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#戦国時代 #歴史 #日本史 #大河ドラマ #どうする家康

20 Comments

  1. 徳川家康の移封先が北条旧領で255万石(結城領10万含む?)なので、1万石あたり350人動員計算でざっくり兵力6万人。
    各城に配置する防衛部隊を考えると、小田原本城に3万5千人は妥当か。

  2. 家康はやっと悩みながら秀吉に付いたけど、最後まで豊臣秀吉に楯突いたのが北条氏政と氏直なんだけどね…
    さて大河ドラマでやるかどうか見ものですね〜

  3. 北条は秀吉に降伏するには、中途半端に強過ぎたわけだな。
    せめて家康よりも先に降伏していれば歴史は変わったかもしれないな。

  4. 戦ったと言うより防衛でしょ。専守防衛に徹しただけ。現在の日本に通じる(笑)

  5. 家康が小牧長久手の戦いでそこそこやれちゃったことが北条の判断を迷わせたのかもしれませんね。
    「ウチもちょっと手強いところ見せれば秀吉に降るにしても徳川みたいに厚遇されるかも」と思っちゃったのかも。

  6. 関東の雄北条は名門としての誇りがあり、家康に対するように秀吉が人質を送ってくるなどの一目置いた対応があれば、もう少し上洛に対する不安もなかったのではないか。お互い相手への腹の探り合いをしているうちに、戦へとなだれ込んで行ったように見える。小田原城が総構えという強固な守りを持つ城だったことも、籠城戦を戦い抜いてきた北条にとっては、勝敗の判断を誤らせたのだろう。かつて武田信玄の包囲にも屈しなかったという史実から、北条側には戦っても互角だろうという認識があったように思う。
    しかし、かつてのように群雄割拠の時代ではなく、秀吉がほぼ統一を成し遂げつつある情勢だという認識がなかったから、秀吉傘下のオールスター22万対3万5千という膨大な兵力差に気づけなかった。仮に気づいていたとしても、北条の領土を狙う秀吉の前には、どんな策も奏攻しなかったかもしれないが。地方有力大名が、統一政権に飲み込まれていく姿として、戦国期の最後を飾る戦だと思う。

  7. なるほどです!大河ドラマ真田丸の時のイメージしかなかったけど、よく分かりました!ありがとうございます😊

  8. のぼう様こう見るとやっぱすごいですねw

  9. 家康の時は、まだ秀吉に抵抗する勢力、それこそ北条がいたけど、もう、この時点だと秀吉に従わない大きな勢力なんて北条と伊達ぐらい
    もう総仕上げって時に実力見せる為に頑張っても、秀吉からしたら鬱陶しいだけじゃないのかなぁ

  10. 久しぶりの動画投稿ありがとうございます!
    武士道さんの動画は面白くて為になるので、体調には気をつけて頂いて、これからも動画投稿楽しみにしております😊

  11. やっぱりプライドなんかな?コメ欄読んでても思いました。北条は貢献度より家柄のプライドで見誤ったのかな。過去の大河でもそんな描かれ方されてる気がする。

  12. 北条には運がなかった。
    徳川にはあった。

    北条は愚かだった。
    伊達は賢かった。
    もしもは無い。

  13. なんだかんだ紆余曲折を経て
    ファンクラブ登録完了致しました。
    これからもYouTube動画と併せて楽しみにしています☺️

  14. 島津やら長宗我部やら佐々が本領安堵されたり後々許されたから自分たちも何とかなると思ってた節は有りそう

  15. 北条がさっさと軍門に下って所領安堵されてたら、家康の徳川幕府も無かったかもしれないからなぁ

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