#秀吉 #歴史 #解説
※概要
本能寺の変の後、各地に散らばっていた織田の重臣たちのうち、なぜ秀吉だけが光秀を討伐できたのか、柴田勝家や丹羽長秀、滝川一益の状況と比較して解説しています。
2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」解説動画です。
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43 Comments
変な脚本の話でなければ、まともになるんですよね。
ただ、一点だけ、秀吉に情報をもたらしたのは毛利の伝令で陣所を間違えてという説もありますよね。
嘘か本当かは分かりませんが。
無理くりの筋書きでなければ今回みたいにスムーズにいくんですよ。
やはり脚本家の力量は重要ですね。
リーガルハイは面白かったんだけどな。
もう少し練る時間が必要だったかもね。
おまけ
人望というより、裏切りが拙速だったんですよ。
さすがに、今信長討って天下取りするから味方してくれって言われても、戸惑うでしょう。
普通クーデターは綿密に計画して示し合わせてやるものですよ。
その示し合わせがないのなら失敗したんですよ。
それから、天下統一が進めば裏切りたくても裏切れない状況になるでしょう。
だって、裏切ってみたものの逃げる場所がないじゃん。
群雄割拠であれば敵対勢力に行けばいいけど、周りが敵だらけになるのなら裏切れないじゃん。
幽斎の嫉妬とはいとをかし。
ももちに捕まったとき、家康はワシが明智を討つって言ってましたが、
戦がもっと長かったら出陣してたんでしょうか?
信長を討ってから周囲を味方につけようって順番が逆だわなぁ。
やっぱり、そういう顔か…。
光秀が毛利にあてた書状を秀吉配下乱波が奪って信長襲撃を知ったということも聞いたことがありますがどうなんでしょうね。
秀吉の髪型どう思う??
甥の織田(津田)信澄くん、とても信長さんから可愛がられてたみたいですね。
性格は残忍と言われたり温厚で情け深いと言われたりと両極端ですが、能力的にはなかなか有能だったとか。
それと仮に信長さんの次男の信雄くんも本能寺の変で一緒に亡くなってたら、信長さんの仇を討った軍の総大将だった三男の信孝くんが満場一致で織田家を継いでた可能性も結構高そうです。秀吉さんも秀信くんを後継者に推せなかった気がしてます
解説ありがとうございました🙏❣️ 細川が明智に味方に付かなかったのは、きりゅうさんの嫉妬説に私もそうだなぁと思いました。それにしても、秀吉の情報網は、大した物ですね。凄く大事ですよね。それに運もプラスして、この後トップに上り詰めて行くんですね😮
秀吉は摂津衆を味方につけられたのが一番の成果だったんじゃないかと思いますが、光秀は摂津方面には何か働きかけしてたんでしょうか?
実はうち山崎が近いので、天下分け目の話になるとちょっと嬉しくなります🤭✨宝積寺(通称、宝寺)というお寺があって、秀吉が座った出世石🪨と言うのがあって昔座らしてもらいました!…ボクは全然出世しませんでしたーーー!!🙈💦
そもそも毛利と和議を纏めるタイミングだったら、光秀の加勢も信長の中国入りも必要なかったことになりませんか?
秀吉は距離は遠いけど、道のりは近いというやつですな。現代であれば掛川駅から東京駅に行くより、名古屋駅から東京駅に行く方が速いという感じ。西国街道を東に突っ走ればいいし、途中に姫路城という補給拠点があるしね。
「殿、御運が開けましたな」が無かったということはこの後小田原征伐での何とか官兵衛さんの活躍シーンも描かれなさそうだ😢
「癖を知っているからうてた」って、野球じゃないですか⚾
きりゅう先生、信長の命令で毛利討伐に来ている秀吉が、何故、毛利と和議を結ぶのですか?確か秀吉が、毛利討伐の総仕上げのために信長に出馬要請したので本能寺に来たのではないのですか?
丹羽長秀がいた場所に秀吉がいたら、秀吉はどんな行動をしてたのか気になる。
いつもながら、素敵な解説と史実の告知、ありがとうございます😊!
