信長の死後 秀吉の織田家乗っ取り計画と家康の適格な動き 清須会議の実態「大河ドラマ どうする家康」歴史解説43

本能寺の変で織田信長が討たれた後の秀吉と徳川の動きについて解説。この後天下人となる二人がどのような行動に出たのか!歴史を動かす大きな決断が迫られていた。

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1、徳川家康を天下人へ導いた四天王とは 本多忠勝 前編
松本潤主演 新たな徳川家康像とは!天下人へ導いた四天王とは  本多忠勝 前編 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説1
2、徳川家康が野戦に強かった理由 戦国最強 本多忠勝 中編
徳川家康がつくった最強部隊とは 戦国最強 本多忠勝  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説2
3、これぞ武士道!徳川四天王 本多忠勝が残した言葉 家康の凄すぎる家臣配置
これぞ武士道!徳川四天王 本多忠勝が残した言葉  家康の凄すぎる家臣配置  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説3
4、信長・秀吉も認めた武将 酒井忠次 前編 知られざる家康との血縁関係とは
信長・秀吉も認めた武将 酒井忠次 知られざる家康との血縁関係とは 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説4
5、徳川最大級の悲劇 家康の長男 信康切腹事件の真相 なぜ信長に殺されたのか? 重臣酒井忠次の後悔
家康の長男 信康切腹事件の真相  なぜ信長に殺されたのか? 徳川最大級の悲劇  重臣酒井忠次の後悔  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説5
6、徳川四天王 榊原康政 下級武士が大名へ 知勇兼備と言われた理由
徳川四天王 榊原康政 下級武士が大名へ  知勇兼備と言われた理由  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説6
7、実は武田信玄を追い詰めていた 徳川四天王榊原康政の策略
実は武田信玄を追い詰めていた  徳川四天王 榊原康政の策略  大河ドラマどうする家康歴史解説7
8、桶狭間の戦いの重要拠点 大高城と鳴海城 織田信長・今川義元の最終決戦
どうする家康の初回!桶狭間の戦い 重要拠点 大高城  織田信長と今川義元の最終決戦  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説8
9、どうする家康 桶狭間の戦い 今川義元が落ちた織田信長の緻密な罠
どうする家康  桶狭間の戦い 今川義元が落ちた織田信長の緻密な罠  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説9
10、桶狭間の戦い 今川義元の最期 凄すぎる信長 決断の瞬間
桶狭間の戦い 今川義元の最期 凄すぎる信長 決断の瞬間 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説10
11、桶狭間の戦い敗戦後 大高城で殺されてかけていた強運の家康 厭離穢土欣求浄土の深い意味
桶狭間の戦い敗戦後 水野信元に殺されかけていた!?厭離穢土欣求浄土の深い意味 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説11
12、実は超重要な信長と家康の同盟 清州同盟 今川家との決別した家康の自立
清州同盟  実は超重要な信長と家康の同盟 今川家との決別した家康の自立  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説12
13、家康の正室 瀬名姫と長男 信康の救出大作戦!三河平定へ
家康の正室 瀬名姫と長男 信康の奪還作戦! 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説13
14、家康の正室 瀬名姫 長男 信康と徳川を救った悲運の生涯 悪女説の真相
https://youtu.be/P5NjNcViGjo-yhUVPtqiH6A/join
15、家康の正室 瀬名姫の悲惨な最期 捏造された悪行 信長の策略だったのか?
家康の正室 瀬名姫の悲惨な最期  捏造された悪行  信長の策略だったのか?  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説15
16、
長篠・設楽原の戦い  勝負を決めた奇襲  追い詰められた武田勝頼の決断と悲惨な敗走  織田徳川連合軍と武田軍の決戦「大河ドラマ どうする家康」歴史解説33
16、信長と家康を苦しめた一向一揆とは その凄すぎる勢力拡大の背景
信長と家康を苦しめた一向一揆とは その凄すぎる勢力拡大の背景 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説16
17、三河一向一揆 一向宗の資金源は?勢力拡大の秘密とは 悲劇を招いた領主権争い
三河一向一揆  一向宗の資金源は?勢力拡大の秘密とは  悲劇を招いた領主権争い 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説17
18、三河一向一揆から分かる信長と家康の決定的な違い 虐殺と赦免
