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井伊直政 (中世武士選書39)
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#歴史 #日本史 #大河ドラマ
31 Comments
井伊直政ありがたいです😊
息子の直孝もすき
いつか井伊直政視点の主人公の大河ドラマが観てみたいですね😀
関ヶ原のMVPは直政だと勝手ながらに思っています。異論は認めない
井伊とかいう家康の〇フレ
系図内の直政さんの母上が「奥村娘」と書かれてますが、「奥山氏」では無いでしょうか…?
もうちょっとがたいの良い人に演じて貰いたかった
井伊家ってそんな由緒正しい家柄なんですね
幕末まで大名家で存続した鎌倉武士の家柄といえば、毛利家とか?
井伊直政の死因について関ヶ原の怪我が原因とよく言われるが亡くなるまで間があるので直接的な原因で無い可能性がありますね。
一部では過労死なんて説もあるそうで・・・。実直な性格が偲ばれます。
井伊直政さんは、知ってます。井伊の赤鬼有名ですね🐯彦根城には、ゆるキャラひこにゃんいます可愛いよ、直政さんは、関ヶ原の戦いで鉄砲で撃たれて、それがもとで若くして、なくなったみたいですね🐯ちなみに幕末有名は、直弼さん、あだ名は、ちゃかぽんです🤣
これだけ厚遇されたのに幕末の時代にあっさり政府軍に寝返るんだから時の流れは無常だね
「大政所に気に入られた」事が、豊臣政権という枠組みの中での井伊直政の出世に少なからず結びついてたような気がするな。
おんな城主直虎、最初から観たいです。武士道さんの解説と共に!
大河ドラマの井伊直政の役者さんは小柄ですが、実際の井伊直政は本多忠勝や榊原康政より背が高かったそうです
本多忠勝と井伊直政が戦したら、どっちが勝つのかな⁉︎
大河の井伊直政はキャスティングミス。
うちも南北朝辺りから武家になった。鎌倉時代は神主だった。
家康に厚遇された井伊直政を見て他の家臣が「いいなおまぇさん」と言ったとか言わないとか。
連続しての解説、ありがとうございました!!
通説?では、関ヶ原で致命傷を追わせた島津義弘や真田昌幸の取次もしていたと聞きましたが、今の時代でも命のやり取りで「恨み」や「しこり」が残る時があり戦国の世でも例外ではなかったと思います(大事な家臣・家来が死に、その家族や仲間の悲しむ姿を見れば)。それでもオフサイド精神の如く尽くせたのは、武田の旧臣達を手懐けた経験からでしょうね。
島津vs井伊
この因縁は幕末に
斉彬vs直弼になるんですよね😊
どうする家康の井伊直政役、童顔すぎて髭が全く似合ってないwついでに言えば髪型もw
おんな城主直虎の中で直虎が「鎌倉様から頂いたどうのこうの…!!!」と言っていたのをうろ覚えながら鮮明に覚えている。それで井伊家は名門かつその自負を持っている家なんだというのはなんとなーく知ってた。いきなり重用したのも、外交に回したのも、また頼朝と張り合ったことすらある武田家の遺臣を預けたのも、家康はそこを重用していたという事なのですね。
井伊家第16代当主の井伊直愛さんは、1953年から連続9期、彦根市長を務められました。
直政は、もともと家格が高く能力も優れ判断力もあることから、天正壬午の乱での北条氏との和睦の使者として若くして交渉をまとめ上げました。朝廷からも従五位下、そして侍従に任官され、昇殿を許されているのは徳川家臣で彼だけで、他の家臣とは別格の存在です。その上、徳川一門衆の序列でも高位にあり、家康の養女を妻に迎えているのですから、最強ですね!小牧・長久手の戦いでは、池田恒興、森長可を討ち取る武功もあげているので、関ヶ原の戦いでの島津氏との交渉がうまく運ばず西軍参加となったことには、かなり負い目があったのかもしれません。だから、離陣する島津軍を追撃する行動に出たのかもしれません。彼の武勲以外の功績は、本能寺の変後の伊賀越えでの尽力と関ヶ原の戦い前の交渉でしょう。伊賀越えの後、家康から陣羽織を拝領していることからも、その功績の大きさがうかがえます。豊臣恩顧の武将(加藤清正や福島正則)を黒田長政を通じて東軍に引き入れたこと、真田信幸を父弟から離し東軍側へと導いたことです。関ヶ原の戦いでは、先発隊として家康の名代となったことも、彼の地位の高さを示しています。これだけの事績があって、わずか42歳で亡くなっているのは、ある意味人生を全うした感も持ちますね。
ドラマで登場してすぐの時は小生意気なヤンチャ小僧やったけど、関ヶ原で抜け駆けして先陣を切っちゃうあたり、案外そういうとこあったのかも〜
井伊直孝も赤鬼、そして井伊直弼も赤鬼と当時渾名されたのが面白い。
日の下いちの
草履係のシーンは
なかったですね。
明智の子供を
徳川に引き渡そうとして
和尚さまに止められるたり(笑)
秀吉が生きている頃石川数正と同席した際、面罵し退席するシーンが欲しかったなぁ。
島津は、東軍に参加すべく伏見城に入城しようとしたところ、事情を知らない鳥居元忠が追い返したため、西軍についたという話を聞いたことがあります。武士道さんは、聞いたことがありますか?
なるほど、「青天を突け」の中で、紀尾井町の地名の説明で、紀伊・尾張・井伊>水戸という扱いだったと言及されていましたが、家康の時代から井伊家は徳川一門並みの扱いだったんですね。
徳川家臣団の中では、
血筋は抜群に良かったようですね。