石川数正は徳川家康が人質時代から仕えた重臣であったが、小牧・長久手の戦いで家康と豊臣秀吉が戦った後、徳川家から出奔して豊臣家に寝返ったとされている。しかし研究が進みこの事件は家康と数正が示し合わせた可能性が高い・・

#日本史 #どうする家康

作曲 秋山裕和
http://www.hmix.net/

4 Comments

  1. 大久保長安事件と無関係に家康は康長を徹底して冷遇してたけどな。本当に数正が徳川家を救ったと家康が感謝してたらありえないくらい酷いありさまでした。

  2. この石川数正事件は初めて知ったのは大河ドラマ「秀吉」でした。なんとも喉に骨が刺さったような不思議な事件だなぁって当時思いながら視聴していました。

  3. 石川氏は正真正銘の源氏だけど松平はどこの馬の骨かわからない自称源氏。家系図を偽装して源氏になった家康は本物の源氏である石川数正に嫉妬したのではないか?

  4. いや証明されることなんてないよ
    人間は自分の思いたいように思うからな
    現実はそんなドラマチックじゃないから

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