〇動画の目次
0:00 はじめに
3:46 源頼朝と北条政子
7:38 源頼朝の挙兵
12:59 石橋山の戦い
16:34 富士川の戦い
19:42 源義経との再会
21:49 御恩と奉公
24:23 平家の滅亡
27:45 源義経追討と鎌倉幕府の成立
34:51 奥州合戦と源義経の最期
38:18 源頼朝の最期
40:24 源頼家と13人の合議制
45:00 梶原景時の変
48:14 比企能員の変と源頼家の死
54:50 牧氏事件
59:17 源実朝の暗殺
1:03:55 承久の乱
1:11:30 おわりに
〇関連動画の再生リスト
46 Comments
このチャンネル初めてみましたけどめちゃくちゃ面白いですね😄
ここは伸びるな
伊東祐親ですね。伊藤でなくて。伊東に行くなら、ハットヤ。電話は良い風呂です。
この伊東は元は日向からの出向ですね。
大河ドラマ、名君北条泰時の御成敗式目までしてもらいたかったです❗
フビライ・ハンが日本を攻めたのは、朝鮮が日本を売ったから
今回の歴史もの大河を非常に楽しみにしてていざ、見始めて非常にがっかりした。内容の事でなく言葉遣いが全く現代口調で演じている。現代人に解るようにしたのか知らないが
NHKも質が落ちたな。当たり前の言葉で演じれば全てのリスナーにも勉強にもなるはずだ。もっと真剣に考えて取り組んで欲しいです。
義時と政子のコンビが強力だったんだろうなと思いました。権力闘争を生き抜くためには必要に迫られて陰謀も辞さないようになって行ったんでしょうね。
大河ドラマは、NHKが説明する通りフィクションなので見ていません。
源氏から北条政権への移行過程を解り易くかつ簡潔に説明されていました。長時間ありがとうございました。
北条雅子は野望を抱いていなかlつぃたのか。
小栗旬が15才の役、う~んww
北条家は平氏では?単なる地方豪族というのは違和感が
北条も三浦も畠山も梶原も千葉も上総も皆、平氏です。北条は名字だから、正式な姓名は、平義時です。桓武平氏系の坂東平氏です。関東武士軍団です。都の貴族の平清盛一家の「平家」ではなく、都の圧政に不満でした。源平の戦いと言うより、東西の覇権争いです。
平治の乱で負けたのは頼朝ではなく父。頼朝は当時12歳の子供で流罪でした。
ありがとうございます。
源頼朝がレーニンで北条義時がスターリンのようだ。レーニンの棺を担いだ自分以外の同志5人を全て殺し、スターリンは権力を握った。
ちょっと質問があります。源頼朝の挙兵で伊豆の知行国守が源頼政から平常盛に変わったと説明されていますが,山木兼隆という人物が源頼朝佑殿が挙兵する時に最初の闘いで討ち取ろうと鎌倉殿の13人というNHK大河では山木兼隆こと平兼隆であったが,平常盛と平兼隆は同一人物なのでしょうか?教えて下さい。夜も寝られません。目代と言う言葉も教えて頂ければ幸いです。
平常盛でなく平時忠と間違ってしまいましたが,平時忠と山木兼隆こと平兼隆はどの様な関係でしょうか教えて下さい。
明解な解説を有難う御座いました
わかりやすい解説ありがとうございます。今後も楽しみしてます。個人的に石橋山の戦いの大庭景親を少し入れて頂いて解説が欲しかったです。
いや、御見事。子供の頃から日本史が好きで、大学受験でも日本史を選択し、東大で9割、早稲田で満点を獲得し、その後も探究を続けて歴史には自信がありましたが、この時代の複雑な権力闘争の過程をこれほど分かりやすく、クリアかつ詳細に語っていただいたことに心より感謝します。受験時代の理解が、まだアウトラインで、さらに深い背景と真相に迫ることができました。事実は小説よりも奇なり━ドロドロの権力闘争、世界史のレベルから見ても人間の闇(弱さ)が凝縮されている、人間理解の宝庫となる貴重な時代ですね(笑)。太平記を読み直します。ありがとう!
