※ホワイトボードのタイトル回数間違ってます。ごめんなさい。正しくは20回!

■関連動画
義経の正妻・里とは?

兄弟対立の原因は、頼朝ではなく義経にあった!?

■主な参考文献
藤原秀衡: 義経を大将軍として国務せしむべし
https://amzn.to/3w7QEJ9
源義経 (歴史文化ライブラリー)
https://amzn.to/3ws3Jx9
源義経―後代の佳名を貽す者か
https://amzn.to/3M5VQmz
源 頼朝:すでに朝の大将軍たるなり (ミネルヴァ日本評伝選221) https://amzn.to/3gdjFdf
中世武士 畠山重忠: 秩父平氏の嫡流 (歴史文化ライブラリー) https://amzn.to/3vQlDYC
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【画像引用】
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式サイト
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/
大河ドラマ鎌倉殿の13人公式Twitter
https://twitter.com/nhk_kamakura13
また、解説に必要な範囲で大河ドラマ本編の一部シーンを引用しています。
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0:00 オープニング
01:03 文治3年義経 平泉へ
09:09 静御前の舞
17:17 文治5年 泰衡の決断
19:42 義経の最期

■撮影・動画制作
株式会社メディアエクシード
https://mediaexceed.co.jp/

#鎌倉殿の13人 #北条義時 #源頼朝 #源義経 #藤原秀衡

50 Comments

  1. やっぱり三谷を理解できない認められない大河と歴史のオールドファン。なんじゃあの義経は!あり得んわ!!

  2. 弁慶の働きが映像にならなかったのは、それを目の当たりにするのは義経だけで十分であり、視聴者は除外されてるという指摘には納得するしかありませんでした。

  3. ・頼朝の九郎愛、今や逆に新鮮でした。思えば冷酷非道の一刀で割り切ることこそ不自然。800年の中世を拓いたほどの漢を。
    ・義経ジンギスカン説、個人的には充分あり得ると思います。類例なき生存伝承、豊潤なオホーツク海交路、異常な遊牧民テムジン、昭和時の否定論の甘さ…。でも、モンゴル国民をこれほど踏みにじる説もないと思います。その陵墓の如く草原にそっとしておくのが吉かと。

  4. 最期の時でさえも小四郎に鎌倉攻略法を嬉々として教え、武蔵坊の勇姿を興奮気味に眺め、本当に戦のためだけに生まれてきた人なんだなという描かれ方をされていました。
    菅田将暉さんの演じる義経は本当に良かったです

  5. 富樫も立ち往生もはしょったが、それがまた効果的で良かったかも知れない。

  6. 飯坂温泉に泊まった時に佐藤兄弟の寺に行ったことあるような記憶がある。槍があったような。

  7. フルアーマー弁慶は一瞬の癒し 史実でもあんな感じで粘って立ち往生の伝説が生まれたのかも!

  8. ここ数話 亀の前の政子への説教辺りから 神回続きですげえ

  9. 前回の次回予告で奥州にウルトラマン帰ってきた的な感じかと思ったのに、首になって帰ってくるとは全く思わなかった

  10. でもこの後範頼もやってしまうのか…

  11. 今回の義経は大好きなキャラです。
    自分のイメージにピッタリな義経像!
    頼朝との関係も凄く良かった👍
    鶴岡八幡宮に参拝する度に舞殿も参拝して静御前を思ってます。
    解説面白く見させてもらってます。

  12. 静御前のその後はいろんな伝承があるみたいなのですが、京へ戻ったとも、義経を追い平泉へ向かったとも、その一つに新潟県長岡市栃尾に静御前のお墓が建っています。
    平泉へ向かうために、度重なる長旅と山越えで栃尾の地で床に臥せてそのまま亡くなった。
    そして、従者と栃尾の人々の手で埋葬され、少し小高い丘の上にお墓と慰霊碑が立っていました。
    戒名は「源貞院殿松寿妙栄大姉」と伝わっているそうです。

  13. いつも楽しみに拝聴しています。大河ドラマファンで半世紀ですが、亡き緒形拳さんの弁慶の立ち往生が思い出に残っていますが、今回の様な終わりもなかなかの演出だと感じました。頑張って解説をお願いします。台湾台北から。

  14. いつも解説ありがとうございます!毎回毎回勉強になってすごい面白いです!