三河一向一揆から分かる信長と家康の決定的な違い  虐殺と赦免 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説18
19、本多正信、夏目広次、渡辺守綱 三河一向一揆で家康を裏切った3武将の生涯
本多正信、夏目広次、渡辺守綱 三河一向一揆で家康を裏切った3武将の生涯   大河ドラマ「どうする家康」歴史解説19
20、家康の三河統一 石川数正の重要ポストと役割 松平一族の抑制
https://youtu.be/D9dwdx1LV_E
21、武田信玄との密約 家康の浜松侵攻の裏側 井伊谷攻略
武田信玄との密約 家康の浜松侵攻の裏側 井伊谷攻略 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説21
22、お田鶴の悲惨な最期 今川氏真 最後の意地 今川滅亡へ
父義元の死後 今川氏真の悲痛な生涯  今川滅亡へ お田鶴の悲惨な最期  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説22
23、服部半蔵の意外な役割 伊賀越えの実態 忍者か武士か? 家康を影で支えた武将
服部半蔵の意外な役割  伊賀越えの実態  忍者か武士か? 家康を影で支えた武将  大河ドラマ「どうする家康」歴史解説23
24、信長の誤算 裏切り 金ヶ崎の戦い この時家康は? 朝倉義景、浅井長政との争い姉川の合戦へ
信長の誤算 裏切り 金ヶ崎の戦い この時家康は? 朝倉義景、浅井長政との争い姉川の合戦へ「どうする家康」歴史解説24
25本当の姉川の合戦 朝倉義景・浅井長政VS織田信長・徳川家康
本当の姉川の合戦  朝倉義景・浅井長政VS織田信長・徳川家康 「どうする家康」歴史解説25
26三方ヶ原の戦いの実態 新たな論争となっている史料 武田信玄vs徳川家康
三方ヶ原の戦い 信玄の意外な目的 新たな論争となっている史料 武田信玄vs徳川家康 信長包囲網 「どうする家康」歴史解説26
27三方原の戦い 武田信玄 無念の最期 しかみ像論争の決着 家康を救った夏目吉信
28https://youtu.be/cYbgI2xDTYI
当代一の美女お市の方と凄すぎる3人の娘 浅井長政の最期
お市と浅井長政の最期 信長の妹お市の方と凄すぎる3人の娘の生涯「どうする家康」歴史解説28
29滅亡寸前から徳川四天王へ 井伊直政はなぜ再興できたのか!
滅亡寸前から徳川四天王へ 井伊直政はなぜ再興できたのか!「どうする家康」歴史解説29
30井伊直政 後編 赤備えデビューの真相 天下を決めた一言 開国の元勲と言われる理由
井伊直政 後編  天下を決めた一言  開国の元勲と言われる理由  赤備えデビューの真相「どうする家康」歴史解説30
31武田勝頼 実は愚将ではない 父信玄を超えられなかった悲運の生涯 たった一つの過ちとは
32長篠の戦いの全容 悲劇の英雄 鳥居強右衛門 織田徳川連合軍と武田勝頼の決戦へ
長篠の戦いの全容  悲劇の英雄 鳥居強右衛門  織田徳川連合軍と武田勝頼の決戦へ「大河ドラマ どうする家康」歴史解説32
33長篠の戦い 勝負を決めた奇襲 追い詰められた武田勝頼の決断と悲惨な敗走 織田徳川連合軍と武田軍の決戦
武田勝頼  実は愚将ではない  父信玄を超えられなかった悲運の生涯 たった一つの過ちとは「大河ドラマ どうする家康」歴史解説31
34長篠・設楽原の戦い 武田勝頼の敗走と重臣たちの無惨な最期 大久保忠世ら三河武士の活躍
長篠・設楽原の戦い  武田勝頼の敗北と重臣たちの無惨な最期  大久保忠世ら三河武士の活躍「大河ドラマ どうする家康」歴史解説34
35戦国最大級のステータス 茶道 なぜ武士たちは求めたのか 信長、秀吉、家康を渡り歩いた大名物 初花とは
https://youtu.be/wE6T4pZ7qpc
36武田勝頼の最期 長篠の戦い敗北後の勝頼の動き 武田家滅亡
瀬名姫との内通  武田勝頼の最期  長篠の戦い敗北後の勝頼の動き 武田家滅亡 「大河ドラマ どうする家康」歴史解説36
37於愛の方、お万の方…家康の13人の妻とその凄すぎる息子たち 悪女とされた悲惨な瀬名姫
自害に追い詰められた瀬名姫  於愛の方、お万の方…家康の13人の妻とその凄すぎる息子たち  「大河ドラマ どうする家康」歴史解説37
38瀬名姫を自害に追い詰めた五徳の衝撃の書状とは 武田勝頼との内通はあったのか?真犯人は信長?忠次?
瀬名姫の最期  自害に追い詰めた五徳の衝撃の書状とは  武田勝頼との内通はあったのか?真犯人は信長?忠次?  「大河ドラマ どうする家康」歴史解説38
39信康切腹事件の真相 信長と家康が恐れた権力の二重構造
信康切腹事件の真相  信長と家康が恐れた権力の二重構造「大河ドラマ どうする家康」歴史解説39
40本能寺の変 信長はなぜ油断したのか!黒幕は誰?
本能寺の変  信長はなぜ油断したのか!黒幕は誰?「大河ドラマ どうする家康」歴史解説40
41本能寺の変② 家康と光秀の密約はあったのか?家康の黒幕を思わせる動き
本能寺の変 家康と光秀の密約はあったのか?家康黒幕説を思わせる動き「大河ドラマ どうする家康」歴史解説41
42本能寺の変 明智光秀 謀反の理由 3つの通説と異説
本能寺の変 明智光秀 謀反の理由 3つの通説と異説  正親町天皇との深い関わり「大河ドラマ どうする家康」歴史解説42
43伊賀越え脱出の謎 家康は本能寺の変を事前に知っていたのか!
伊賀越え脱出の謎 家康は本能寺の変を事前に知っていたのか!「大河ドラマ どうする家康」歴史解説43
44信長の死後 秀吉の織田家乗っ取り計画と家康の適格な動きとは
信長の死後 秀吉の織田家乗っ取り計画と家康の適格な動き 清須会議の実態「大河ドラマ どうする家康」歴史解説43