こまかい間違いが有るかも知れませんと謙虚さが好感持てます解説も分かりやすいです!
いくつか動画を拝見しました。淡々として分かり易い解説のお陰で、苦手だった鎌倉時代に興味が持てるようになりました。特に、頼朝が義経を殺さねばならなかった理由に納得がいきました。それで頼朝が時代の大物であったことが理解できました。ありがとうございます。
どうかほかの時代も解説を進めてくださいませ。
動画を観るというより、寝るときに流しながら聴いています。失礼なのかも知れませんが、心地よく眠っていけます。なので、どの動画も最後までたどり着けません。ゴメンナサイ(^_^;)
猜疑心の強い頼朝は説明できる人ではなかった様で総てが排除 天下を取るには理詰めでは無理なのだろう 都に近づかない頼朝の新時代の構想=鎌倉幕府=武士の支配 多くの人は理解できなかったに違いない 根拠は後の時代の関東の公方様と関東管領である=貴種は無条件に偉い 官位は絶対
伊東祐親から逃げてきた頼朝を北条氏が庇護したのは遠い親戚だから、というのが一つの理由だと思ってるのですが
150年程前、平忠常の乱を中々鎮圧出来なかった平直方に代わり鎮圧したのが源頼信で、その息子の頼義が平直方の娘と結婚して出来た子供が源義家、その子孫が頼朝
平直方は北条氏の開祖ですから、頼朝から見たら北条氏は先祖の奥さんの実家、北条氏から見たら頼朝は先祖の嫁ぎ先の子孫ということになるので
北条時政の出自がはっきりしてないみたいなので、時政が平直方の子孫という前提ですけど
野む爺
50年前にこれらが見れたら、受験楽勝だったのに!
解説が明快。登録しました。今後も、いろいろ解説お願いします。
伊藤(:東)祐親の娘と4人の娘の中の3女の八重姫(名前も定かでは無い)と兵衛佐殿(すけどの)が恋仲に成り、千鶴丸という子も儲けられたが、三歳の千鶴丸を雑色(:ぞうしき)に命ぜられて松河(:まつかは)の瀧津瀬(:たつづせ)の藻屑(もくづ:蒲?(漢字が無い?:草冠むりに補)埃)となった。簀巻(すまき)にして沈められたものであるが、その出典の伝説は湘南の大磯の酒匂川瀬の『曾我物語-真名本』なのであるが、>八重姫<と言う名前自体も伝説的であるので出て来無い。伊藤(:東)の4人の娘の中の3女目の娘は(:「曾我物」に)「美女の聞こえあり」とされている。『曾我物語-真名本』に千鶴丸を沈め殺したことが批判させられていて『「縦(たと)ひ異性(いしゃう:異姓)他人の子(伊藤一族で無い者)なりとも、さして執心(しふしん)深き敵(かたき)に非ず、只、世になし源氏、と云ひたるばかりなり。その上眼の前の(肉親たる)娘の子なれば、孫子において諍(あらそ)はじ(まぎれもなく実の孫である)。後悔は先に立たぬ物を。末(すえ)はいかがあるべからむ」と親も疎も(伊藤入道と親しい者も親しくない者も)爪弾(つまはじ)き(非難)をぞしける。この若君(:千鶴丸)の御有様をば近くして見し者は涙をのみ流す色茂(しげ)し(ものも言えず涙を流すことしきりであった)遠くて伝え聞きし者は袖(:そで)を捶(しを)らぬ人ぞなき。』と書かれている。尚当時は真名(人々の個人名)は近しい夫婦みたいな者なののみが知るのみで皆(みんな)は仮呼びでお互いを呼んでいたものと思われる。北条政子も「平の政子」と古文書の記録で出て居(を)るのみで、朝廷側から下賜(かし)された名前だとされている。後で八重姫が江間小次(四)郎と言う北条義時と一緒に成るというのが或る一説の伝説による脚本の架空のお話しなのである。伊藤(東)のその第3番目の女の娘の存在自体はそういう女性は居たが(>八重姫<とは名前の自体がこの大河ドラマで造られた名前なのであろうか?そうであろうが?)その女性の名前>八重姫<の名前自体がはも伝説的な作り物的な名前でありなのである。子供の千鶴丸御前は名前が口伝もの(「曾我物」の)記録にも出て来るのではあるが。大江広元の助言は幕府が何百年も続くものなのでその時点で知恵がある凄かったんだ。矢張りこの世の国は武力なんだ!?日本王も自分はもは認めてはいたんだが?!朝廷も院政とは言え宗教権威では無くして武力はも世俗権威の政治なんだな?尚院政の制度実質的には幕末まで孝明天皇迄?続くそうである。明治天皇以降憲法議会大臣や法律などにより、実質上院政は無い。
