【どうする家康】加藤清正のその後…死因は徳川家康による毒殺ではなく性病だった?【歴史雑学】
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6 Comments

  1. 加藤清正は都内でもあちこちで名前が出てくる土木の神様ですね。明治神宮には珍しい横堀の井戸『清正の井戸』があったり池上本門寺の階段を作ったり加藤清正公を祀る清正公堂が有る覚林寺は高輪に有ります。熊本城、名古屋城の事も考えるとかなりの働き者ですねw

  2. 確かに梅毒の症状にも見えますが1611年から豊臣恩顧の大名がやたら亡くなってるのでやはり私は家康による毒殺説を支持したいと思います。

  3. 秀頼成人で家康との会見の時も娘婿の頼宜の舅としての出席優先で、同じく二条城の会見に臨んだ浅野幸長は尾張義直の舅としての参加で年頭のあいさつには出てないんですよね。もうこの時期になると既に豊臣との恩顧はリセットされた感… 正室(家康養女)との娘が紀州家、側室腹の娘が榊原で嫡男には家康血筋の正室と徳川づくしで暗殺してもメリットないですね。最後まで看病したのが正室と正室腹の娘。家康が毒殺するんだったら離婚させてたろうからあまり考えにくいかな? 清正亡き後は外様で一番信任してる藤堂に忠広の後見人やらせてるし

  4. 性病持ちの女性と意図的にやらせたっていう話もありますね。

  5. 豊臣家にとって加藤清正を失ったのは残念ですよね。清正は本当に病死だったのでしょうかね?

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