35 Comments

  1. 私的には「忠義」を蔑ろにしたのが光秀公最大の誤算では無いでしょうか。
    誰も味方に成らなかったのは「忠義」を軽んじた光秀公に組しても「大義」が無いと考えたからでしょう。

  2. BSの放送見てから、このセミナー見るのが楽しみになっているのです😂

  3. 今回の大河ドラマは、時代遅れの通説よりもアップデートされた最新の研究成果が取り入れられているので、とても新鮮で面白いです。大河や歴史に興味を持つ若い世代も増えそうですね。

  4. お市のミトコンドリアを受け継いで持っている末裔がいるのかな?

  5. 市橋先生のおっしゃる、事実認識、ミステリー含む、毎回楽しく拝見させて頂いています。
    資料に基づきとても、分かり易いです。勝家とお市の思い、家康の思い、そして秀吉の迅速な策略の旨さ、なんとも言えないあの笑顔も、悔しいけど、ムロさん上手い。本編たのしみに見ます。

  6. 家康はわざとゆっくり京都を目指したのよ
    無駄な戦いなんかしたくない、信長への義理を果たしたという体裁
    秀吉から撤退要請がでてから喜んで帰国

  7. 「鳴かぬならもう用済みだホトトギス」信盛追放以後信長は織田家中共通の敵となった 天才的殺人狂の首に誰が鈴を付けるか 家康も光秀に足を向けて眠れない

  8. 毎回楽しく拝聴しています。
    8/6のどうする家康を観ています。
    残り5ヶ月となりました、これから関ヶ原、大阪の陣、征夷大将軍、
    時間が足りないようがしますが、
    たのしみです・

