#石川数正 #歴史 #解説
※概要
小牧・長久手の戦い後、秀吉との臣従を勧めて孤立した石川数正。家康の宿老の石川数正が、秀吉のもとへ走ったのは何故なのか? 諸説を交えて紹介します。ただ最後は例によって、きりゅうの妄想になっちゃってます。スミマセンw
2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」解説動画です。
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47 Comments
秀吉は昔の自分の農民だった
親類をみんな
惨殺してるし
朝鮮出兵は
新しい領地を大名に与えるために
土地がなくなったから他国から
取ろうとしてるし
敵将を倒した
あかしに
耳を切り取り
首がわりにしてる
秀次事件は
秀次身内
全て惨殺してる
頭がおかしくなったとかしか
思えない
数正は
その後
家康に合うことはなかったのかな?
あって話をして欲しかった😢
きりゅうさん
興奮しすぎ😅
たしかに
45分間
こんかいは釘付けになりました😢
英雄たちの
アナンウスと
孤独のグルメだけでないなー
ファンになりました🎉
同一リーグへのFA移籍みたいなものかなぁ
なんかきりゅうさん髪色変わりました?
石川数正さんは家康を生かす為に出奔したに一票いれたいですo(^o^)o
朝鮮出兵はスペインだったかのヨーロッパ辺りの海外からの侵略をさせないために必要だった説を聞いたことがあるんですが…キリシタン禁止もそこら辺が関係あるとかなんとか
日本統一を果たせたからこそ日本の海外からの侵略の危険に気づけたのかなー?なんて思ってます
唐入りは戦国の世が終わりに向かい仕事を失いつつあった多くの武士のための公共事業の側面も強いと思います
この仕事を失った武士(浪人)問題は江戸時代の綱吉頃まで尾を引っ張る大問題だったはずですので
その妄想に乗ります(笑)
石川数正の名乗りですが、伯耆から隣の出雲になってましたね。
数正が出奔したために軍政とかお城の秘密とかを変えないといけなくはなりましたよね。
大坂をじかに見て、ねねの戦は嫌とかは瀬名の考えに通じますね。
数正の解説ありがとうございます✨
今川での人質時代から側にいて、家康の側近中の側近である数正が家康の不利になるだけの出奔はしないはず!!
とゆう永年の妄想が間違いではないかも?とゆう希望の見える解説、ありがとうございました😂
瀬名ちゃんが良い人なのは今回の大河独特の設定(実際はどちらだったのかは不明ですが)ですけど、私は今回のきりゅうさんの解説は妄想じゃないのでは??とワクワクしながら動画を見せていただきました。
く〜さんの『茶々のせいなの?』には爆笑しましたが、私もずーーっとそう思っています😁
沢山いた側室や正妻には子供が出来なかった事を考えると、秀吉に殺された両親の復讐に燃えた淀殿が誰ぞと作った子供を利用して秀吉を誑かした…とか 笑っ
そういえば、以前数正が好きでいろいろ調べていたら嫡男の康長の他に成綱とゆう人が長男だとゆう記述を見たことがあります。
いわゆる康長より先に生まれた側室の子供なのでしょうか。
妄想でも何でも、そのようにしか思えません。家康の出兵を停め、秀吉の出兵を止め、さらに神に祈祷して地震まで呼び寄せたのが正解だと思います。
孤独の石川数正、最後の交渉
いつもとても楽しく視聴させていただいてます♫歴史が全然わからなかったんですが、このチャンネルのおかげで興味が出てきました。ありがとうございます♫
昔の滝田栄さん主演の大河ドラマでも、石川数正は敢えて悪役となる為に出奔した…という描かれ方でしたね〜。
ドラマ的には美談なんですけど…私は単純に徳川家臣団の中で孤立したんで打算もあっての出奔だったと思います。数正もやはりお家第一の戦国武将の一人でしょうから。
数正が見て来た大阪の繁栄‥カメラ1つあったら‥「ほーら、こんなに違いますよ。」って言えたのに。実際見た人とそうじゃない人の温度差が悔しいですね。 ドラマの家康と数正2人のシーンが、悲し過ぎました😢ありがとうございました🙏❣️
