今回は豊臣秀頼の誕生をテーマに茶々密通説の真相を探っていこうと思います!
※本動画は「どうする家康」のネタバレを一部含みます。
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0:00 オープニング
0:53 秀頼の生母 茶々
4:16 秀吉との結婚 ー側室ではなかったー
6:47 豊臣秀頼誕生
8:42 疑惑の子
13:14 参考文献のご案内
についてお話しています!
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福田千鶴『豊臣秀頼』(歴史文化ライブラリー)
秀頼の生涯を概説しており、密通説にも言及されています。
ただし、密通説はやや感情論に見える箇所もあることから割り引いて読む必要はありそうです。茶々や秀頼について詳しく知りたい方におすすめです!
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黒田基樹『お市の方の生涯』(朝日新書)
戦国期研究の第一人者の一人である黒田基樹氏によるお市の方の解説書です。戦国の悲劇の女性として有名ですが、同時代史料は少なくその実像は不明な部分が多く、できる限り信頼できる史料を使ってその生涯を紐解きます。浅井長政について知りたい方にもオススメです!
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矢部健太郎『関白秀次の切腹』(KADOKAWA)
動画内で紹介した秀次事件の新説が紹介されています。大河ドラマ「真田丸」でも採用された秀吉が秀次を切腹させる気はなかったことが同時代の史料を用いて解説され、非常に説得力があります。
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https://youtu.be/60ApvemJJwE
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■今回の時代のキーワード
#どうする家康 #大河ドラマ #徳川家康 #豊臣秀頼 #茶々 #豊臣秀吉 #淀殿 #淀君 #北川景子
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16 Comments
すごく勉強になります。最近はドラマよりもこの解説動画の方が楽しみです。
【今日の補足】
今日もご視聴ありがとうございます!補足解説をさせてください!
正妻寧々の認知について
当時の正妻の権限を考えれば、十分に可能性はあるということで紹介させていただきました。
当時は男性当主と正妻が認知しなければ、子供は存在しないのと同じになります。築山殿が結城秀康兄弟を認知せず、秀康に双子の弟がいたことが最近まで知られていなかったのもそれが理由です。正妻の権限なども含めて、詳しく説明していますので、こちらの動画(https://youtu.be/dSYJhYA4NFM)もお時間のある方はご覧いただければ嬉しいです。
今回紹介した新説には異論もあるかと思います。こうした視点・ユニークな説もあるということを知っていただければと思い紹介させていただきました!
この時代は本当に研究が進んでいるので、今回紹介した説も議論が深まってより真相が解明されることに期待したいと思っています。
茶々の呼称について
5:07 で「御上様」を「おうえさま」と読んでいますが、黒田基樹氏の『羽柴家崩壊』に、「『駒井日記』に記述から「おうえさま」と呼んだことがわかる」とのことだったので、「おうえさま」と読みました。ただし、「御上様」は「おかみさま」という読み方もあります。「かみさん」の語源ですね。
お疲れ様です。
来週の予告から、秀頼の父親は秀吉なのか??路線で行きそうなのかしらと思っていたので、この動画はグッドタイミングでした。茶々が側室ではなく、妻であるなら、秀頼は秀吉の子だろうと思いますが、ドラマとしては密通の子とした方が面白いですね。
北川景子さんの女狐ぶりが良かったです。今後も女狐ぶりに拍車がかかってきそうですね。元将軍の義昭、久々に出てきて、一番上に立つものの寂しさを語る場面、秀逸だと思いました。
高台院公認の子が茶々のみだった説って鶴松絡みのエピソードから見てもちょっと無理あるよなぁ。
「豊臣家滅亡に際し、秀吉と秀頼には何一つ落ち度は無かった」という結論ありきでひねり出された牽強付会じゃね?と思ってしまう。
秀吉に他に子供がいなかったことは事実かなと思います。天下人に実子の後継者がいないのは非常にまずい不安定な事態なのに正妻のねねが数多くの側室/別妻に子どもを認めなかったというのもあまりにも不自然かと。(悪妻過ぎませんか?)