  9. 本能寺の変には、いろいろな説がある❗️その1==天海上人は同一人❔別人です!天海の書状と光秀の書状を比べた結果、文字の『ハネ』墨次着の違い 三行書いて筆に墨を注ぐ 四行目で墨を注ぐ(どちらがどうだったか忘れました)❗️その2==金沢図書館で書簡を発見された❕光秀は、重臣の斎藤利三に謀反を起こすことを伝えた!亀山城から進軍して桂川で夜明けを待ち撃ち込むと記載があった。さらに『敵は本能寺にあり』とは言っていなかった!『本能寺を攻めるぞ 皆んな覚悟を決めろ』信長を撃てとは言っていない❗️その3==信長は、槍で応戦したが手傷を受けて奥の間へ。(侍女が語った)信長は、畳を四方に立てかけ、侍女を『部屋から出よ』と命じ 信長の自害を見ていないため金沢図書館の書簡自害方法は書かれていない❗️その4==ローマで発見された宣教師フロイトの書簡!信長は、中国大陸を征服するために大艦隊を準備させていた。息子たちに諸国を分配することを決意していた。光秀が謀反を起こしたのは、信長が戦争を拡大し、自分の子供達を日本の領主に据えていく、実力主義で親族優遇へ変えていくことに気づき(光秀は天下を狙っていなかった)戦争を終わらせるために撃ったのではないか❓その5==光秀は、山崎をを支配していたキリシタン武将高山右近に親しかった宣教師オルガンティーノに我(光秀)に味方になってくれと手紙を送った!ところが右近宛の手紙は、『味方になるように』・ローマ字に書き換えられて『光秀に味方しないように』と記されていた!当時、イエズス会は、信長の中国攻略に乗じてキリスト教を中国に広めようとしていた❗️その6==本能寺の変の時、家康を打つつもりだと思っていた。以前、信長は光秀に家康を撃てと言っていた!光秀は、『家康は我々を何度も助けてくれた』一方信長は、家康を生かしておくと厄介な敵になる』と❗️長いコメントになったが一人でも見てくれたら嬉しい❗️素人歴史研究家は、タイムマシーンがあったらその時代を見てみたいと何人もの人たちが言っていた‼️

  10. 信長の家臣だった秀吉が同僚の家臣から、どう思われていたのかドラマから見て立場が窺える。家臣団の中で順位は一番下である、そこを秀吉が柴田勝家などの他の武将を煽てたり、持ち上げたり、褒め称えたりして自分は一番下で、あほっぽく見せる。信長からみた秀吉は家臣の中でも、かわいがられる他の家臣から見たら、おもしろくない情況、そこで秀吉がガス抜きをしてたとも考えられる。秀吉の本性を現したのは、やはり清洲会議の態度。その清洲会議の前に事前に根回し、全てに対して事前行動が早い、明智との合戦も、誰が素早い判断をして行動するのか、その助言が黒田孝高なのか?信長が秀吉に戦わせた相手はイチバン石高の多く兵力もある毛利、このあたりもイチバン信用されてた証明かもしれない。秀吉にとって同僚の家臣からの屈辱、馬鹿にされて、貶されても耐え抜いた、それができたのも失うものが無い強さかもしれない。最後に明智を討った秀吉を家康が討つため動いたなら、家康と織田との関係(お市の方)は想像以上に強いことになる、そうなると家康が信長を暗殺する考えは遠のく。

  11. ラスボス茶々姫爆誕の巻き
    家康が多方面に恨み買う理由の一つ。

    ムロ秀吉の憎々しい迄の演技が骨身に染みそう

    お市殿退場がさみしいお市ロスです

  12. 伊賀越えはありません。一揆の地域を通るリスクを冒す筈がありません。実際には甲賀衆が中心になって移動したのです。

    吉宗の時代になってから、職を失った伊賀の人々が就職のために創作したのが伊賀越えのエピソードで、史実ではなく就職活動用の虚偽情報です。

    さらに、家康は影武者を用意していたので、二日で移動するような無茶はしていません。

    この二点について、まったく情報を見ていないのは致命的=自ら情報弱者の状態を作っていると感じます。

    歴史観は、目を通した史料の量に大きく左右されます。歴史学者は知っている文献の量によって、見識に天と地の差がつきます。残念ながら速読ができない人=大量の文献に目を通せない人は、職業適性がないと考えるべきです。