松本城の
月見やぐらは
いつか家康殿と
二人で月をみて
酒を呑める
ために作ったなら
よいなー😭✨
思っていることと真逆のことを、カラ元気で家康に伝える数正こと松重さんの演技が素晴らしすぎて泣きました。😭
「自分はどこまでも殿と一緒です」と、2回繰り返してたの良かったです。
家康を、三河を守りたかったんだと思いたいですね。
数正は「私の殿は家康だけだ」と念押ししてたからきっと内部から豊臣を崩す何かをしてくれると信じてます〜😢
奥方の鍋さんも寧々さんからもらった櫛を置いて出られたからお金目当ても無いはずと信じたいですね。数正推しです😊
石川数正も色々あったと思うし、家康や家康の家臣からの追及や秀吉や秀長による責めを色々と言わられて、最終的に徳川家を守るための出奔だったと思う。
秀吉の唐入りは白人による植民地化が影響していて、朝鮮にも協力を求めたけど従ってもらえなくて戦になった、と聞いたことがあります。
キリスト教を利用しての奴隷貿易から秀吉が危機感を抱いたのだとしたら、あり得るかも。
きりゅうさんの見解を伺いたいです🙇🏻♀️
やはり、鍋さんが寧々様から頂いた櫛を置いて行ったシーン、これは「欲目に溺れて出奔したわけではない」ことを示しているのかなと
らっとちゃん見たかったのに~。😍
秀吉の武力行使で家康を屈服させるとなると、家康の首は勿論、人質の命、家臣団の多くの命が失われる。野戦にしろ、城攻めにしろ岡崎はまず落とされる事になるので「岡崎城城代として」多くの犠牲を出す前にやむを得ず出奔したんだと思います。むしろ諦めの境地だったのでは?と思います。後世に伝わる資料がそこを明確にしてないのが徳川にとって都合の悪い事…だったようにも感じます。
Yahooニュースで「結局秀吉の方が就職先としては高条件だったから」という身もふたもないニュース解説読みました。当時の武士はそれこそ幾つも武将の間を渡り歩いているのが当然で、石川数正も単に自分を大名(10万石)に取り立ててくれた秀吉の方に仕える事にしただけという説です。確かに家康が関東支配するようになった後でようやく家康の家臣も万石取りの大名になったのですが、それでも石川数正の10万石以上の家康の家臣は井伊直政(12万石)本多忠勝(10万石)榊原康政(10万石)だけでしたから。
野球で言えば、正捕手が移籍したようなものですね。個人的にはスパイ説が好きです(vivantの見すぎ(笑))
他の大河ドラマで、この後、家康と秀吉が対面したときに、秀吉の陣羽織をもらって、「殿(秀吉)に二度と陣羽織はお着せいたしません❗」って言うシーンを二度ほど見たんてすが、あれって、本当のことだったのですか❓次の日に、大坂城でみんなの前でもう一度、その言葉を言って欲しい、なんていう流れでしたが…。
数正は徳川家中で唯一秀吉の実力ー経済力、軍事力、天下を取るための戦略(関白になり公に政を委任されたお墨付きを得る)ーを目の当たりにしていたのが、これ以上の秀吉との戦いが無駄だと納得させた理由だ。さらに、今まで共に歩んできた酒井忠次との見解の相違も大きく、出奔の理由付けを強化したと感じる。若い家臣らとはすでに経歴、考え方で大きくかけ離れてしまったが、忠次さえもはるか遠い存在となったのは、数正にとって孤独感を高めたはずだ。秀吉との会見で彼の構想を聞く機会もあった数正は、これからの世は秀吉が牛耳る枠組み内で諸大名が任地を委任される形へと変化し、戦国の世のような群雄割拠の時代は終わりを告げるとおぼろげながら察知していたのかもしれない。それを忠次に伝えたところで、彼には理解の範囲を超えている、ちょうど幕末の尊皇攘夷の志士達が諸外国の実情を知らずに開戦を声高に叫ぶように、若手家臣らは反発するだけだということも。忠次でさえ、徳川の結束の固さで乗り越えられると発言しているくらいだから。数正は元々感じていた自身の疎外感に加え、朋輩忠次とも見えるビジョンが異なってしまった。忠次は次の戦を自身の死に場所と決めているふしもある、さて自分は?!と自問自答したことだろう。ブラック秀吉の先見の明、賢さにも、家康とは違う魅力を感じたのかもしれない。これらの葛藤が、出奔の要因を作ったと思う。
