今回は石川数正出奔事件の真相に迫ります。
本能寺の変を起こした 明智光秀との共通点とは?
実は信康事件の延長で起こった事件だった など
なぜ苦楽をともにした家康を裏切ったのか?
近年の研究の成果を元に掘り下げます。
※本動画は「どうする家康」のネタバレを一部含みます。
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0:00 オープニング
0:51 出奔までの石川数正
3:19 出奔の背景
6:00 なぜ出奔したのか?
9:30 出奔後の家康と数正 ーおまけ:出奔の新説ー
14:39 参考文献のご案内
についてお話しています!
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19 Comments
大河ドラマを見てからのコチラの動画、詳しい説明ありがとうございました。
取付の難しさ、責任感、仲間との孤立
石川数正悩むだのですね。
大河では徳川家のためにも秀吉と戦ってはならぬと主張し、それを直政たちが秀吉に丸め込まれたと本人の前で言い放っています。どこまで事実かはさておき、自分なりに主家のことを考えていたのにわかってもらえないもどかしさの末の出奔もあったかもしれません。
お疲れ様です。
松重さんの演技、良かったですね。数正の苦悩が身に沁みました。去り際に、いつまでも殿と一緒です。の言葉に涙がこぼれました。今後ドラマの中では、秀吉の元で何かしら家康に有利になるように動くのかしら。
明智光秀と同様に、取次の任に当たっていた数正が、成果をあげられずその後の渦中での政争に敗れ存在感を発揮できなくなるという過程が、全く異なる事情ではあっても一種の共通性があって、なるほどなあと思いました。取次役、なかなか高度な難仕事なのですね。秀吉と家康の最終決戦が、天正地震により事実上不可能になったとは、さすが神君家康!家臣だけでなく運にも恵まれていますね。最後の検証されていない新説、とても説得力があって納得です。
ドラマでは数正はいつまでも殿と共にあります!と言っていましたね。秀吉の刃から家康を守るために自らを犠牲にしたのでしょうか…😢
確かに光秀と同様の立場だったとすれば…の面白い学説紹介有難うございます。大河ドラマでも、
『徳川家康』では酒井と気持ちを合わせて秀吉の元にスパイ兼任で出奔
『秀吉』では秀吉の人たらしの魅力により
『真田丸』では真田昌幸と信尹に騙されて(笑)
『おんな城主 直虎』では家康が自分が忠義を捧げていた瀬名と信康を殺したから
と色々な説があります。
大河はまたコンフィデンスマンみたいに時間を巻き戻すやり方で家康と密談して秀吉の所へスパイで送ったと言う感じになりそうな😅
数正の苦悩の重さと、家康に個人として抱いている深い愛情と忠義心が伝わってきて、胸がいっぱいになるすごい回でした✨
松重さん圧巻でした!!ドラマ直後にこの解説を聞けて、うれしいです。
当時の交渉役の説明、光秀の例も含めてとても分かりやすかったです。
交渉役って、リスク大きすぎないですか?😅 関係が決裂した時の責めが過酷すぎる…。
きっと数正は、交渉役を長年務める中で色んなことを見てきて、広い見地を持った人だったんだろうなと思いました。
息子の代での没落は、あの数正を見ちゃうと悲しすぎますね。
またライブ配信楽しみにしてます😊
秀吉が天下人となった以上、徳川家が生き残る術は、秀吉に仕えるしかない…と考えたからでしょう。自身の息子まで人質に差し出す事になり、徳川家にもはや、自分の居場所もなく、家康を裏切ったと言うよりかは、自分が秀吉に付く事により、秀吉に対して直接、どうすれば、家康は秀吉に仕えるか?を言える立場になる…つまり、秀吉は石川数正に相談して来ます。その時にこの様にすれば、家康は従うでしょう!と、言う事により徳川家を生かす事が出来る。
そう、考えた可能性もあります!それと、度重なる秀吉との交渉役を努める中、明らかに力の差を知る事になり、秀吉の家臣達は、無論、殺気立っていて、徳川家を力づくで潰せ!と言う野次の中の交渉の故に1番、徳川家の危機を感じていた人物であると言う事です。
歴史ドラマ上で石川数正出奔を扱ったことは今まで~稀だったと思いますので、今回の大河に出てきた(しかもかなり正鵠を射たと思わせる描写で)のは大変良かったですね!松重豊さんも好演でした。【補足です】~過去大河で豊臣⇒徳川に係るモノでは結構、題材としては描かれているのですね!皆さんヨク見ていらっしゃる😅
解説有難うございました。大河では急に気変わりして出奔するように描かれましたが、なにか含みがありそうでした。特に奥さんの表情がなにか知っているようで、、、次回以降が楽しみです。
秀吉のもとに身を寄せることで、秀吉が天下を取った後も家康に不利にならないように動くためだったのかなとかドラマを見て思いました
石川数正ほどの頭脳(←ドラマだけで史実はどうなのでしょう?)があってしても最後に勝つのが家康というのを読めなかった辺り、家康の天下は当時の感覚からしても奇跡だったんだろうな…と思います。
織田信長がいるまでは何とかいけるだろうと思っていたみたいですご、本能寺の変とか色々あり、全体を見てきて、しかも羽柴秀吉との取次をした事で秀吉の凄さを知り、しかも徳川家臣団の中で居場所をなくしていたのも一因かもしれませんね。
反逆の理由 数正イコール光秀、納得のいく説明ですね。
いつもわかりやすい解説をありがとうございます。
ドラマの最後のシーン、家康と教正の主従の絆が深く現れていて、
今までに合戦で逝った顔、顔、顔、こちらの脳裏にも浮かんで
涙が流れ止まりませんでした。教正のいつでも殿と一緒です、
の言葉で、裏切りというより自らが人質として赴いたような気がしてなりません。
人の愛の表し方は様々だと思いました。
石川数正の出奔、この歴史の転換時にも【天災】が一つの要因になっていたかも知れないなんて、元寇と言い、何か分からない自然の力が働くのですね~😮 また一つ勉強になりました。ありがとうございました😊
40年前の大河・徳川家康では、豊臣に入り込むことで、
徳川を守る意味合いで、数正は出奔?しました。数正役
は江原真二郎さんでした。
昨日の「どうする~」でもそういう感じの数正の決意が
吐露されていたような気がします。
「敵を欺くにはまず味方から」ということで、仲間たちには
心中を語らずに豊臣に入った。
個人的に家康は承知の上のことだったと思います。
美濃斎藤家の家臣で、織田家との交渉役だった人が、同様の悩みから織田方に寝返ったが、信長が《裏切り者は召し抱えん》と言ったので、秀吉の家臣になった、という人が居たように思います。