    伊賀の人々が『伊賀越え』のエピソードを捏造したことが分かる史料に目を通さない限り、正しい歴史認識は得られません。

    その後の秀吉の織田家弱体化についても同様で、必要な史料に目を通していないと感じます。

    私達の管理下の私立の学園グループでは残念ながら、この認識レベルでは講師が務まらないでしょう。当方の歴史フォーラムでは、不勉強さを指摘されて、見向きもされないでしょう。

    とにかく、多くの文献に目を通すことを心掛けましょう。勉強せずに素人相手に中途半端な情報をばら撒くのはアウトです。

    このレベルの間違った講義を繰り返していると、私達の学園では理事会で問題にされて、放校処分となる可能性が高いと思います。

    時代劇のフィクション作家陣が相手ならば許容されても、一流の歴史学者の集まりではまったく相手にされないレベルのにあるという自覚を持って、慎重に行動して下さい。

    こんな中途半端な動画を撮っている暇があったら、必要な文献をしっかり読むべきです。

  13. たしかに今回の浜崎様!お洋服も髪型も素敵に思いました。
    ドラマカットしまくりで展開が早過ぎ。しょうが無いか。

  14. 信孝辞世の句「昔よりぬしをうつみの浦なれど報いを待てよ羽柴筑前」野間大坊の源義朝に絡めて言うあたりホントかや。🎉

  15. 偉そうなコメント書くくらいなら、自分でチャンネルやって批判されたらいいのにっていつも思いますけどねw

  16. あらら、先生~また言い間違いを見つけてしまいました(^_^;)まぁ人間だからね・・・信長公没後→五年後なら=西暦年*1587年は天正十五年。川角太閤記の成立年(元和七年~寛永二年=西暦年1621~1625頃)とボードにはありますが・・・五年後ではなくて約四十年後ですね。それとね・・・羽柴秀吉公~『汚ね~奴!』風の番組の方向付けはどうなのかな?実力のある者が天下を統べるのが本道であり、信雄信孝両兄弟の能力不足のせいだし~秀吉公は最大限に大義名分が立つように配慮を重ねているはずです!それを言うなら、後世~家康公は豊臣秀頼公から天下を奪った(盗んだ)と非難できるじゃないですか!これらの天下継承過程は必然。基本、仕方ないのです。家康公も長寿だったから成就できた!でも私は「家康、腹黒い奴め!」とは思いませんよ。昔は少しありましたが (^_^;) 贔屓の引き倒しは止めてね・・・

    追記)他の歴史系チャンネルの場合、指摘すると明らかな間違いには、ちゃんと訂正コメントを入れてくれますよ!

  17. 家康の裏の顔を思わせるような説 資料でのご説明、感じ入りました。ありがとうございます。
    たしかに直後なら明智亡き後大きな軍勢をひとりで動かせるのって織田家でもそうそういなそうなので、実際にぶつかるかどうかは置いておいても畿内で目を光らせておけるというのはあったんじゃないかなって思えます。威圧感的な

    信雄はそんなに優れていたのですか…最後の最後で秀吉の真意に気づくも遅く、人格的にも下手こいてジェットコースターみたいな人生送って最後はほそぼそと…みたいなイメージでした。生きながらえること自体もスゴイことかもしれませんが

    光秀公は好きな武将です。部下や領民にも慕われ、信長公の信頼も一手に受けてすべて卒なく完遂して…完璧だと思います。
    ただ、最近思うのはそれこそ信長公の「お前に(俺の代わりが)できんのか」っていうところがかなり個人的にしっくりきていて
    部下として、実行役や調整役として優秀であっても、本当にこれまでの常識をがらっとかえてしまうようなそういう破壊的なリーダーを担えるのかはまた別なのかなと思いました。(そういう考えかたゆえ信長と光秀はビジョンで溝が深まっていったのでしょうけど)

    でも、光秀公は部下や一領主としては本当に優秀だったのだと思います。朝廷工作とかはうまくいっても、与力の大名はじめ武家を取り込めなかったのってそういうところなのかなと…。そういう意味では建武の新政・武士や新勢力の台頭とか南北朝の対立とか、その後の三成VS家康とか、そういう理想論と現実をうまくバランスとって見れてたかどうかみたいな話に思えて重なって見えます。

