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※諸説ある中のいくつかを採用して物語にしています。ひとつの説として楽しんでいただけると嬉しいです。
※大筋は外さないようにしていますが、間違っている場合はご指摘いただけると助かります。

大河ドラマ 『どうする家康』にも登場する徳川信康(演:細田佳央太)。徳川家康の長男だった信康ですが、父・家康に処刑されてしまいます…。松平信康とも。

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23 Comments

  1. 信長から、信を貰い、父親の家康からは康を引き継いでる。100%徳川の後継者。また、実際に戦の才能が高く、父親の家康も菩提寺を建てるくらいに深く悲しんでる。信康が自刃した時には長篠の合戦後で、信長は蹴鞠楽しむくらいの余裕ありで武田家は滅亡への道を歩み中。まぁ、信康と瀬名が謀反起こそうとしたんだろうな。

  2. 毎日楽しく拝見してます。(笑)信康かなり有能な武将ですね。家康に信長を越える力強いがあれば切腹せずにすんだかもしれないですね。私的に家康が家のために嫡男を切り捨てるのは無いような気がします。真相は分かりませんが。

  3. 信長命説なら、家康+明智(天海説)が本能寺って流れも判るわな。 家康命説なら瀬名と信康の悪行が百倍になって伝播してないと徳川神おかしい。

  4. 石川数正と服部半蔵が出たという事はそろそろ本多正信・正純親子も……
    正純やるなら宇都宮城の釣天井もお願いいたします。

  5. 浜松派と岡崎派の対立・分裂危機を防ぐためという説も聞きます。
    ともあれ信康の死は家康に相当堪えたようで、関ヶ原の戦いではもし生きていたら(生存していれば41歳。なお秀忠は当時21歳)と零したことも。

    幸いなのは女系ながら信康の血筋は続いたこと。娘2人は本多忠勝の長男と信濃小笠原氏に嫁いだ。

  6. 同盟相手の長男が優秀ならいいけど、勇猛だとね。寝首かかれるからね。これが部下だったらいいけど、同盟(協力)だからね。
    後継者は削ぎたいよね。
    信長は信康を殺し
    秀吉は秀康を養子にした。

    つまり、家康の戦力を削ぎたいんだよ。
    武田と潰しあうのがのっぶの策略だし

  7. 奸計が得意な家康ならば、まあ信康の処刑はあり得る。長男で跡継ぎの処刑なら尚更。

    記録に残さず、色んな風潮や噂を流して誤魔化すのは今昔変わらんな。真相は、当事者しか知らんのだろうな。

  8. 大河で信康と瀬名が死なないのが歴史と違ってモヤモヤする

  9. …瀬名や家康に反発している家臣らに巻き込まれたのでしょうか? 戦国で夫婦仲は最良から最悪まで様々で、今川家のことを引きずっている一派の代表にされたとは気の毒な。弟秀忠も、兄の不幸を嘆いていたでしょうね。まさに徳川の業と闇の深さ。ありがとうございました!

  10. 勢力拡大した信長に逆らうよりは、身内を切り捨てでも
    同盟と家を存続させたかったかも知れない。

  11. 信康が切腹の時の介錯人に服部半蔵が務めたそうで信康の切腹後、周囲の目も気にせず号泣したそうです。
    大河ドラマ「どうする家康」を観るに徳川の天下は怖がり・臆病・諦めの速さの家康はだけでは成しえなかったと思う。
    良い部下に恵まれ特に服部半蔵・柳生宗矩の存在が大きかったと思う。

  12. 瀬名はトラブルメーカーで信康はそれに巻き込まれ信長に利用された、に一票。信長は徳川の戦力を削ぎ、かつ後々の不安要素をなくしたかった。瀬名の助言で信康が側室を持ったことが日本の最高権力者である信長のメンツを潰した。長篠の戦い後の弱体化した武田と徳川が手を組んでも織田なら勝てる。
    といった背景があると思います。司馬遼太郎の受け売りですが

  13. 動画制作お疲れ様です(*´∀`)

    この岡崎三郎信康の悲劇の根本というか、大元の原因は……家康自身の組織造りの失敗から来ています💦

    家康はその軍団を西三河と東三河の国衆&城主たちに区分して統率しようとしました😃
    西三河のリーダーは石川数正、東が酒井忠次です
    で、その他に有名どころの武将が【旗本衆】となっていました😚

    で………信康はそのどこにも立ち位置が無いのです💦
    なんで家康がそんな事をしたのか?分からないのです💦

    とにかく、軍団の中の立ち位置が曖昧なまんま……岡崎城代となってしまいました(;゚д゚)
    しかし、長篠城を狙う家康の援護射撃である足助攻めなどで大いに活躍はします

    が…………(;゚д゚)

    家臣の松平家忠の日記にかなり気になる記載があるそうです
    信康が東西三河の国衆に対して、毎月一日に岡崎に登城して挨拶をするように!という指示があった……と

    主君は家康ただ一人のはずですが、相手は御曹司😰
    困りながらも従います
    で、そのうち毎月領地から挨拶に出て来るのは大変だろうから岡崎城下に屋敷を構えるようにとのお達しが信康から出てしまい……屋敷を構えて使用人の女房衆などもそちらに移した、と日記に出てきます😱

    が、たちまち家康の耳に入り……驚いた家康がすぐにそのような屋敷は引き払え!という命令を出し、家忠は浜松城に呼び出されて領地から片道約60キロの道を一日で掛け通して家康の元に出向、事情を説明するハメになります😰😰😰😰

    どうも信康という人は家康の言う事を聞かない人だったらしく、そんな事があったというのに天正七年五月には鷹狩りの獲物を分けてやるから岡崎城に出向しろと……家忠達に言ってきています(これも主君だけが出来る事です💦)

    さらに天正七年六月五日………
    そのころ信康は家臣団の誰かと諍いを起こしたらしく、この日に家康がわざわざ岡崎城に来て信康とその誰かの仲裁をしているのです
    (家臣の名前は日記が傷んでいて読めなくなっています)

    信康が岡崎城代の任務を解かれ、謹慎させられるのは……それから間もなくの事なのです(^_^;)
    徳川家の中で信康の立場がもっとハッキリしていたら……こんな事は起きなかったかもしれません😓
    家臣団の軍団の中に名前が無い……すなわち自分が【大将】だと思い始めたのかもしれません💦
    家康から岡崎城を預かる【城代】では無く、岡崎城主……【領主】として家康の家臣団を自分の家臣として扱い始めた………(;゚д゚)
    もしもそうなら、それは……
        【謀叛】
    です(゜Д゜;)

  14. 家康の独断説もありますが、普通に忠誠を確める為に命じた説が納得出来るような気がする
    武田の最期を見届けてるから信長も少し思うところがあっての事なのかな

  15. 当時飛ぶ鳥を落とす勢いの信長で信玄の死んだあと勝頼は信玄の家臣と対立したり何かとゴタゴタしていたから内情を治める事に苦しんをしていて外に目が行く状況だったのか🤔

  16. 更に、家康の次男で信康の異母弟に当たる秀康の名前も、父家康のライバルにして秀康の養父となる、秀吉から与えられたものだし。因みに秀康は後に、結城家の養子入りし結城秀康と名乗る事になるが。

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