今回のテーマは今川氏滅亡です!
・実は今川氏は明治時代まで続いた!?
・氏真が無能という評価を定着させたのはあの本だった
近年の研究をもとに今川氏真の実像に迫ります!
【武田信義の死因について】
近年、武田信義の法語(仏の教えを説いた文章)が発見され、そこに病死に明記されていることが確認されています。詳しく知りたい方は黒田基樹『武田信玄の妻 三条殿』(https://amzn.to/42ic3x1)がオススメです。
※本動画は「どうする家康」のネタバレを一部含みます。
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0:00 オープニング
0:42 桶狭間の戦いまでの氏真
1:59 桶狭間の敗北と家康の離反
3:35 武田信玄の不信感
4:37 北条氏の危機
5:27 三州錯乱
6:09 遠江国の混乱
8:27 氏真の遠江国安定策
9:15 信玄と信長の同盟
10:36 上杉謙信に接触
11:51 武田信玄の駿河侵攻
12:39 徳川家康の遠江侵攻
13:01 今川氏真のその後
13:45 氏真無能説を広めた犯人
14:32 参考文献のご案内
14:42 ライブ配信のご案内
についてお話しています!
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■関連書籍のご案内
大石泰史『今川家滅亡』(角川選書)
今川氏滅亡がタイトルになっていますが、戦国大名今川氏の足跡を概観できます。選書のため少し難易度が高いですが、今川氏について詳しく知りたい方にオススメです!
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平山優『徳川家康と武田信玄』(角川選書)
「どうする家康」時代考証の平山優氏による家康と信玄の抗争を詳述した選書。桶狭間の戦いから武田信玄の死までの経過がかなり詳しく書かれているので、『どうする家康』の上半期で描かれる内容はほぼ網羅されると思います。上級者向けですが、最新研究の動向を知りたい方は必見です!
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平山優『新説 家康と三方ヶ原合戦』(NHK出版新書)
「どうする家康」時代考証の平山優氏の新著。家康生涯唯一の大敗といえる三方ヶ原合戦を詳細に分析した新書です。信玄が見抜いていた家康の弱点とは何か?三方ヶ原合戦を詳しく知りたい方には必見の1冊です。
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■今回の時代のキーワード
#どうする家康 #大河ドラマ #徳川家康 #今川氏真
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12 Comments
今夜も大河ドラマを見て、先生の説明をお待ちしていました。花粉症の喉の調子は如何ですか?今夜は明瞭なお声で、聞き取り易かったです。
ありがとうございました。
21日の21時も楽しい🎶みにしています。
戦国時代、再び、勉強させて頂いています。
敗者が実際以上に貶められて史書に記されるのは定めと言えるでしょう。まさに『勝てば官軍負ければ賊軍』なのです。
まさに今川義元ゆずりの政治の才❗
周囲の大名が優秀すぎた…そう思います
河原先生の 動画を見ると「実際は 違うのかもしれないんだ 」と思えますが、それにしても 大河ドラマの方は 余りにも空想上過ぎる表現が多過ぎるかなと感じます。あんな風に 家康と信玄は あっていない筈だぞ・・😂
お疲れ様です。
ローマ人信玄、迫力ありましたね。あっという間に駿府を制圧。強い‼️
今川氏は、明治まで続いたのですね。
忠臣蔵で有名な高家、吉良上野介が今川氏の親戚になるのは知ってましたが。明治まで続いてたとは、知りませんでした。氏真、家の存続の為、頑張ったのですね。
田鶴さんの瀬名への手紙、ちょっと悲しかった。
これ、最新の研究でですか?
自分の認識では確か1千石か1千5百石で家康に迎えられ、
当初、御伽衆として仕えたハズなのですが・・・?
自分が知識を得たのは、もう30年は昔の話なんですけどねぇ~??
大身旗本が三千石以上ですから、かなりの高禄と言えます。
家康は無能にこんな待遇を与えませんよ。
ちなみに、真田家家老矢沢家五百石・赤穂藩家老大石家五百石
町奉行遠山家五百石、こんな感じですね優秀な人でも。
自分の理解では今川家に何の恨み辛みはなく、
軍事力を背景にした政治的理由で離反したのは明らかで、
終の棲家に駿府を選んで生涯したのがその証だと思うのですけれど。
誰だって嫌な思いしかない場所に住みたく無いでしょう。
武田家が滅んだ遠因ともなってますよね。もし信玄が今川を助け家康を討ち、今川氏真を武田家の藩屏(もしくは同盟国維持)とし義信に家督を譲って勝頼を重臣としていたら全然違う結果になったのでは
当時は戦国ですから、代替わりしたらここぞとばかりに攻められますね。
武田氏も勝頼に引き継いでから10年弱で滅んでおりますし、
織田氏も信長に引き継いだあと、離反や謀反が相次ぎましたが、なんとか持ちこたえております。
当時は「無能だから家が滅んだ」と言うよりは、「よほど優秀じゃないと家を保てない」と言う事でしょうね。
氏真は家康に独立され戦国大名として終了させられるもその家康の庇護を受け生き延びる。
一方家康と手を組んだ武田氏は後に家康や織田(+かつての同盟相手の北条)の侵攻を受け滅亡。
戦国の無常(無情)さを見る思いがします。
義元の失敗は次男が居なかったこと
そして氏真は文化人としては有能だが 政治・そして戦がとにかく下手
歴史は勝者によって作られると言いますしね。
まあ、さすがに戦国時代と言っても理由も無しにいきなり隣国に攻め込んで旧領主を滅ぼしたとなれば、ただの極悪非道の無法者との謗りは免れないでしょうし。
そうなれば後の領国経営にも悪影響を及ぼすので前領主には無能の悪人であってもらわないと困るわけです。
後世に残る今川氏真の悪評は、”甲陽軍鑑”からだったのですね。確かに敵方の資料なので、必要以上に悪役となっているわけですね。それがずっと、今に至るまで信じられていたとは、気の毒です。この情勢では、よほどの才覚がなければ御していけなかったろうと思われますので、彼以外の人が当主であったとしても、今川氏は滅んで行かざるを得なかったと感じます。しかし、時代の変遷を理由にするのを潔しとしなかった氏真は、おそらく必死で今川家の存続のため奮戦したのでしょう。優秀過ぎる父と自己を比較される辛さを、彼が感じていたらと思うと、可哀想になりますね。でも視点を変えれば、戦国大名としては滅んでも、後の世まで高家として残り、明治時代まで存続していたとは、大したものですよね!!戦い勝利することだけが、全てではないとの証明でもありますね。