【どうする家康】武田勝頼の最期…武田氏が滅亡した真実を徹底解説!【歴史雑学】
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10 Comments

  1. 本人喜歡聽武田家歷史🤝覺得武田家有四大 遺憾,第一武田信繁戰死川中島,第二武田義信反對武田信玄出兵駿河國打今川氏真,第三武田勝賴不支持景虎,支持上杉景勝,導致同北條氏政反面,第四應 投靠真田昌幸,可惜投靠小山田叛變在天目山武田家滅亡,3個月後本能寺之變,武田家 或者可以拿回甲斐國,信濃國

  2. 武田家は最初から終わっていたと思いますね。 甲斐は耕作に不向きな土地柄に加え、日本住血吸虫という風土病もあり、山に囲まれている為に経済封鎖を受けやすい地。
    生きていく為には領内に重税をかけ、戦で領土拡大していくしかない。

    だが戦の為に元から重かった税が更に重くなり、領民から怨嗟の声が上がっていたのでしょう。
    それに加えて信玄が仕方なかったのかもしれないが、桶狭間の戦い後の今川家弱体化に目をつけて駿河攻めを考えた時に今川義元の娘を妻としている事から親今川派の嫡男義信の廃嫡と北条を敵に回してまで駿河を攻め、その後共同で今川を攻めた家康との今川領分配の約束を欲を出して破り家康と揉め、その後信長に謙信との和睦仲介を頼んでおきながら家康を攻めて信長を「武田とは金輪際外交しない」と当時親交があった謙信への手紙に書くほど激怒させた。

    父の信虎に廃嫡される事を恐れていた自分と、信虎に領土などの既得権益を奪われる事を恐れていた板垣や甘利などとの利害の一致で信虎を追放した為、家臣達の権限が強く、当主権限が弱い状態になった。 板垣や甘利の死後は自身の権限強化を進めたが、豪族達の連合体という政治体制からの脱却はできず、後を継ぐ人がまとめやすくなるようにはできなかった。

    義信の後に後継者になる勝頼の為に官位官職への任官活動を行ったが、足利義昭と揉めたのか金がなかったからかは定かではないが熱心には取り組まず、結果的に勝頼は無位無官となり、名門意識や独立心、領土欲が強い武田家家臣達をまとめていく為の権威付けが不十分になった。

  3. 今回の長篠の戦い、新しい提案あるかな?と思ったら相変わらずだったなぁ。ガッカリしたやぁ。。

  4. 石川数正(松重豊)がひたすら飯を食う回はまだですか?

  5. 逆に言えば信玄は信長との本格的な決戦を前に一番良い時に亡くなったと言える。

  6. 信玄の時代には京都に上って室町幕府を復興する目的があったが、勝頼のころは室町幕府は滅亡しており織田徳川軍と戦う明確な理由がない。家臣が離反したのも当然だ

  7. そんな事よりwww
    お千代さんどうなるのか気になる⁉️
    天目山で、露になるのか⁉️
    家康の家来になるのか⁉️
    築山殿と仲良くなったが⁉️そのせいで
    信長に築山殿が殺されたので復讐の為秀吉に近づき⁉️
    本能寺に加担www

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