今回は小牧合戦を詳細に解説します!
近年の研究の成果により通説が大きく変わって生きている戦です。

・この戦いの勝者は家康ではなく、秀吉だった
・関ヶ原の戦いに匹敵する「天下分け目の戦い」だった など

今回は合戦の背景から合戦の詳細、その意義までわかりやすく丁寧に解説します!

※本動画は「どうする家康」のネタバレを一部含みます。

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0:00​ オープニング
0:41 対立の契機 ー清須会議〜賤ヶ岳の戦いー
4:36 信雄と秀吉の対立
8:35 長久手の戦い
12:00 小牧合戦は秀吉の勝利
15:06 参考文献のご案内

についてお話しています!
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■関連書籍のご案内
柴裕之『清須会議 秀吉天下取りへの調略戦』(戎光祥出版、2018年)
本能寺の変から豊臣政権の成立までの政治動向が詳細に記されています。今回の動画では、小牧合戦に比重を置いていますが、本書ではタイトルの通り清須会議に比重が置かれています。本書で触れなかった領地の再配分や、滝川一益の動向をはじめとした織田家臣の対立などが詳細に記されています。
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柴裕之「本能寺の変後の政局と秀吉への臣従」(黒田基樹編『徳川家康とその時代〈戦国大名の新研究3〉』戎光祥出版、2023年)
信長死後の政局について、最新研究をまとめた論考。小牧合戦が家康の勝利とされた背景についても考察しています。
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藤田達生編『小牧・長久手の戦いの構造 戦場論上』(岩田書院、2006年)
小牧合戦を秀吉と家康の戦争とみるのではなく、秀吉と信雄の戦争と捉えた研究です。この研究により、小牧合戦を秀吉の全国統一戦の1つではなく、織田政権が消滅し豊臣政権が成立した戦いであり、豊臣政権から江戸幕府に移っていった関ヶ原の戦いにも肩を並べる意義深い戦争であることが明らかとなりました。
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平山優「小牧・長久手合戦と家康〈戎光祥ヒストリカルセミナーvol.36〉」(2023年)
小牧合戦の詳細な動向を解説した講演会のレジュメです。リンクから講演会の動画とレジュメをダウンロードできます。
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/697/

柴裕之編著『図説 豊臣秀吉』(戎光祥出版、2020年)

小川雄・柴裕之編著『図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟』(戎光祥出版、2022年)
家康の最新研究の成果も踏まえた概説書です。戎光祥出版の図説シリーズは良書が多く重宝しています。この1冊を読み通せば「どうする家康」の予習はある程度網羅できると思います。
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■関連動画のご案内
https://youtu.be/Lh4A4ezu3K8
https://youtu.be/v_IFNxzm5sA

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■今回の時代のキーワード
#どうする家康 #大河ドラマ #徳川家康 #小牧合戦 #羽柴秀吉 #織田信雄 #織田信孝

共同執筆:河原数馬・岸野達也

※使用している背景映像は河原撮影ならびにフリー画像・映像素材・ライセンス取得済みの素材を使用しています。
※日本史サロンは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

11 Comments

  1. 安土城(復元?)は何処に在るのですか???ミニチュア模型には見えなかったですが・・・

    【補足】戦術面で家康勝利・戦略面で秀吉勝利と認識しておりましたが、戦術面でも広範囲にわたる戦域全体では秀吉方の勝利が目立つと云うか、圧倒していたとも言えるのですね!勉強になりました。家康も羽黒や長久手で意地を見せたのは間違いないと思うのですが、後世に過大評価になったのは【徳川史観】の為せる所以かな・・・その割には此の後、家康に対して臣従させる為に秀吉はかなり気を使っている話がが伝わっていると思うのですが如何でしょうか?やはり、徳川本軍に対して痛撃は与えられなかったから?ちょっとググれば、まだ(戦術面では)徳川方の(大)勝利というのが頭に出てきます(^^;)

  2. お疲れ様です。
    私の学生時代は、小牧、長久手の戦い、家康の勝利と習いましたが、局地での戦いでは、家康の勝利もあったけど、全体では、秀吉勝利なんですね。勉強になりました。ドラマでは、小牧山城、犬山城、楽田などご近所が出てきて、楽しかったです。もしかしたら、家の近くの道を通って秀吉が犬山城に入ったのではと思うとワクワクしますね。
    今日、小牧市では、平山優先生の講演がありましたよ。私は抽選に外れて行けませんでしたが。