    それにしても、光秀公は信長公に期待されていたのはたしかでしょうし、長篠以降信長公が少しづつ身を引いて信忠に譲っている中で、実務でかつての信長公がしていたような働きぶりをしていたのではと思います。畿内というどこからでも応援にいける位置かつお金がたくさんあるからこそ、伊勢長島、本願寺、大和、北陸…といつもいろんなところにいかされてましたよね。そんなこんなで4年がかりで丹波を平定できた。

    信長はそういうことが苦なくできたのかもしれないけど、一家臣としてはなかなかリスキーだし普通にしんどいように思います。本能寺の変は怨恨説とか朝廷黒幕説とか四国での対立説とかいろいろあると思いますが、こういう信長のすべて滅ぼすというスタンスに疲れたというのもあるとおもうし、そういうのがみんな合わさって生み出されたんじゃないかと思います。だから断言ができず、光秀の心のみが知ることなのでミステリー要素が強いのかと…

  18. なんだか今日は浜崎さんのまぶたが、色っぽいですね!
    失礼(*´∀`)

  19. 秀吉はこの頃、羽柴秀勝を養子にし盤石の体制だったのではないでしょうか。

  20. 先生の解説は様々な資料を読み見込んでいるから凄く説得力があります。岐阜会議?とか、家康が実際、京に登ろうとしていた事とか、自分なりに資料を解釈し仮説を立てるのも歴史好きの楽しみの一つ。

  21. さすが市橋先生。物事に対する論理的かつ定量的な解説。それと放映前なのに秀吉(ムロツヨシ)と三法子丸のショット。8/15イオンのイベント楽しみにしています。(終戦記念😂日ですが)

  22. 信雄と信孝兄弟が仲が良ければ、秀吉も勝手な事はできなかったのに、悪かったら共倒れになったというのが、歴史の教訓ですね

  23. 秀吉を攻めようとしたのではなく、秀吉が攻めてくる可能性に対処したのでは?だから秀吉が兵を引けと言ってきたので引き上げたのでは?と先生のお話を伺って思いました。

  24. 清須会議が清洲で行われた理由ととして、三法師が本能寺の変直後の混乱で、親類一同で清洲城へ避難していたからという説を聞いた事ありますが、先生の見解をお聞きしたいです。

  25. 後楽園ゆうえんちで僕と握手…もといイオンモールで先生と握手🤝
    ムロが秀吉役じゃなくて家康役だとかなり似合った気がするのは俺だけですか?松潤スマートすぎるんだよなぁ…ムロの方が家康ぽいんだよなぁ…どうすりゃええがじゃ〜

  26. 禿げ鼠=秀吉がただの権力欲に突き動かされて行動した小賢しい人物のような解説になってしまってますね。不世出の天才がやることではなく、あまりも発想が凡人すぎます。もう少し背景を掘り下げると、実態が見えてきます。

    猿=賢い動物というあだ名を付けられて信長に可愛がられていたというのは、秀吉一派の手前勝手な後世の創作です。信長は秀吉のことを快く思ってはおらず、手駒が不足していたので仕方なく罵倒しながら用いていたのが現実ですが、それでも城攻めの天才だったことは間違いありません。

    秀吉が貧乏足軽というのも嘘で、織田に合流したときには既に二千程度の手勢を率いていました。サクセスストーリーを捏造した作者達の真意を読み取って補正しないと実態は見えてきません。

    織田信長は丹生郡織田の劔神社の神職の子孫。社家系の丹生一族傘下の戦国武将で、不自然に勝率が低すぎることからも明らかなように、単純に戦争に勝つことだけを目的に行動していたわけではありません。