今回のオープンニングは、ウサギ🐰が出て来ましたね。 今回は、穴山梅雪が泣けました。
今日も楽しい解説ありがとうございます😁織田家の家臣の皆さんが明智さんに味方しなかったのは甲州征伐の折に小山田信茂さんを誰も頼んでもいないのに主を裏切るやつは不忠者として処断しちゃったから誰も明智さんに味方できなかったのではないかと思ってました😁(真田丸の受け売り😅)こんな大それたこと根回ししてからやれなかったことが明智さんの悲運だと思っています😰
6:22 秀吉がもう和睦交渉に入っていたとのことですが、
毛利攻めで和睦してもいいということを、信長は承知していたのか疑問です。
その時の信長の意思としては、秀吉が毛利を攻め滅ぼすか、
もしくは、毛利との戦や中国地域での圧倒的な戦果をあげるまで、
戻ってくるなというぐらいの感じではなかったのでしょうかね。
もし、そうであれば、信長が本能寺で討たれる前に、秀吉がもう和睦交渉に入り始めていたのは
不思議な気がするんですよね。
つまり、その時既に秀吉は、信長さんが明智か、家康のどちらかに討たれる可能性が高いという確度の高い情報を、
得ていたからこそ、毛利との和睦を進め始めていたのではないかという気さえしてきます。
もしくは、最悪、仮に明智や家康が、信長討伐を失敗した場合、
自分の大軍勢で、信長を討つ覚悟をしていたのかもしれないと思ったりします。
北信濃を任されていた森長可は、本能寺の変が伝わると人質を連れ美濃へ戻ろうとしますが、地元の国衆は反織田となって襲ってきます。彼らを倒しながら進み、ほぼ蹴散らしたとみるや、猿ヶ馬場峠(千曲市と麻績村の境)あたりで連れてきた人質を全員切り捨ててから先を急いだと伝わります。長野県人にとっては非道なヤツですが、長可にしてみれば縁もゆかりもない地で周囲は敵ばかり、とにかく無事に美濃にたどり着くのに精一杯で光秀討伐など考える余裕もなかったのかもしれませんね。
適当に骨を見つけて来て晒し迎えに来いと偉そうに言う 令和五年七月二十二日 1 秀吉なら
本能寺の変で、上杉家、毛利家、長宗我部家は助かったと思います。
本能寺の変は諸々を計算しつくした秀吉に仕組まれた気がしてならない~😅
完全に同意。
今回の大河ドラマの主役は家康だし、伊賀越えは本当に危険だったとは思うけど、光秀としては、家康一行の動きよりも、細川・筒井や他の武将を味方に引き入れることと、織田信孝・丹羽勢の動きが気になっていたと僕は思います。
秀吉の懐刀如水には悲しいことに如水がいない 令和四年八月二十一日 0 永遠のナンバー2 トップは敵以上…
本能寺の変が起こらなかったら,信長が明智光秀と伴に備中の秀吉の援軍に行く予定でほぼほぼ,勝っている戦を信長の援軍で「大勝利!」と言う秀吉のヨイショ!パフォーマンスの為に、秀吉が山陽道に信長の進軍準備をしていて、本能寺の変勃発で、毛利との講和条件を大幅に緩和して、信長の進軍準備していたもの全て中国大返し投入して短時間行軍を可能にしたと言えるのでないでしょうか⁉️まさに『備え有れば憂なし!』の言葉通りですね❗️👍😱💦
>天王山ってしょっちゅう渋滞起きてるとこ
関西のひとはこれ凄いのよね。史跡が日常にありすぎる。。。
都内関東もあるっちゃあるけど江戸以降がほとんどですし。
信長にとって最初の奇妙丸この世の存在信じてない 令和五年七月三十一日
きりゅう先生は、4:26で「丹羽、織田信孝隊は明智討伐には行けなかった」と解説されておられるのですが、そうではないのでは?と私は思っております。また2つ秀吉の方が有利だった、1つは情報能力の差、2つめは和睦交渉に入っていた、としておりますが、これはこの通りであると思いつつ、もう一つは摂津勢を組み込むことに成功した、というのが3つめとしてあったのではと思います。さすがに中国大返しで、めちゃくちゃ疲れていた羽柴秀吉軍、4万兵は後方で待機、代わりに前線にいたのが、高山右近、中川清秀の摂津軍、そして、池田恒興は摂津の守備をしていたが、明智軍同様、摂津を出発して中国に向かっていた途中、引き返して羽柴秀吉軍に合流、そして、丹羽、織田信孝軍が、前線にいました。