ダイジェストからはじまるのが親切ですね。説明も丁寧なのにしつこくなくて 簡潔でわかりやすいです。とてもいい動画だと思います。ありがとうございます。
Nghê vậy ta
ちょうどNHKの大河ドラマ化された鎌倉殿の13人が放送されています。予習及び復習もでき分かりやすい解説ですね、有り難うございました。
とてもわかり易くて、毎週面白く大河を見ていましたので興味深く見ることができました。次回を楽しみにしています。
北条は、平氏です。家系図もあります。
こんなに歴史が面白いと思ったのは!やすひろさんのユーチューブを見てからです。とてもわかり易くて楽しく見ています。大河の鎌倉もお陰様で、とても良くわかります。これからも、歴史解説楽しみにしています。
私は若干、違う見方をしています。北条執権政治、ひいては武家政権を確立したのは2代義時ではなく、3代泰時だと考えています。力で抑えるのはTOPのの能力で大きく左右されます。それを避けるには「法」で抑える一番です。無論、貴族の時代にも「律令」という法がありましたが、時代を経て形骸化している部分も大きく、何より、政治の主体が朝廷から幕府に変わったのですから、ふさわしい法に作り替える必要がありました。個人的には「御成敗式目」があったから武家政治が続いたと思います。徳川家康も「御成敗式目」は高く評価し、「武家諸法度」等を作っています。それらが完成した家光の時代に江戸幕府は最高潮となります。奇しくも3代目です。
そういえば、奥州藤原氏も3代秀衡がピークでしたね。3は魔の数字ですね
ウソばかりのどっかのラジオ番組と違って、とても分かりやすく、丁寧にまとまっていて、声も聞き取りやすい。大変参考になりました。とても良い動画ですね。今後もがんばってください。
して
実朝が北条義時の傀儡だと言うのは最近の研究では明確に否定されています。実朝はリーダーシップを発揮し政治を主導していたことが明らかになっています。皇族将軍構想も実朝の発案であり家臣に過ぎない義時はこの構想に同意していました。歴史の専門家ではなくてもこれぐらいは勉強して下さい。
後鳥羽上皇は義時を幕府から排除するのが目的なので幕府を滅ぼすつもりはありませんでした。後鳥羽上皇は実朝に好意を持っており実朝が暗殺されなければ承久の乱はなかったのです。
いつもありがとうございます🙇
小さい頃、大河ドラマ【草燃ゆる】を見ました。
源実朝が、若き篠田三郎。
クールでした❤️
北条義時は、マツケン・サンバの松平健。
だけど本当に、後白川法皇ってコロコロ変わるし、信用できない爺さんだね!!藤原泰衡は父親の遺言を聞いて頼朝に逆らっていたら、そして義経と共に頼朝側と戦っていたら、藤原氏はそのまま残っていただろうに…。
ささ
大河を見てから、遡ってここに来ました。
見てから聞くと、よりわかりやすく面白い。闇堕ちの義時を描いた大河の感想も、最終回後にぜひ聞いてみたい。
素晴らしい解説です。
無駄話が無く、ほんとに 知りたいことに、満足してますと ともに、声と、話しの早さに、聞き逃さまいと、釘付けになります。
素晴らしいと、言う以外にありません\(^o^)/
分かりやすい解説と歯切れがいいですね😊