    よほどのミスをしない限り、敵の大将首を取れと命じない=できるだけ戦争景気を長引かせ、日本を軍事的にも経済的にも強くすることが、最重要課題だったのです。

    天下布武が成る前に、家督を長男に譲って、自分を生祀する磐座まで用意して、将軍になる野心はなかったことが明らかです。

    日本を世界一の鉄砲保有大国にした丹生一族+秦氏の交易武家商人のグループが持っていた、西欧の植民地拡大の動きを視野に入れた世界戦略のもとで信長は動いていました。

    後継者となった秀吉もよく理解していて、信長の子の中に適任者がいないことを嘆く形になった流れが拾えないと、「秀吉は小賢しい戦略で織田家を乗っ取りました」という、通り一遍の凡人の発想で矮小化した話で終わってしまいます。

    信長は丹生一族に仕える《本物の忍者》の元締めの生駒家を実質的な正妻としています。高野山は天野盆地を本拠地とする丹生一族の男衆が多く在籍しており、高野聖は国情を視察する諜報組織の一つでした。遁甲を良く知る天武天皇が組織した皇軍に所属する忍者部隊の流れを汲みます。

    祭政一致体制の神託統治を行うには、民の声をしっかり聞く必要があります。斎藤道三や生駒家が油売りをしていたのも、家々を回って油を売る=世間話で時間を潰しながら、民草の生の声を国を導く天照大神の神託に反映させるためでした。

    秀吉も光秀も、丹生一族傘下の忍者&織田家に派遣された目付け役。

    信長は高野聖の一件で丹生一族と対立してしまいました。飼い犬に手を噛まれたと認識した天照大神・和魂・丹生つ日女の祭祀を司る忌み家=姬姓斎皇家から、光秀に対して誅殺の命が降りますが、光秀は表立って忌家の名を出せないため、謀反を起こした悪人役を嫌々やらされた形になっています。その心中を把握できるエピソードが残っています。

    光秀の腹心達が離反したのは、心ならずも主君信長を討つことになった傷心の光秀が苦悩する姿を間近に見たからです。

    秀吉は、信長の息子や孫に期待しますが、いずれも、西欧の植民地拡大主義に対抗できる器にないと判断して、泣く泣く切り捨てていくことになりました。

    今後の展開になりますが、
    大阪城の攻め方=いったん和睦して堀を埋める策は、秀吉が家康に語ったものです。

    植民地化されないように神国日本を護ることが最優先だったので、家康の目から見て器になければ大阪城ごと豊富を滅ぼして良いと、内々に託した結果なのです。家康は律儀な人ですから、忠実に遺言に従ったのです。秀吉を裏切ってなどいません。

    堺は天野盆地の丹生都比売神社の境内都市の一つ。信長が討たれたとき、家康は堺見物をしていたのではなく、信長が日本の国姓を世襲する息長氏の姬姓斎皇家に叛いたため誅殺に至った件について、斎皇の名代から直々に言い聞かされていたのが真相です。

    伊賀越えのエピソードは吉宗の時代になって伊賀の地侍達が再就職のために捏造した作り話です。実際には甲賀衆が護衛して、一揆のある伊賀を回避して移動しています。

    丹生一族の宗家=日の巫女の神道を母系継承する国家神道の中枢に位置する社家=姬姓斎皇家に妻問婚する父系の家の筆頭は、シルクロードの交易で巨万の富を得た交易武家商人の秦氏でした。

    京の御所は秦氏の統領の屋敷跡に建っています。皇室最大のスポンサーの秦氏は、太秦のエピソードからも明らかなように、姬姓斎皇家が織る小石丸系の三眠蚕のシルクの交易を家業としていました。大秦=ローマでも武家商人のエクィテスを名乗り、ヴェニスなどの商業都市国家も築いています。

    コーカソイド系の秦氏の男衆はシルクロードの長度に耐える身体能力を養うために修験道を創始しています。鼻が高い修験者姿をした天狗の正体は彼等です。四国の遍路を観察すれば明らかですが、鉱脈に沿ってルート設定されています。ただ単に山野を駆け回っていたわけではなく、鉱山開発や鉱脈の維持管理を行っていたわけです。

    家康に下賜された佐渡金山も、もとは秦氏の管理下にあったのです。徳川幕府は世界の富の3分の1を保有した状態で鎖国=経済封鎖を行ったのでした。

    信長達戦国大名の後ろに、大きな流れを作る勢力が存在することを見落としていると、話半分以下になってしまいます。

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