▲戦国北条フェスティバル▲
日時 2024年1月7日(日)13:30〜16:00
会場 ライブ観覧(リアル):ポニーキャニオン本社3階イベントスペース(オンライン配信も予定しています。)
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#歴史 #日本史 #大河ドラマ #どうする家康 #徳川家康 #豊国大明神 #二条城会見 #大御所政治 #解説
11 Comments
今回の「2人のプリンス」というタイトルは『秀頼と秀忠』だけでなく、『(かつての)家康と氏真』にも掛かってましたね。中々粋なタイトル。
一度謳歌した栄華を豊臣家は忘れられなかったからかな🤔
今回は、家康と秀忠の対話が素晴らしかった。父ほどの才もなく取るに足らぬ自分は、秀頼に比べ明らかに劣っていると言う秀忠に、家康は才は受け継がれていると説く。自分の弱さを素直に認められることこそが、強みだと。かつて武田信玄の家康評が、同様だった。ひ弱で臆病だが己の弱さを正当に自己評価している。それは、今川氏真が父義元から言われた”天賦の才なき者が武芸学問に励むことにより、いずれ才ある者を凌ぐ”と同義だ。戦を求める者に天下を渡さず、王道による治世への志を秀忠に託す家康の姿は、義元、信玄、信長を経て戦国期の集大成のように感じた。弱き子だった家康が父となり同じ悩みを持つ秀忠を諭す場面が、時の流れと父と子の”入れ子構造”も表していた。老いの身である家康が、若さの象徴である秀忠、秀頼に対し願った”あるべき世の姿”だとも感じた。大河ドラマ前半部と後半部が見事に響き合う協奏曲のような構成、”戦なき世を作る!”という主題テーマが基調として繰り返し現れる秀麗な演出だと思う。
相手の本拠地に赴かず自領に籠もっていたばかりに相手の実力を見誤り無謀な戦を仕掛けようとする。
皮肉なことにかつて秀吉に対して家康が犯しかけた過ちを秀吉の息子の秀頼がなぞるような形になってしまいましたね。
片桐且元は秀頼にとっての石川数正になれなかった。
お疲れさまです……、エンコード時間がかかっちゃったのかな……?
こんな深夜にお疲れさまでした〜✨💦
北条フェスティバル
興味深いです!
まさかMummy-Dさんと武士道さんがコラボするとは!
思いもよりよりませんでした😳
本作は従来の通説からかなり逸脱するので、動画制作大変ですよね💦
お疲れ様です。
「神の子」であるはずのまーくん(田中将大)も近年はかなり厳しいピッチングで見ていて辛いですね。
二人のプリンスの対比も面白かったけど、やはり元プリンスの氏真が幸せそうで嬉しかったです。
今回は個人的に『どうする家康』全話のなかで一番好きだった。カリスマ性がない秀忠の苦悩がつらすぎた。
深夜の動画アップお疲れ様でございます♪
今回の動画とは、あまり関係ないですが、「三河•遠江•駿河」の長(オサ)の時代に、家康は「殿」と呼ばれて当然です。
が、1603年に征夷大将軍となってからは「上様」と呼ばれて然るべきなのに、ドラマの中でも 相変わらず皆んなが「殿」と呼んでいますよね。
そして1605年に将軍を秀忠に譲位した後は「大御所」と呼ばれて然るべきなのに、皆んな「殿」と呼び、唯一 秀頼のみが「大御所」と呼んでいましたね。
と、同時に秀忠は「上様」と呼ばれて然るべきなのに「殿」と呼ばれているのは可笑しいですよね。