#どうする家康 #歴史解説 #戦国時代
※概要
関ケ原の戦いに勝利しても、徳川家康は豊臣家のナンバー2だった!? 家康さんがどうして征夷大将軍になったかの解説動画です。
2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」解説動画です。
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40 Comments
13:49 迫力凄いなー、怖いわ〜。😖
学生の時にきりゅうさんに日本史習いたかったです😄
人間模様を含め、社会勉強になっただろうに
でも今の年齢だから、面白いと感じるのか🤔
過去の失敗から学んで着実に実績を積むこの用意周到なところが神君・徳川家康なんですね。我々も学ばないといけませんね。
北川茶々さまの家康に対する⇒「これからも秀頼の【代わりとして】頼みまするぞ!(分かっておるな?)」のお言葉も虚しく潰え去りましたね💦💦💦きりゅうサンの解説はほぼ完璧だと思います!って私ごときが生意気ですけど😅じわじわ戦略、納得でした。秀吉さんも一見強引に見えても織田信雄さんを乗り越える為に(実力+権威)慎重に事を進めましたからね。北条討滅後の転封拒否に「チャンス!」とばかりに信雄さんを改易しました😁もう証明は不可能ですが、秀頼・茶々サイドにしても天下の大権返上は少し無理かな?でも会長職待遇か縁戚関係からの準親藩的な特別待遇の地位くらいは希望していたのでは❓と思いますが・・・しかし、のちの徳川親藩も将軍空位の備えの役割はあっても、幕府政治の参加は許されなかったはず。【高家】的存在の大名(そこそこの領地)・・・あり得るか❓他に落し所はなかったのか❓でもこういう時は「家名が続けば結構です!」くらい低姿勢でイカないとダメですかね・・・
家康さんが狸にされるのは、豊臣氏に対する判官びいき+権力に対するやっかみの為、仕方ないよね😅明治政府以降の徳川叩きの影響もあるし、堅実さは裏を返せば地味で見栄えがしない。「太閤さん」にくらべればどうしても人気度で・・・でも今は、だいぶん見直されているんじゃないかな🙂
物凄くわかりやすかったです!
「嫌われなされ!」と酒井忠次さんに言われてましたものね
わかりやすい!
本当にやらなきゃいけない事、(江戸の整備も含め )が多過ぎて 老いとの戦いだったのでしょうね~
本当に狸っぽい家康殿だけど、千姫にはデレデレなの笑っちゃいました( ^▽^)
いつも楽しく拝見させて頂いています😊どうする家康の解説を聞いて、小学生レベルの歴史が増し加えられた感じです。ところで初歩的な質問ですが、朝廷の右大臣、左大臣、内大臣の違いはなんですか?あと戦で勝って恩賞を受けるとき、〇〇何十万石って聞きますが、土地にその価値があるのか、石高とどういう関係性があるのか、とれる米の量なのわかりません。すみません、教えていただけたら嬉しいです。これからも頑張って下さい😊👍
今回も解説ありがとうございます。
関ケ原と天下人の意味合いの話はやはり誤解が多いですね。私も昔は誤解していました、というか小学校の教科書くらいだとまるで徳川豊臣戦争のように書いてました。「後見人として実効支配」というのがやはり伝わり辛いのでしょうか。幕府設立も豊臣との全面戦争宣言ではなく(これも結構誤解されてる?)持ち株会社豊臣ホールディングスの子会社として事業会社徳川実務を作った形式でやっていますし。
白兎を支えていた家臣二人、涙の退場と相成りましたね。兎を助けてくれた者たちの想いに応えようとして狸になっていく、それも何だか悲しい話ですが、豊臣を睨む忠勝が同じ目で「我が君、しっかりなさいませ!」って言ってきたら止まれないよなぁ…
家康さんは学習能力があったということですね
信長・秀吉の強引な手法の失敗を見てきた年の功もあり、手堅い老獪な手を一つ一つ打ってきたというのが、
大変分かりやすく説明されていて楽しかったです。
御成敗式目のところのラットちゃんの分かってるふりwはわかりやすいwww
徳川カンパニーで社長職を二代目に譲るとき。
「仕事が成功した時には部下の手柄」「失敗した時は上司の責任」
現代の経営者たちに言ってやりたい。
関ヶ原の論功行賞は秀頼サイドには無関係に家康サイドが勝手?に行ったのでしょうか?
於大の方が、この頃まで存命だったのがビックリです。
狸と狐の化かし合い。これからも楽しみですね。
オマケのところ、九条家に関白職に就かせる件、家康は、征夷大将軍就任とともに、"源氏長者"にも朝廷から認めてもらってます。これがデカかったのでは!
足利義満の前例で、武家、公家共にトップになるみたいな!(豊臣氏は公家)
征夷大将軍だけでは、足利氏が権威を落としてしまったし!
