▼参考文献
日本近世国家史の研究
https://ci.nii.ac.jp/naid/500000148907
宇都宮市史 第6巻 (近世通史編)
URL:https://id.ndl.go.jp/bib/000001548657
宇都宮藩・高徳藩 (シリーズ藩物語)
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【目次】
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#歴史 #日本史 #大河ドラマ #亀姫
20 Comments
私は、因果応報じゃないけど政敵?だった大久保長安が家康や幕府から信頼された事を驕って不正をして彼の死後に発覚して大久保党が没落したように、本多正純も驕りから秀忠や他の家臣への態度が横柄になっていたかと。そういう感情や人間関係のあやは、史料だけではなかなか読みきれないですし、そこに過去を想像する「歴史のロマン」があると思います。
昔、亀姫を主役に据えた「徳川の女」というドラマがあったのを御存知の方はいるんだろうか。
長篠合戦前に既に長篠城に嫁いで籠城戦を耐え抜いたり、宇都宮釣り天井事件に至る流れも、実はかねてから本多正信・正純親子が闇の組織を率いる黒幕で秀忠暗殺を目論んでいたのを亀姫が打破するとか、いろいろとトンデモなドラマだったと記憶している。
あまりにも演劇めいた釣り天井事件、暗殺にはもっと確実な方法がいくらでもあるはずで、いかにも嘘くさいです。あの大久保彦左衛門関連であればなおさらで、亀姫との因縁も後付けのようです。秀忠はある意味独自の政策ややり方を通して、初代とは異なる画期的成果を期待していたのでしょう。正純後半生の処遇は、言い掛かりめいて感じられてしまいます。家康と秀忠の政治に対する姿勢の違いが大きく影響していると思います。ある程度家臣の裁量に任せる家康に対し、自身の権力の確立を目指す秀忠は、息子家光に将軍職を委譲するに際して、万全の態勢を取っておきたかったのでしょう。少しでも危ない芽は、たとえそれが思い過ごしでも、とにかく摘んでおきたかったように感じられます。二人は、きっと徹底的に気が合わなかったと思います。秀忠は、意外に”偉大な凡庸”と評されるのを嫌っていたのかもしれません。正純は、そのとばっちりを受けてしまったようにも感じられます。
本多正純は多分お父さんの事があって色々厳しくやっていった結果周りから恨まれたのかもしれないですね。面白いと思った事はおひれがついてやがて泳ぎ出す様になってしまうのかもしれませんね。かつてそうやって権力がある人はどんどん理由をつけられて堕とされるのは世の流れでしたかね。近い例としては石田三成が慶長文禄の役で福島などの武将達を貶める報告をして秀吉から不遇な扱いをされて恨んだ様にですかね。
宇都宮の釣り天井と言えば、講談なんかで語られていて知っていた。なんか如何にも奇想天外な感じがして本当なのだろうかと思っていただけに面白くお聞きすることができました。赤穂義士の話と同じで、話を面白くするため、当時はやったであろう講談の脚色の影響が強く、やはり正純失脚の真相は秀忠の一存であった気がする。そうだとすれば正純の対応は余りに消極的で後先を考えない短慮であった気がする(赤穂の殿様と同じ)。
宇都宮釣り天井事件、徳川実記にも書かれていたなんて。なんで、こんな荒唐無稽な話を徳川実記は記載したのでしょう。
本多正純の改易は将軍や幕府に疑われるとこうなるぞ、ということでしょうね。
しかし亀姫がこんな形で登場するとは…。後付けてあって欲しい。
可愛さ余って憎さ百倍で単純に更迭でしょうね
梅津日記が真実だと思います
正純も売り言葉に買い言葉で改易まで至ったと
歴史全然詳しくないですが、めちゃくちゃ面白いお話でした!ありがとうございます😊!