きりゅうさんの言われていた岡崎派、浜松派の対立は対武田戦でも明らかで、停戦と続行で反目していた。岡崎派は常に命を受けて従うだけで、自分らの意見が尊重されないことに不満を持っていたと聞く。
秀吉との交渉に、数正以外の家臣も連れて行けばよかったのに。そうすれば秀吉の凄さがわかる者が増えて、家康さん説得出来たかも?
きりゅうさんのご意見のまま、深読みしてドラマを観ていました。
数正の気持ち、いつか家康に伝わるのかな、なんて。
でも、家康はどこまでももってますよね、大地震で秀吉側に大きな被害がでるなんで、、、。
家康も秀吉に臣従するために大坂に赴いて、城と城下を見て、そこで数正の真意を思い知るのではないでしょうかね。
だから、家康が幕府を開いた時には「江戸を、大坂を超える町にしてみせる」と発奮もしたでしょうねぇ。
スパイ説が事実なら、数正の息子を流罪にはしないやね。出奔後に大混乱してるのが、何よりの証左ですわ💦
秀吉の朝鮮出兵は
将来、スペインが侵略してくることに対しての予防策だと思う
信長の時代からポルトガルやオランダからスペイン無敵艦隊の情報は入ってきていただろうし、東南アジアで活躍していた武士団もいたのでキリスト教の考え方も伝わってきていたと思う
1588年にアルマダの戦いでスペインが英国艦隊に破れたが
1592年の日本でスペインの戦力がどれだけ削がれたかを把握できたかは誤差があったと思う
用意周到な秀吉と取巻き達はその対策として半島を経由して明に力を見せつけ同盟しておこうとしたように思える
(一次資料なしで勝手に語っただけ)
忠臣は陰腹を切り主君を御諫めすると申しますが、それで戦が止められるならば間違いなく石川数正は腹を切っていたでしょう。しかし、それでは戦を止められないと解っていたから、きりゅうサンの言うように、殿のお命を守る為に最後の手段として出奔を選んだのでしょね~。(^o^)/
ドラマ上の説については、きりゅうさんの解釈に同意ですが、
史実上で気になるのは、石川数正が出奔に踏み切れた根拠ですかね
仮に、秀吉から何らかの誘いがあっても、それは自身の安全を絶対的に保証するのものはなく
出奔して秀吉の配下に入っても徳川方の情報を抜き出されるだけ抜き出されて
後は、言いがかりをつけて処罰される可能性もあるし
実際、秀吉は数正の出奔を受け入れても、徳川方を攻める気満々との話ですし
あと、秀吉にしても、長く家康仕えた数正を迎え入れて
スパイ行為の危険性もあるのに、相応の領地を与えて
家康の国替えのさえも、家康の防波堤的役割を与えているが、逆に考えれが家康の急先鋒になりかねない
現代より生存戦略にシビアな思考にて
なぜ、数正は秀吉を信じて、秀吉も数正を信じれたのか
そこに何かあるのかもしれませんね
家康さんも迷っていた、頭ではわかっていたような気がします。
ただ臣従すると家臣のモチベダダ下がるだろうし、なにより自分のこれまでの戦歴からくるプライドで頭を垂れることができなかったんだと思います。
私も昔つまらないプライドを振りかざし、意地を張ったことで右腕だった人を失いました。
頭ではわかっているのに振り上げた拳を下ろせない。数正はそんな殿の気持ちを汲み取って拳を下ろす大義名分を与えたのでは?と思ってみてました。
今回はそんな気持ちを殿に、数正に投影してしまって号泣でしたw
きりゅうさんとくーさんの話にうんうんと激しく頷きながら😂
さーてもう一回おさらいしてこうようかなぁ笑笑
オープニングの出演者クレジットで、
松重豊さんが最後に出てくることの意味を思うと、
たんに役者の重要度だけではないと思えてきました。
これまでの、そして今後の、石川数正が、この物語に与える影響度を考慮しての、クレジット最後尾であると痛烈に思えてきました!
