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#歴史 #日本史 #大河ドラマ
31 Comments
12歳で嫁いできたまつにすぐ子供産ませてるの破天荒でいいですよね
利家とまつ。これ見ると利家の生き様よくわかります👍
大江輝元って一瞬誰のことかと思いましたが、毛利氏の祖先は大江広元でしたね。
石高から言っても官位から言っても家康と利家との差は明らかです。
家康って最終的には豊臣家を滅ぼしたけど、信長と秀吉は裏切ることはなかったから当時の人からは信頼できる人物だと評価されてそう
大江輝元(毛利輝元)とありましたが、大江とは、鎌倉時代のあの『大江広元』ですかね。
秀家の5番目が結構上の方だと意外に思いました。
まだずいぶん若かったと思いますが。
めっちゃ期待されていたんだなと思います。
活躍をもっと映像や書籍で見てみたいですね(ᵔᴥᵔ)
数年前に、加賀を訪れました。小京都らしい雰囲気だったと思います。有名な「兼六園」も訪れました。素敵な庭でした。江戸の徳川時代になっても、「加賀百万石」として、栄えていましたよね!!あの「東大の赤門」は加賀に徳川将軍家から姫君を迎えるために作られたものが今でも残っているのですよね!!
たいへんためになる動画、ありがとうございます。ただ、一点だけ、縦書きの場合は、右側から書き始めますので、左が序列が高いに若干の違和感を感じました。最も官職が上位である内府を筆頭に右から記した方が自然かなと思いました。
家康に次ぐ実力者に違いはなかったが、寄る年波に勝てず
豊臣の天下を家康に預ける形になってしまった印象が強いかな?
仮に両軍が対峙しても前田が敗走しそう。
金沢に生まれ金沢に育ち
はや⁉️57年
金沢市民は
利家様 リスペクトしている方が多いと思います
実際は先祖が
一向宗でなぶり殺されている方が多いですけどね
現在
地元の北國新聞で安倍龍太郎先生の
銀嶺のかなたという時代小説が掲載されております
今現在 賤ヶ岳
柴田様を裏切ったのではないという見解で進んでおりす
佐久間盛政の三兄弟の抜け駆けで
利家の裏切はなかった!というけん
気の置けないって言葉をちゃんと使える人を初めて見ました。流石です。
子供がいなかった秀吉と高台院に溺愛された豪姫の影響は大きいでしょうね。
小牧長久手の戦いで完全敗北したはずの徳川家康がその後めっちゃ優遇されている理由は何なんでしょう?最新学説ではどうなってるか知りたいですね。不思議です。
誰とでも仲が良い家康、敵をつくらない、憎めない性格だったのかも。
賤ヶ岳の戦いでの加増について武功を上げていない利家に対しての不満が、後世の柴田勝家への裏切りとして語られたのですね。理由はちゃんとあり、秀吉と利家との密接な関係が大いに起因していますね。親類衆が少なく本当に心を許せ信頼できる者がわずかだった秀吉にとって、利家は昔から知っている気心の知れる相手だったろうと思います。特に、立て続けに一門衆を失った晩年は、秀吉の唯一とも言える存在だったはずです。利家が北陸を守ってくれていることも、大きな安心を与えていたと思います。戦国大名は互いに、婚姻を基にして関係を強化していくものですが、麻阿姫(利家の娘)を自邸に住まわせながら秀吉の側室にするという離れ業が可能だったのも、二人の信頼関係の強さあったればこそでしょう。
家康はを、ここでも流石ですね!利家との関係を良好にして、息子秀忠にご指南を願うと利家に頼めるあたり、只者ではありません。表立って誰とも対立関係にならない、これが家康のポリシーで成功の秘訣かもしれません。
個人的には、秀吉死後の2トップとして、家康と共にもう少し長生きして欲しかったと感じます。彼が存命であれば、関ヶ原の戦いはあの時点では起こらなかっただろうし、唯一茶々を説得できたのは利家だと思うので、あのような悲劇的な大坂の陣は起こらなかったのでは?!と感じます。
勝家ファンからすると
利家なんて裏切り者以外の何者でもない
家康、秀吉はいろんなタイプの俳優が演じるけど、犬千代様はいつでもイケメン俳優❤
叔父御が死んで
前田慶次が
和平の使者に
なるんですね。
大河ドラマ利家とまつ観てました。まつ役の松嶋菜々子さん、利家さん役唐沢としあきさん演技とはいえ凄かったです。大河ドラマ大好きな、私は、利家とまつも、最終回迄観てましたよ。🐰🐰🐰ちなみに今どうする家康では、松嶋菜々子さんは、家康さんのお母さんおだいさん役です。
早くから秀吉とともに信長に仕え
長屋では隣同士でお互いの祝言では仲人をつとめあった仲
秀吉にとっては唯一無二の友だった(メロスで言うセリヌンティウス)
実に内容の薄い回ですね。
何故、取り上げたの?
織田家臣団の中でも、利家は信長の若い頃からの子飼いの弟分。家康も信長の舎弟のような関係で、姉川の戦いや長篠の戦いなどにも味方として同陣しているし、信長の死後、秀吉に臣従したということで、年も近い家康と利家にはお互いに通じるものがあったかも。若い頃は傾奇者、槍の又佐として歴戦の勇士である利家にとっては、石田三成などの官僚タイプの武将より、同じ歴戦の武将である家康の方により親しみを感じたでしょうし。また足利将軍家や武田家、今川家など数々の名門大名が次々と滅び、信長、秀吉と実力ある者が天下人となったのを真近に見てきた家康、利家にとって、やはり戦国の天下人は名よりも実力ある者がふさわしいという共通の認識があったのでしょうね、同じ五大老でも毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝は、偉大な先代(毛利元就、宇喜多直家、上杉謙信)から家と領土を引き継いだ第二世代。家康や利家は自らの実力で上り詰めてきた創業者タイプなので、いわゆる「最近の若いモンは・・俺らが若い頃は・・なんて会話でも気が合ったのでは」
妻(まつ)がねね(秀吉の妻)と仲が良い。利家は、味方に対し騙し討ちをしない。(律儀者)でも、敵に対しては、トコトン潰す。
何回同じことやる?
利家は秀長の代わりに台頭した辺り他の大名や武将たちが相談しやすい様な人柄だったんでしょうね。
正則、清正ら武闘派からも三成ら官僚派からも敬意を持たれていた印象があります。
豊臣政権の序列(8:45)で何故、家康を豊臣一族より上にしてしまったのか。
2代3代と世代を重ねてゆけば変わったと思われますが、単純に見ると脇の甘さを感じますね。
戦国の世だと、槍の又左としていくつもの戦場を生き抜いてきたってのは尊敬を集めたでしょうね。
今でも大河ドラマ・利家とまつ・のいろんなシーンが思い出されます・・
利家は信長の小姓でもあったようですが、今世間を騒がしているジャニー喜多川に対してのジャニーズJr.のように信長の夜の相手をさせられていたと聞いたことがありますが、どうだったのでしょうか?
利家って人から頼られるいい人だったんだろうなってこの話をきいて思いました。