今回は、「徳川四天王の最期とその後」をテーマに、家康を長年支えた「徳川四天王」の最期の様子とその子孫について紹介します。
※本動画は「どうする家康」のネタバレを一部含みます。
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0:00 オープニング
0:48 酒井忠次
3:35 井伊直政
6:57 榊原康政
9:28 本多忠勝
13:14 参考文献のご案内
についてお話しています!
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8 Comments
忠次の死は大河でも描かれましたが、残り三人はどのように描かれるでしょうか。特に直政被弾のシーンがあるか目が離せません。
今週も早々に動画ありがとうございます。酒井忠次の最期、泣けました😭死を悟って手伝う奥さんも良かったです。できれば数正のこういうシーンも見たかったですね。
とても面白かったです。それにしても、四天王の中で酒井家だけが最後まで幕府軍と行動を共にしたとは、意外でした!でも、結果的にそれが勝利となるのですから、正しい選択だったのでしょう。
榊原康政は秀忠の指南役だったため関ヶ原の戦いに間に合わず、参戦なしでは所領加増もなかったのは、残念です。また、後年子孫が遊興三昧での額が途方もなく高額で、驚きました!質素倹約を旨とする吉宗には、考えられない反抗と映っても、当然ですね。康政もきっと、草葉の陰で呆れていることでしょう。改易に遭わなかっただけでも、儲けものです!本多忠勝が一切幕政に関与していなかったのは、意外でした。子孫は10回もの転封、大変だったろうと思います。別の意味での子孫の苦労ですね。
家康は、この4人の誰よりも長く生きたのは、趣味の薬作りの効用でしょうか!?
お疲れ様です。
忠次の最後、良かったですね。泣けました。「天下を取りなされ。戦が嫌いな殿だからこそ出来る。」やぁー、感動しましたぁ。😭
秀吉の最後も良かったですね。信長に認められてた家康に嫉妬しながらも、本当は好きだったとの本心を吐露する場面。次の天下人は家康、うまくやりなされ、最後まで先を見通せた秀吉の聡明さを感じました。茶々、怖かったぁ。でも、秀吉を抱きしめて泣くシーン、彼女の複雑な心情が表れていました。今後の天下取り、どのような展開になるのか、楽しみです。
以前に先生の動画で、四天王の酒井忠次は目の病で晩年悩まされたとあったので、今日の放送が最後になるだろうな~とは見てましたが、あのような最期は流石に涙💧でした。
先日夫婦で関ヶ原古戦場に事前勉強をしに行きましたが、榊原康政が古戦場に居ない理由が秀忠の方に着いていた事を 古戦場の説明でしりました😅
秀吉の最後、圧巻でしたね~まさにくたばる!😮
ムロさんの家でお二人で稽古をしたそうです。
関ヶ原での四天王3人の活躍が楽しみです、茶々と秀頼の最後はどう描かれるのかも。
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維新の時に新政府側についた井伊家は一度城を明け渡したものの
後に井伊家に返され昭和19年に市に寄贈するまでは井伊家の持ち物でした。
あと、細かくてすいませんが、「先手役」は「さきてやく」と読みます。
「せんて」読みは囲碁将棋用語が元だと思います。
お役での読みは「さきて」のようで「御先手」とは江戸幕府では前線に配置される足軽を指します。平時は江戸の治安維持部隊と考えられていたようです。
本多氏はなぜ転々とされていたんですか? 何か幕府の顰蹙を買うようなことをしたのでは…