私も家康討伐回避のために数正は出奔したのだと思います。
時の関白が妹と母親を人質同然にしてまでも戦を避けようとするなんて数正の陰の働きなしには考えられません。
だもんでと言うのは東海地方の方で合っていますか?
数正出奔の理由は、自分もきりゅうさんのいう通りだと思いますし、そうであって欲しいとも思います。、
今回も解説ありがとうございます、いつも楽しみにしております。
真実は解らず、今作の答え合わせも次回を待つしかありませんが、きりゅうさんのお考えの通りであって欲しいと思います。その方が浪漫や救いが有るようで、素敵だと思いますし、そう信じたいです。
そう思うと、最後の対面はまるで諫死の口上のようで、美しくも悲しくも見えました。
すみません、質問です。
数正出奔の月日とか、ここで言われている月日というのは旧暦なのでしょうか?
朝鮮を攻めたのではなく、明を攻めるため朝鮮を通ることを拒否した朝鮮を屈服させるために行っただけ。明の援軍が無ければ朝鮮は降伏しただろうね。
こんばんわ!かしまし娘さん!石川数正の出奔の前に大地震があったらどうなったのかな?出奔しなくて済んたのかも?また違った展開になったかも?
説の一つとしてある方針の違いで孤立していた時に、数正が面倒を見ていた小笠原貞慶が謀反したことで責任問題もあり居場所がなくなったために出奔したというのも考えられるかも。
18:39 数正が家康に「殿を天下人にするのが夢云々」言った時、家康が真顔で涙を流していましたが。
あれは数正が心の奥では納得していない、胸に何か別の意図を秘めているのを感じたからでしょうか…?
NHK BS 英雄たちの選択でのナレーター出奔でなくてよかった。
自分もキリユウさんと同じ考えです。数正は戦を止めたかったと思います。地震は家康を助けた。天に守られてたね😎
数正の出奔理由がこれしか思えないくらい納得です!(笑)
殿と一緒でござる。と2回言うあの姿は史実を知ってる側からしたら、数正あああああぁ💦ってなりました😂
数正は、殿に化け物になって欲しくなかったんですよ。化け物は、化け物にならなかったら勝てないので。それくらいなら、人間性を持ったまま次の機会を待って欲しいって思ったのでしょうね。
家康が秀吉に臣従した後、教正と家康が出会うことはなかったのかな。出会っていたらどんな話をしたのか気になるところです。
私も、ドラマにも、史実的にも、きりゅうさんの説に賛成❗きっと殿を守りたい思いはいつまでも❗だったはずですよね❗
そう考えると、ホントに殿との別れ際の、ずっと一緒ですが抜けています(;_;)
数正の切ない別れもそうでしたが、出奔したあと秀吉に挨拶に行った石川夫妻の言葉のないやり取りが印象的でした❗鍋さんはきっと、あの城に入り廊下に並んだ灯りの量に秀吉達の衣装に、恐れを感じたはずですよね。それを毎回感じながら、家康達を説得していた夫は、どれだけ苦しかったかと、胸が締め付けられる思いだったと思います。