  3. 今回もわかりやすく解説してくださり、ありがとうございます。
    戦ばかりのこの時代、信長が亡くなっていなければ状況は違っていたのかと、信長好きの私はどうしても思ってしましまいます。
    前回のライブ欠席してしまったので次回のライブが待ち遠しいです。

    まだまだ暑いので体調など気をつけてくださいね。

  4. 小牧合戦が9ヶ月もの長きに渡っていたのは、知りませんでした。敵の敵は味方を地で行く5:33
    以降の錯綜した敵対関係は図を使っての説明で、とても分かりやすかったです。長久手の戦いは局地戦であり一時的な快挙とはなっても、総括的に見ると秀吉側の勝利という最近の説に納得です。確かに池田恒興や森長可などの勇将が亡くなっているので、秀吉には大きな損失であったでしょうが、それが直接の敗因にはならないですね。このような地域により異なる勝敗があって、最終的に和睦を経て終結するのが、普通なのかもしれません。圧倒的な勝利というのは、元来あまりないのかもしれませんね。あれば珍しいからこそ、歴史上のトピックになっているわけで。それよりむしろ、動画の最後に言われていた本戦と共に連動した地方戦も伴った大戦争という概念が、今までの日本史ではあまり聞かないダイナミックさを感じる新説でした。

  5. 小牧・長久手の戦いは名目上は秀吉の勝利だけど、実質的には徳川の勝利。
    秀吉は大勢力で、大軍で以て徳川家康を一撃で仕留めなければならなかった。後の北条氏や九戸氏と同じようにね。
    それをできなかった時点で秀吉の負け。
    周囲の大名から少しでも実力が無いと思われたら、謀反を起こされるからな。
    この戦いで秀吉がてこずった時点でそもそもの敗北なんだよな。

  6. なるほど、秀吉本人が桑名にまで迫っていたんですね。こりゃ、降伏するしかありませんわ。
    今回の動画はマジで目からウロコでした。ありがとうございます。

  7. 最新の情報を丁寧に解説して下さり、ありがとうございます!9ヶ月に及ぶ戦いだったことも、小牧以外の各地で武将たちが秀吉側と信雄側に分かれて戦をしていたことも知りませんでした。
    本能寺の変後の1−2年は、勢力図が大きく変わる激動の時期ですね。信忠が亡くなってしまった時点で、織田体制の維持って無理だったのかな〜なんてちょっと思いました(そんなことないのかな?)家康まで信雄呼びすてでしたね笑。

    ムロ秀吉と秀長兄弟、露骨な腹黒さとしたたかさが面白かったです。ただ石川数正の心の動きがひたすら気になります・・・左衛門尉ショックだろうね😢

  8. 秀吉が関ヶ原まで生きていたらその後は豊臣の時代に
    なっていたかもしれない。

  9. 長久手もかの桶狭間も岡崎への途中にあり、更に当時は区画整理もされていなかったことを考慮すれば、幾ら大軍を率いて夜襲をかけても山を移動するだけ目立つのでは?軍を小分けして討ち入りするしかないことを家康に見抜かれて当然。織田徳川軍が尾張を一望出来る小牧山を占領した時点で秀吉不利に傾いたのは覆しようがない。
    そこに榊原康政が「秀吉は織田家を乗っ取ろうとする逆賊」高札を立てたことで領民が情報を提供してくれるようになり、より秀吉軍の動きを知りやすくなった。
    近年の考察に決定的に欠けているのは信雄が領民に慕われていたという事実。後世の印象工作で凡庸扱いされただけ。

  10. 家康の戦略負けで良いでしょ
    この時家康を滅ぼせなかったから負け〜なんて、じゃあ関ヶ原で毛利と島津を滅ぼせなかったから明治維新が起きたわけなんだが東軍の負けなのか?てなっちゃわない?(笑)

  11. 今年の大河の裏テーマは「尾張」と「三河」の対決に思える。
    最終的に「質実剛健」の三河が勝った。同じ三河からトヨタが生まれ世界を制してるは興味深いです。トヨタもある意味、質実剛健ですね。
    それにしても、秀吉兄弟は尾張弁(名古屋弁)を出してるのに、徳川軍団の武士は三河弁をあまり出してないのが不満です。せいぜい「えびすくい」くらいだ。

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