    新田義貞の鎌倉攻めを義経が予言してたという脚本しびれましたね!5/22が鎌倉滅亡の日というのもまた面白いです。

    しかしちょっと冷静になって考えると、新田義貞に鎌倉幕府が滅ぼされたのは、弱点を知っていたのに対策をしなかった義時と梶原が悪いのでは??と、この脚本では思ってしまうような気がしました。
    対策はしたけど稲村ヶ崎を突破してくるとはさすがに予想できなかったんだよ!ってとりあえず納得しようとしていますが気になります。

    ご意見ぜひ聞きたいです!

  15. 今回の感想は義時が悪どくなってしまったなぁと、義経の死が意外な展開で描写されたことに驚いたなと思ったことです。
    あと、善児がまた善児してたなって
    てっきりこの前の義高のときも後ろからさっくりいくのかなぁと思ってたら別の人がやってていや、お前じゃないんかいと思った。

  16. 本編を1~2回観て、武士道さんの解説を観ていますが、また本編を観たくなっての繰り返しです( ̄▽ ̄)
    他のどの解説動画より面白いです♡
    麒麟がくるからのフォロワーですが、すごく勉強されて、頑張ってらっしゃる様子が好ましく、これから鎌倉殿の後半戦も楽しませていただきます⁽⁽٩(๑˃̶͈̀ ᗨ ˂̶͈́)۶⁾⁾

  17. このドラマでいちばん不愉快なのは、善児という架空のキャラが人を虫ケラのように簡単に殺すシーンが何度も出てくること。早く退場してほしい。義時よ、こいつはお前の兄宗時を殺した犯人だぞ!

  18. 以前 義経の首は…今度も腰越に留め置かれて鎌倉へは入れなかったという話を聞いたことがあるのだけれど…あれはガセかな?

  19. 義経の鎌倉攻めの策の話を聞いた時すごくうるっときました
    新田の攻め方を既に考えてた義経にやはり「八幡大菩薩の化身」の言葉が似合うなと思いましたね
    強さだけでなく策の穴の無さに感嘆しました

  20. 義経を追って平泉へ向かった静御前が、現在の茨城県古河市の下辺見にて義経自害を知って……という言い伝えが古河市や埼玉県の須賀市にはありますね。下辺見には静御前の像が立てられています。

  21. 里は平泉にいる間幸せだったと思います
    もし言葉のような感情持ってたら、平泉で最初に姫と一緒に登場した時あんな表情はしてないでしょう
    義経が最期を覚悟したのを知って、最期まで義経と一緒にいたいのと
    手にかかっても夫が自分を責めないよう、あんなことを言ったんだと思います

  22. オープニングに善児の名があると「あぁ今週も誰かいなくなるんだ」と思うようになった。いったい何人犠牲になるんだろう。義時に「やっちまいましょう」と言うあたり本当にヤバい奴と思った。義時もまさか兄の仇と同行するとは思ってもいまい。

  23. 義経の鎌倉攻めを話してる時の表情が素敵すぎて次の土曜日にまた見たい。

  24. 義経は本当に屈指の軍略家だと思います、だからこそこの後に来る泰平の世で天賦の才を生かせなかったかと思うと何とも切ないです。

  25. 平家
    討伐のくだりに比べて、義経には結構時間を割いてましたよね。
    元々義経嫌いなので、「やっと終わった」感。
    また来週から楽しみです

  26. 具体的な地方は忘れましたが近畿の辺りで静が最後に暮らしたという場所がありましたっけね 由比ヶ浜に埋められた赤子を既の所で助けて陸奥の後継者に成長する修羅の刻がすきです

  27. 里が最後に告白したのは、もう最期を覚悟したからこそ、義経の手で死にたかったのか。
    あるいは、自分と娘を殺さなければならないだろう義経の罪悪感を、少し減らす為に憎まれ役を買って出たのか。

    衝動的に里を殺してしまった義経がハッとして泣いたのは、そんな里の愛に気付いたからかもしれませんね

  28. 藤原氏3代で、触れられない「(弟)基衡と(兄)惟常」の関係が、後世にしこりをのこしていたのでは?この時権力継承がうまくいかずに、基衡=秀衡派と、その血が薄い御曹司を担ごうとう勢力が潜在していたわけでしょうね。私も実は、兄=(京大卒業の自慢の息子)がガンで死亡した時、その未亡人と結婚しろ、と親や親戚から圧力かけ負けまくられて拒絶して、絶縁し、泥沼の遺産相続が始まりました。

  29. 義経が妻子を返さず殺したのは壇ノ浦で平家の最期を見たからではないでしょうか?
    源義経の妻子として雄々しく散る、でないとあの世で平家の者共に笑われるという思いがあったのでは?

