癖が
    だめだ、だめすぎる
    でし。

  4. 将棋の藤井さんがおやつで徳川四天王のケーキを食べた事でキルフェボンという静岡市のケーキ店の名前が出ました。キルフェボンさんは徳川四天王の子孫でしょうか?もしご存じでしたら教えて下さいお願いします。

  5. あっけないというのはおかしい。この時代に何度も戦に出てるのに畳の上で死ねるのが凄いと言っていいはず。

  6. どの武将が欠けても家康は覇王にはなれなかったと思う。
    子孫は幕末まで尊重された。
    特に井伊家は交渉術の巧みさを受け継ぎ、大老として桜田門に散るまで徳川家に仕えた。
    だが果たして四天王たちはそれぞれ隠居の身となったが、心はいつもギリギリの戦場にあり戦場で華々しく散るのも望んでいたかも知れない

  7. 徳川四天王の中では井伊直政にもっとも関心があります。
    数年前の「おんな城主直虎」でかつての井伊氏がこんなに悲惨な状況だったのか?
    と思い、見ていました。
    井伊氏の最も有名な人は幕末の井伊直弼だが、中興の祖は間違いなく直政です。
    直政なくして井伊家の繁栄はなかったはず。井伊氏は徳川譜代筆頭になりますしね。

    関ケ原時の秀忠遅参は予定の行動だったと思いますね。
    福島、加藤などの豊臣恩顧の武将たちを疲弊させ、徳川本隊は温存するという。
    「葵・徳川三代」での秀忠遅参の叱責ぶりは見ていて怖かったが、あれもやらせでは?
    と感じます。

  8. こうしてみると今の大河ドラマの四天王はみんなイメージと違うなあ。

  9. 残酷な最後って討死や切腹でもしたのかと思うけど、
    鳥居元忠や夏目広次、本多忠真などが浮かばれないぞ……

  10. 名古屋城の観光アピールの仕方が凄く上手ですね、凄く親近感あります🙆那古野に住んでいたときだったら、お城まで歩いていけたので是非お会いしたかったです😢

  11. 見繕いが大変なことは理解しますが、一次資料とは乖離しています。
    ファンタジーとしては良いと思います。

  12. 井伊直政と本多忠勝が好きです🎵
    本多正信と服部半蔵と石川数正も好きです🎵
    三河武士団が強いですね🎵
    徳川家康は、さくさんの家臣が居ましたね🎵
    でも僕は、徳川家康と豊臣秀吉と足利尊氏と源頼朝と松平容保と織田信長が一番大嫌い😭💔です🎵
    でも僕は、武田勝頼公と武田信玄公と徳川慶喜公が一番大好き💓♥️❤️です🎵
    伊達政宗公と大久保利通と後醍醐天皇と明智光秀公も大好き💓♥️❤️です🎵
    浜松城と岡崎城と青葉城と岐阜城と松本城と駿府城と清州城と安土城も大好き💓♥️❤️です🎵
    井伊直政と本多忠勝が良い戦国武将と思います🎵

  13. 喋り方がとても好きです
    現代の男子達も、皆こんな喋り方したら良いのに

  14. 井伊直政について‥。単なる脳筋赤鬼としか描いてないけど、実際は外交能力もズバ抜けて高く、関ヶ原の戦いの際に黒田長政や吉川広家などの数多くの大名を徳川方に引き寄せた功績や、亡くなるまで島津との戦後処理交渉を引き受けてた事もきちんと描かないとね。

  15. 住んでいる地域のお城跡の公園に本多忠勝の大きな銅像がありますね初代の城主としての
    そして住んている地域では次回の大河ドラマで徳川家康と千姫の事をやることを願ってますが

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