本多正信は正純に「我の死後に、汝は必ず増地を賜るだろう。3万石までは本多家に賜る分としてお受けせよ。だがそれ以上は決して受けてはならぬ。もし辞退しなければ、禍が必ず降り懸かるであろう」って言ったらしく、まさか加増したら・・・怖っ
宇都宮城は平成になり城壁と櫓の一部が復元され、その中にある情報館にも釣り天井事件の説明がありました。本多正純による宇都宮の街づくりについても説明があります。
葵徳川三代の時は渡辺いっけいさんが演じられてましたね〜。
津川家康存命中は若い頃から重用され、西田秀忠時代に政治の中心になるも…調子に乗りすぎて皆に嫌われ、やがて発言力も失い、ついに寂しく失脚〜という一代を好演なさってました😊
話は知ってましたが、通説が出来た経緯は初めて知りました!面白いです!
あまりに根拠がないので通説は作り話でしょうが、こうしてみると江戸幕府は人事がとんでもなく属人的ですよね、、、(それも割と幕末までそうだし)
そういう人間関係のもつれや嫉妬で左遷も多かったから、こういう作り話もウケやすかったんでしょうね
秀忠期の老中のなかで先代から継続起用されたのは本多正純のみ。年齢もひとまわり上でその権威・権勢は圧倒的であり、この時期の老中首座である酒井忠世も面白くなかったでしょうね。また正純は、家康の駿府政権を支えていた駿河在勤組のメンバーであり、江戸在勤であった酒井忠世や土井利勝らとは距離があったはず。最終的には江戸vs駿河の派閥抗争に負けて政権を追われた、という現代の政治にも近い状況があったのかな、と想像します。その酒井忠世も家光の代になると老中を解任されているので、歴史は繰り返す、と言うべきか。
葵徳川三代とかでは福島処罰の審議のときには既に正純が発言力を失っていて福島家の処罰があれよあれよと厳しくなってしまった風に言われていたが、実際ははっきり意見を言っていたのですね。正純としては将軍にもはっきり反対とか諫言でもするのが誠実な仕事と思ってたのかもしれない。でも面目を潰されたから宇都宮城を返上したいというのはさすがに当てつけじみた無責任な振る舞いと見えて、秀忠がキレても無理ないですね。しかも減封を拒否するなんてのはちょっと通説通り己の権勢に慢心しすぎてたんじゃないかと思わざるを得ない
秀忠と正純の相性が良くなかったということでしょうね。やはり、家康存命中までずっと側近でいたことがあったので、秀忠を「将軍として物足りない」心象を持ってたのが顔にも出てたのかもしれない。それを感づいた秀忠が、どのタイミングで粛清してやろうかと考えたのかなぁ(だから、行きは宇都宮に泊まったが、帰りは避けたと)。
この釣り天井事件は、前から知ってますが、興味をそそる歴史上のゴシップですネ、あとは、大奥の絵島事件ですネェ ~😅😮
14:00現在の秋田県知事も佐竹さん。
オヤジ正信は3万石以上は、もらうなと言っていたと聞いたことがある。真面目な性格→将軍側近の自負→過信となってしまったのか?
本多忠勝がニセ本多と言っていたように、オヤジのせいで本多家の本流ではなかったのを人一倍頑張ってしまったという悲劇もあるように思う。オヤジ正信や家康は知っていた。
最後に立っていたヤツ勝ちということを。過ぎたるは尚及ばざるが如し、家康の金言を正純が知らなかったワケではないと思う。年齢的にも関ヶ原の遅参も一緒に経験していたハズ。小山評定からの中山道に向かった秀忠、そして宇都宮…下野の国にあまりイイ思い出が無いように思う。
安房国の大名里見氏も、当主の忠義が大久保忠隣の孫娘と結婚したことが仇になって、大久保家の処罰後に安房国から伯耆国へ転封されています。大久保家と関係が深かった大名はみんな秀忠ニュース狙い撃ちされたように思えます。