つまり秀吉には生来子作りの能力がなかったという説が説得力を持ちます。
鶴松は秀吉の命での托卵であるのが公家の記録にあり秀頼誕生の際、浮気による懐妊に秀吉は寧々には秀頼は実子ではない事を伝える手紙、茶々には激怒の手紙を送った上で彼女に仕えた侍女たちを監督不行き届きで処罰したそうです。
長浜城主時代、秀勝という嫡男が居ましたが秀勝も元々他の男の子供を身籠っていた側室から生まれた子で実子ではなかったんじゃないかと思います。
朝鮮出兵・秀頼実子疑惑説・秀次事件などが豊臣政権の謎と思っています。新しい学説が出てきて解明に一歩一歩近づきつつある感じですが~秀吉さんの妻妾が多いことから、精力抜群(笑)だったと思いますが⇒いわゆる【種なし】説についてはどうお考えですか?茶々との間だけ、子造りの相性が良かったのかな?🤔他の妻に実子が生まれても認知されていない可能性説にはビックリしました。頷けなくもないですが、出生した場合に全く後世にその事実・存在が伝えられないことがあるのでしょうか?もちろん他の有名な妻たちに子が出来なかった可能性もありますが・・・まぁ出生してもその場合~ご落胤ですか😅いたとしても秀頼の存在の前では認知されない可能性は否定できませんね💦
でも近江長浜時代に石松丸秀勝が出生していると伝えられています(夭折?)実子説・養子説・非実在説と解らない点も多いですね・・・実子としたら北政所に認知されたのか?養子だから認知云々とは違うのか?謎は深まるばかり😁長浜市の今も続く【曳山祭】は秀吉公*男子出生を祝って始められた伝承があると聞きます。後の養子たちに(信長四男ら)秀勝と名付けたのに秀吉公の想いがあるのでは?と思いたくなります。
【追加】茶々密通説は後世の(徳川政権の)豊臣貶めの意図の理由が強いと私は思います。&他のコメントに⇒北政所認知拒絶説に「こじつけ」とされるご意見もあるようですが、新たな学説をご紹介されることは意義があると思います。もちろん精査は必要でしょうが・・・
ドラマでは名護屋に茶々が居ましたが、懐妊時大坂に居たのではないかという説もあるのですよね。となると…
来週の展開が楽しみです😊
先生、喉の具合はいかがでしょうか?ライブ配信、ご無理なさいませんように😄
怨念の塊 茶々やからうまいことやってそう
秀吉は低い身分から成り上ったからこそ血を分けた肉親は多い方がいいわけで
寧々が認めなかっただけでというのは説得力が薄い気がする
密通というより私は積極的に名目上の秀吉の子を茶々に産ませようとしてたんだと思います
「茶々の父親は信長」という説もありますね。茶々の妹の名前が「初」、浅井家の記録に茶々の誕生がない、等。「秀頼の父は秀吉ではない」説には、江戸時代の茶々を貶める空気に合いますが、「茶々の父は信長」説には、そういうデマを創作する動機が見当たらない、とか…
日本史サロンさんは、秀吉側室(一応この名称で)×三百人説にはどうお考えですか?😅(出典はルイス・フロイスの【日本史】だったか・・・)もし、余裕がございましたら、『秀吉の妻妾・全部紹介』なんてモノも出して頂けると嬉しいです。😃
寧々以外の数いる側室に子ができていたのなら、
当時の秀吉の権力なら、後継者に認知させていた
と思う。茶々の子は認知したのだから。生まれた子が
男子ではなかったのかもしれないが、実子をさしおいて
秀次を後継者に任命するのは、秀吉の性格からしてしな
いかな?と思う
若いころから秀吉はあちらことらで精力を使い果たし、
晩年に茶々に子ができた…いうのもやはり疑わしい。
家康のように身体をケアしてこなかったと思う。
しかも秀吉が晩年の時だし。
また、秀頼は結構大柄な男子だったと聞いたことが
あり、そのあたりも大野治長似なのではと思う。
秀次が先走って切腹してしまった…というのは
「真田丸」でもその説をとったシーンがあったので、
やはり最近の研究では「秀次先走り説」が有力視
されているのかなと思う。
寧々が承認しなかった説っていうのは、側室が子供を産んでいる記録が確認されてるんでしょうかね?
秀吉に実は子供がいたとしても、一切記録が残ってないとするとそれは不自然な気がしてしまうのですが…
ひでよりさんお父さんは、秀吉さん❓家康さん❓他?謎です
こんばんは