アルツハイマー病は、突然発症する病気ではない。記憶や認知の衰えが表面化するはるか以前から、脳内ではアミロイドやタウといったタンパク質が少しずつ蓄積されているのだ。この“静かな進行”の間に何らかのサインを掴むことができれば、発症の予防や早期介入への道が開けるかもしれないと考えられている。
こうしたなか、患者がアルツハイマー病と診断される10年以上も前から、うつ病や睡眠障害、高血圧といった病態が“兆候”として現れている可能性が、このほどヴァンダービルト大学の研究チームが実施した大規模な電子健康記録の分析によって明らかになった。
「アルツハイマー病の発症に10年以上前から先行して現れる病態の全体像がわかれば、記憶障害や認知障害といった臨床症状が現れる前に介入できる可能性があります」と、ヴァンダービルト大学医療センター(VUMC)の研究助教授であるシュエ・ジョンは説明する。「アルツハイマー病の発症をわずか5年遅らせるだけで、罹患率を半減できると試算されています」
10年前のカルテに刻まれた“予兆”
ジョンらの研究チームが用いたのは、2つの独立したデータベースから収集した匿名の電子カルテ(EHR)だ。1億5,000万人以上のデータを含む米国の保険請求データベース「MarketScan」を探索群(新たな関連性を見つけ出すためのデータセット)として、約300万人のデータを擁するVUMCのEHRシステムを独立した検証群(探索群で得られた知見を別のデータで裏づけるためのデータセット)として使用している。
MarketScanのデータでは、43,508人のアルツハイマー病患者と41万9,455人の対照群(アルツハイマー病と診断されていないが年齢と性別が一致する比較対象者)が特定された。研究チームはアルツハイマー病と診断される10年前までさかのぼってEHRを追跡し、患者のカルテに有意に多く記録されていた病態を統計的に絞り込んでいった。分析対象はMarketScanでは1,722種類、VUMCのデータベースでは1,112種類の疾患分類に及ぶ。
分析の結果、MarketScanで406種類、VUMCで102種類の病態がアルツハイマー病患者に多く見られることがわかった。2つのデータベースで共通して確認された病態は73種類に上るという。なかでも突出していたのは精神疾患のカテゴリーで、うつ病や不安障害、双極性障害、統合失調症、妄想性障害、幻覚、希死念慮といった症状が含まれる。
神経疾患では不眠症や睡眠時無呼吸症、本態性振戦(明確な原因がなく手や頭、声などが規則的に震える神経疾患)、けいれんなどが、内分泌・代謝系では2型糖尿病やビタミンB群欠乏が、循環器系では高血圧や脳動脈硬化、脳虚血がそれぞれ有意に多く見られた。記憶喪失や軽度認知障害といったアルツハイマー病の典型的な前兆がデータに現れるのは当然としても、睡眠障害や精神疾患、高血圧など一見すると無関係に思える病態が長期にわたって先行していることは、アルツハイマー病を理解するうえで重要な視点を与えてくれそうだ。
遺伝的背景との交差点
さらに研究チームは、遺伝子と疾患の関係を調査するためのバイオバンクであるVUMCの「BioVU」と、英国の「UKバイオバンク」(遺伝的素質や生活環境が疾患に及ぼす影響を長期にわたって追跡調査している大規模研究)のデータを活用して、特定された病態とアルツハイマー病の遺伝的リスクとの関連を調べた。
その結果、73種類の病態のうち19種類がアルツハイマー病に関連する個別の発症リスクバリアント(特定の疾患のなりやすさや発症に関連する遺伝的変異)や、ポリジェニックリスクスコア(複数の遺伝子変異を組み合わせたリスク指標)と関連していることが確認できた。