山崎の戦いでは、まずは、高山右近、中川清秀の摂津軍が正面からぶつかり、当初はかなり苦戦したいた模様ですが、池田恒興軍が側面から援護、丹羽、織田信孝軍が後に続き、雑兵が逃げ出したこともあり混乱し、最終的には総崩れになったとされています。山崎の戦のポイントとしては、羽柴秀吉軍4万兵は後方で待機しており、戦いにはあまり参戦していませんでした。それよりも、高山右近、中川清秀の摂津軍の奮闘、池田、丹羽、織田信孝軍の見事な側面攻撃が勝利ポイントとしていえるかと思います。羽柴軍単独で明智軍と戦っていたら、明智軍は戦国一の遊撃軍でしたからね、難しかったじゃないでしょうかねぇ。従って、紆余曲折はあったものの重要な側面軍として丹羽、織田信孝隊は明智討伐に参加した、3つ目のポイントは、摂津勢を組み込むことに成功した、ではないかと私は考えます。
今日も楽しく観ました〜😊😊
ホント、秀吉にしろ 家康にしろ 持ってるよね〜って思います。ヤッパリ天が味方してるんだなぁ。
くーさんが天王山のことを渋滞の印象と語られてましたが、わたしは“山崎”と聞くとウイスキーの印象です(実際、その戦いのあった山崎の地で醸造されているわけですが)。
お酒は好きだけどウイスキーは苦手なのに、ウイスキーのイメージがくっついてくるのは、いかがなものかと思いますが。
いつも名神高速で天王山トンネルを通るたびに、「ここがあの天王山かー」と思ってます😆
洞ヶ峠、日和見は、裏切りほどじゃないけど評価されないね。いまのコウモリ外交もだけど。でも、弱小軍団、小国は、そうするしかない、その国の民衆、国民からすると、ベストな立ち位置かもしれないね。いま、ウクライナの戦争で、旗色が鮮明じゃない国もあるけどさ。いろんな正義があるんだね。
近年の考察では、秀吉の大返しには、そもそも信長を接待するために用意していた今で言う宿泊施設があり、兵糧などの備蓄も訳にたったと言われていますね。
また、そこを使っての情報の往来もあったとも…
本能寺の変の黒幕について、いろいろ言われているのですが
光秀が兵を集める為に、様々な国衆、武将に書状を送ってます、黒幕がいれば、その事を書状に書けば良いのに書いてません。
例えば朝廷や足利義昭ならば
光秀に正当性があるとなるけど、書いていない。
命がかかってるのに
書状に書いてないのだから
黒幕はいないと思いますよ。
光秀が「信長を討ったから味方して欲しい」と毛利宛に書いた密書を持った使者を秀吉軍が捕まえて、それで信長の死を知ったという展開のドラマもありましたよね
あら、今日はシック!
秀吉より信孝か勝家が有利だったはずなんですが、判断の速さで勝ちを収めましたね。
それぞれの相手を見てみると、毛利が余力を残していたのに対し、上杉は森長可にも信濃から本国に攻め込まれて滅亡寸前でしたし、長宗我部とは直接交戦していないのですぐ引き返せました。
秀吉も黒田官兵衛も荒木村重の謀反で酷い目にあってるよね。きっと、長浜、安土、京都、姫路、高松城の間の連絡網は完備してたと思う。そのルートは秀吉の兵站に重なるから輸送も完備してたんじゃね?情報と行軍の速度が速かったのはそのせいだと思う。
あまりにも行動が早かったっていうのも秀吉説がまことしやかに蔓延した理由なのかもですが、今も昔も情報を上手く扱えた人が強かったのですね。あと明智の味方に人が増えなかったのは、信長さんの死の確証得られなかったのが大きい気が(これも情報操作!?)にしても丹羽様が残念すぎる(泣)(子や孫が藩主様になる地の住民より)
明智くんも誰か偉い人を『総大将』にすればよかったのに たとえば足利義昭とか
今日も楽しい解説ありがとうございます🤗
猛暑日が続いていますのでかしまし歴史チャンネルの皆さんも体調に気をつけてください🙋
秀吉は光秀の援軍のために、兵糧を京都までの街道中に蓄えて、大返しの時に、その兵糧を利用していたのかもしれない