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8 Comments

  1. 古文書では、白い着物、死に装束で自害するのですが、カニ柄の着物でしたね。
    家康は苦しみ抜いたと思います。😢💦回でした。

  2. さすがヤギシタさん‼️

    蟹の着物一番に触れてくださり嬉しい☺️☺️

    蟹柄の着物って、信康と亀姫にも着せていましたし。

    信康の子供達のためにも用意するシーンがあったと記憶しています。

    私もすごくこの着物がずっと気になっていて、このチャンスに調べてみました。

    和服のモチーフとして使われるカニは『災難を断ち切る』という縁起の良い柄であるとともに、中国由来ではカニは横歩きすることから、『世間を横行する=自分の道を行く』という意味を持ち、出世や大成のモチーフだそうです。
    (きもの備忘録参照)

    着物ひとつにもダブルトリプルにこだわり、伏線が張られている演出のこだわりを感じることができましたね。

    瀬名が夫や子どもにどんな願をかけながら生きたのかずっとカニの着物で綴られていたと思ったら鳥肌が立ちました。

    小道具も然りで、2人の安否を案じながら家康が読んでいたのが『吾妻鏡』

    こういう細かい製作陣のこだわりがこの作品の楽しみ方だとつくづく思いました。

  3. 瀬名と信康が実は生きているというストーリーは歪んだ捉え方ですかね?二人を救うように命じられてるはずの半蔵と大鼠が何かむしろ率先して殺そうとしてるし(忍者が正室を介錯していいの?)、介錯されたシーンも一瞬で終わったり遠くてよくわからなかったりと… 敵を騙すにはまず味方からと信長を欺く為に家康も含めた全てを欺いた半蔵の作戦じゃ無いでしょうか?(半蔵は介錯できなかったという話もあるし)なんか違和感があると感じるのは生きていて欲しいという願望から生まれる妄想なんですかね?😅

  4. モヤモヤした今回。解説を聴きながらふりかえって、感情整理しています😅

  5. 佐久間が信長に瀬名と信康の死を伝える場面で、信長の反応が意外でした。一連の事件対処を家康に任せたものの、その実自害にまで追い込むと想像して無かった様な表情に思えました。

  6. いつも動画を楽しく視聴しています。
    初コメントです。
    一個人の意見ですが、いつ五徳の信長へ送る十二箇条が出てくるのは気になっていましたが瀬名からの指示があり書いたと解り、脚本の妙をみました。
    あと大鼠が、瀬名が死んだあとに地面に額をつけて後の世に悪女に伝わるという事も瀬名自身が1番理解した上での構わないとの意志が強く感じました。
    五徳は史実では、娘を徳川においていったのは織田に戻り、本能寺の変が起こってから紆余曲折あり秀吉の庇護下にあっても誰とも再婚していないのが不思議です。秀吉はお市の方の娘を側室にし、信長の娘も側室にしていたのに五徳には手を出していないのはどうしてなのか気になりました。淀がお市の方のに似ていたように五徳もしかりあの秀吉でも無理だったんじゃないかと思いました。
    瀬名の孫は小笠原氏に嫁ぎ、その娘が家康の養女として細川忠利に、その嫁ぎ、その祖父は信長を殺した明智光秀なんですよね。もう一人の娘も本多へ嫁ぎ後に秀忠の娘、千姫に繋がるのもエモーショナルです。
    全く関係ない時系列ですみません。
    史学科で、細川ガラシャの研究をしていたので明智光秀も絡めてしまいました。

  7. 今回の25話は、このドラマの前半におけるクライマックスだったため、私なりに感じたことが多く、以下かなりの長文になりますこと、ご容赦ください。 

    先ず、24&25話で描かれた築山殿・信康事件は、全体を通して見終わった後の感想としては、「これはこれで良いんじゃないですか」というものでした。通説とは異なる「瀬名は悪女ではなかった」という見せ方もすんなり受け入れることができましたし、史実として何が正しいか/正しくないかは現代人にとってはわからないことが多いので、歴史ドラマとして「こうだったかも」という解釈で演出・脚色すること自体は私は決して否定的ではありません。

    惜しむらくは、瀬名の謀である「皆が助け合って慈愛の国の連合体を作ろう」という発想が戦国時代の常識との相違・違和感を感じてしまった点です。これについてはそのような壮大なものではなく、例えば「徳川家(家康・信康)も武田家(勝頼)も互いの戦が長引いて収拾がつかなくなっている、このままでは両家ともじり貧になり疲弊・弱体化し共倒れになる恐れがある。なので、徳川と武田とで(一時的でも)停戦合意をしたらどうか。しかし徳川は織田の家臣であり、主である信長はそれを認めるはずもない。なので信長には内緒で密かに武田との停戦協定を行っては?(織田にバレたら内通とみなされてしまうが・・)」ぐらいのほうが、謀として違和感なく受け入れることができたと思います。 

    ここからは、ヤギシタさんの解説動画と同様、各人物ごとに感想と解釈を述べます。

    ①家康について

    25話を通して、私はずっと心の中で「だから言わんこっちゃない、家康 お前が悪い!」とずっと思っていました。お前が瀬名や信康の謀を止めなかったからだ!と。さらに、久松や氏真たちに対しても「あなたたちが、瀬名を焚きつけたからだ!」、家康の家臣団たちにも「あなたたちがもっと家康に反対し諫めていれば・・!」と。偏った見方でスミマセン。 

    ②信康について 

    彼が自害を選んだのは、「徳川家を守るため」であると同時に、武田家の裏切りに遭い、「あぁ、やはりこの戦国時代に慈愛を夢見た私が愚かだった、もうこれ以上戦をするのは嫌だし、こんな自分は戦国武将としては生きていけない」と自らを悲観してしまった部分もあったのではないでしょうか。なお、信康自害のシーンで紅葉が映されていたのは、それが1579年9月の出来事、つまり季節が「秋」であったことを表していると思います。 

    ③信長について

    信長は家康に対し「お前の家のことだ、お前が判断しろ」と言っていましたが、私の推測では信長は瀬名&信康の死までは望んでいなかったと思います。その理由は、酒井から「二人は自害します」ときいた時、信長が意外だという表情をしていたこと、「よかった、よかった」と口にした佐久間に激怒したこと等です。信長自身が裁定すると死罪を言い渡すしかなくなるので、敢えてその判断を家康に任せた(瀬名は離縁、信康は廃嫡にし両者とも出家させるぐらいが落としどころ?)。信長にとって家康は最重要家臣の一人なので、信長は家康の心情をおもんばかったのでしょう。  

    ④五徳について

    通説では築山殿・信康事件のきっかけを作ったとされる五徳ですが、ドラマでは「私は岡崎殿として生きていきます」と言っていました。この事件の後、五徳が織田家に戻りその後も亡くなるまで再婚することなく独身を貫いたこととつながってくる演出でした。 

    ⑤女大鼠について

    瀬名の介錯をした後土下座をしたことについて、私は女大鼠にも後悔の念があったのではないかと思いました。「自分が築山の床下で偵察していた時、もう一歩踏み込んで千代と穴山を亡き者にしていたらこんなことにはならなかったのでは?」と。

    私は以前のコメントで「昔、10年ほど浜松に住んでいたことがある」と申し上げました。実はその当時、佐鳴湖からすぐ近くの場所に住んでいて、よく湖の周りを散歩していました。今回のドラマでは瀬名が亡くなる場所として描かれており、大変感慨深いものがあります。

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