今日も楽しい解説ありがとうございます😁ドラマの中では征夷大将軍の座を落ちてたから拾ってきたみたいになってたけど、実際はどうだったんですかね、簡単に征夷大将軍になれたんでしょうか🤔
なんか今回徳川幕府開闢って言ってましたが初めて聞きました😅
秀吉は身分の関係で将軍じゃなくて関白になったのに、秀頼は家康から譲られて将軍になれたんですか?
今回の動画を拝見し、関ケ原は豊臣家臣団の内輪もめだ、というお話を伺って、「秀忠遅参」は家康の作戦のような気がしてきました。徳川本体はほぼ無傷で戦を終え、主に消耗したのは豊臣家臣団だったわけですから。
2:53 5:06
分かりやすくて面白味が増します
大河を見ながら夫婦で「ん?関ヶ原ってなんだったんだ?」って話になり答えが出なかったんですけど…
この動画でよくわかりました✨
夫に説明しなくっちゃ!
「殿を守って死ぬのがわしの夢じゃ!老いなど認めん!」
あまりにも強すぎたために、自らの夢を果たせなかった男、本多忠勝
最高にコメディでもあり、悲劇でもあり…。そして、最高にカッコ良いです。
家康さんは若いときから大名で第一線で戦ってきたうえに、忠義に篤く百戦錬磨の三河家臣団がついてますから
用意周到で老練な名人芸な感じがします。
あと、「織田がつき羽柴がこねし天下餅、すわりしままに食うは徳川」と言われますが、
家康さんからしたら「わしは織田と一緒についているし、羽柴といっしょにこねてもいるわ!」
って思ってるのかなと。
「頼朝の源氏」というより「足利一門の新田の本姓」というニュアンスだったんでしょうけど、豊臣姓での将軍任官の先例を作らないためという側面には気づきませんでした。
今回のオープニング凄く良かったですね🎵🎵🎵
豊臣秀頼の成長を刻む柱の傷……その柱に家康を護ってきた古くからの家臣達が、亡くなっていく度に赤い刀傷が付く(涙)
平八と小平太の槍試合、泣けました((T_T))
鳴くまで待とうホトトギス…ですね〜
家康のジワジワは、関ヶ原から大阪の陣まで14年という年月を老年である家康が使ったことからいかにジワジワかが改めて分かる
家臣同士の闘いということでしたが、徳川ファミリーのみんなは「ついにこの日が来ましたな」って喜んでましたよね。
この時、徳川ファミリーだけは裏の目的を暗黙の了解でわかっていたと言うことなのでしょうか?
茶々は「秀頼が成人したら関白に」と考えていたのではないでしょうか。関白は天皇の代理人、征夷大将軍は天皇に任命される役職。関白の方が上だという理屈は成り立ちますから。
亀の甲より年の功。
健康で長生きして経験を積むという事はかけがえのない事ですね。
豊臣カンパニーで家康は副社長、三成は総務部長クラスでしょう。
要するにグリプス戦役ですかね。
御三方こんばんは
(たらればですが)
秀吉とねねさんとの間に子ども(嫡男)がいれば秀吉死後は40代だろうから政権基盤は固まっているだろうから分裂対立もな かった
「秀次事件」もなかった(嫡男がいるので養子が不要)
なので「関ヶ原の戦い」なんて起きなかったでしょうし、、、
「関ヶ原の戦い」がなければ毛利氏の減封もなかったわけで、
回り回って明治維新は起きたのか❓
ってなことを妄想したことあります
いつも楽しく見させて頂いています。
あれ?豊臣姓でしたか?羽柴姓だったと、聞いたおぼえがありますが?
ラット~!
ちょっと
呼んでみただけ~🎵
いつも、楽しませて頂いてます💗ありがとうございます。
お三人のトークを聞いてると日々のうさがふきとびます☺️
ところで、きりゅうさん、教えて下さい。子供の頃から心にひっかかっていながら、特別不便もないのでスルーしてきた疑問なのですが😂、ドラマの中に時々出てくる日本地図や大名の領土配置図について、当時、日本全土の姿や方位など、どのようにして、どの程度、把握されていたものなのですか?
ほぼ正確な日本地図を伊能忠敬が作るのは、確か200年くらいあとだと思うのですが。
得川が平氏じゃなく源姓で良かったね
徳川に事務処理できるのが一杯いますよで、正信Jr正純が出てきましたね
源性に戻した際は「征夷大将軍になるつもりだ」と公家の日記に書かれたり、噂になったりしてますよね
それにしてもお爺ちゃんの清康さんの先見の明……いえ、さすがに征夷大将軍になるとは思ってなかったでしょうね😆
きりゅうさんに質問します。中国で文武百官と言いますが文官も戦いに参加したのですか?
やっぱり征夷大将軍は、本多正信が考えたんですかね?
面白いお話、ありがとうございます。近代的カンパニー制度の視点から関ヶ原を伺い知ることができて、目から鱗でした。
石田三成は専務のイメージがないような!人事課長みたいなイメージ!