寿命脱出速度というものがある。1年たつ間に抗老化(アンチエイジング)研究が進み、医療技術があなたの余命を少なくとも1年以上延ばせるようになった時点から、この速度は差し引きでプラスに転じる。以後、人々は毎年歳を取るほどに寿命を延ばし続ける、という考え方だ。

もう20年近く前に書籍編集者として担当した老年学者オーブリー・デ・グレイの『老化を止める7つの科学』で初めてこの概念に出合ったときにはまだ夢物語にしか思えなかったけれど、いまやAIの急速な発展と相まって、人類が120歳や150歳という生物学的な限界を超え、寿命脱出速度に到達するのは可能性の問題ではなく時間の問題だとまことしやかに語られている。未来学者のレイ・カーツワイルは近著『シンギュラリティはより近く』で、「健康や医療に熱心に取り組む人々ならば」、早くも2030年にはこの速度に達するだろうと予測している。

あらゆる病気を治療し、死を克服することは、人類最古の物語とされるギルガメッシュ叙事詩に不死の探求が描かれて以来、究極の目標であり続けてきた。そして近代科学や先端医療によってついに前世紀、人類は平均寿命を大幅に延ばすことに成功する。

EXTRA LIFE─なぜ100年間で寿命が54年も延びたのか』によれば、この寿命伸長は華々しいイノべーションだけで起こったわけではない。特に当初は感染症対策や衛生環境の改善といった、いまもグローバルヘルスの分野で地道に取り組まれている努力による、乳幼児死亡率の劇的な改善が成し得た数字だ。20世紀をざっくりと整理するならば、前半は幼い人々が死ななくなり、後半は心疾患やがんの治療が進歩したことによって年配者が死ななくなったということになる。

そして人類はいよいよ、「死」や「老化」そのものに真正面から取り組もうとしている。例えばタンパク質の構造予測でノーベル化学賞を受賞したGoogle DeepMindのデミス・ハサビスは、汎用人工知能(AGI)の実現によって深刻な病気の治療が可能となり、より健康で長寿な人生が実現する「ラディカルな潤沢さ」の時代が来ると『WIRED』に語っている。老化を「治療可能な病」のリストに加える時代は、もう目前に迫っている。今特集「The Future of Health」は、その最前線から見える未来をお届けするものだ。

※雑誌『WIRED』日本版 VOL.59 特集「Future of Health:生きることの未来」の詳細はこちら。

※雑誌『WIRED』日本版 VOL.59 特集「Future of Health:生きることの未来」の詳細はこちら

かくして、親の年齢を超えて生きることがもはや規定路線となった時代をぼくたちは生きている。それでも、個人的な話をさせてもらえるならば、親の年齢を超えることには小さくない意味がある。特に若くして親を亡くした場合、自分の人生の先には常にぼんやりと親の年齢という区切りがあり続けるからだ。

意識するにせよしないにせよ、それは生き方に大きな影響を与えてきたはずだ。性格形成、人生の選択、未来に抱く絶望と希望(これに『WIRED』は「闘う楽観主義」という素晴らしい言葉を与えてくれた)……

仮にそれを運命脱出速度と名付けてみよう。親から子へと病気が遺伝し、やがて親と同じような年齢で死ぬことになるという予兆から逃れる速度がプラスに転じたとき、つまり親の生きた日数を自分の人生がついに超した瞬間(ぼくの場合それは2025年2月22日だった)、やっと運命を乗り越えたという想いや、残りの人生がまるでボーナスステージで、だからこそ世の中のためにもっと使えたらといった、不思議な感慨を抱いたことを覚えている。つまり、生をやっと肯定できるようになったのだ。

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