  30. 義経がサイコパス的に大河で描かれているので、生きている説が有力のような。実際に酢漬けの生首40日後に鎌倉入。誰だか腐っててわからん状態。死んだ場面も描かれてないし。実際の妻子を殺すことで、義経も心中したと説得しやすい。女性や女児なら、死ななくてすんだかもしれないのに。しかも比企の関係者。大河では「人質として連れて行く」と静御前にも告げている。
    義経の死の信憑性を上げるために、妻子を殺したと考える。
    そしてサイコパス義経は北海道か大陸に逃亡。

  31. タッキーの『義経』では石原さとみさんが演じてましたね。泣けるシーンだったのを覚えています。

  32. 軍人として勇敢に戦って褒美を貰うことは当然の事だが頼朝が軍事政権を鎌倉にうち立てようとしてる時に義経が後白河法皇の側に寝返って分裂してしまうのを恐れて匿っていた奥州藤原氏に圧をかけて義経を追いやるも本当は軍門に降れば許されたのかなと首の入った桶を前に号泣したのかなと思ったりした

  33. 義経と弁慶の最期
    無邪気で鎌倉に登る前の姿を見るようでした
    人間臭くとても良かったです

    あと全く関係ないですが、無知を承知でお尋ねします。EDで使用されているオーケストラは何という曲ですか。

  34. 一話完結に近いドラマに仕立てている 見事な演出 次回に続く が無い 省略の見事さ って まだ始まっていない13人 義経編終了 頼朝編も急死で終了 そして始まる13人

  35. 源義経については、戦国BANASHIさんの源義経観を配信いただければ有難く存じます。
    タッキーが演じた2005年の大河ドラマでも頼朝役の中井貴一さんが義経の死を聞いて謝罪というか苦悩している場面がありました。

  36. パトリチェフ弁慶も見たかったですが、義経の表情と言葉のみで表現される本作の弁慶も見応えがありました。今後も鎌倉殿と武士道さんの解説動画楽しみにしております。

  37. 神奈川県藤沢市の白旗神社には義経の首の事で別の話が書いてあります。
    首といえども鎌倉入りを禁じられたため由比ヶ浜で首実見後に海に捨てられたのだが、一晩の内に境川、白旗川を黄金の亀に乗って遡り、白旗神社の地で村人に拾われた。その時、近所の子供に憑依して「我は義経なり」と話したため、近くに首塚を築いて供養したのだとか。
    戦後までこの首塚はあったのだが、屑鉄屋の朝鮮人が壊したのだとか、首洗い井戸はマンションの間に辛うじて残っています。

  38. 60過ぎたおっさんです。
    子供の頃は 日曜8時になると父親が、この時間だけは独占して観ており 裏番組の青春ドラマが観れなくて何が面白いんだくらいにしか思いませんでした。
    歳を重ね 興味が出てきて大河も好きな時間に観れますし ましてやこのような動画解説があり とても有りがたく思います。この時代の物語は 中心人物以外の説明など 知らないことばかりで益々引き込まれており 毎回楽しみにしています。
    今後もよろしくお願いいたします。

  39. しかしまあ、義経率いる奥州軍と鎌倉勢の戦いを見たかった。
    その場合、元寇はどうなってたんだろう。
    頼朝が何やっても許されるのは、元寇をうまく乗り切れる体制を作ったことだろう。
    北条氏はよくやったよ。

  40. 畠山重忠の「音曲を侮るな!この域に達するのにどれほどの歳月を費やしたか…」というセリフがあったように、その道のプロに「下手に舞え」と言うのは無理がありましたね。同じように義経に故郷でもある奥州に「行くな」というのも無理がありました。似た2人だったんだなと感じます。言っていることは最適解ではあるけれど、人の心の芯を理解出来ず怒る義時が少し怖いなと感じました。

  41. 一瞬の妻子の足だけ見せ、義経も弁慶も最後まで笑っている。顔で笑って心で泣く。流石だなと思いました。

  42. 殺しあいです。
    現在の価値観では観れない
    頼朝は兄弟仲良くしていれは
    没後に子供や孫も死なずに
    すんだかも

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