東日本大震災から15年。津波で父が行方不明になった少年が、15年の時を経て語ってくれた父への思いと災害への備えとは。
【写真を見る】震災で“修学旅行に行けなかった”陸前高田の野球部エースが名古屋の始球式に招かれた いま語る15年 津波で父は行方不明
震災で甚大な被害を受けた、岩手県陸前高田市。
震災のあと、街は高さ12メートルの防波堤に囲まれました。今でも、震災の恐ろしさを伝えるため、数多くの震災遺構が残されています。
陸前高田市で農業を営む吉田凛之介さん(29)。吉田さんと初めて会ったのは、15年前の名古屋でした。
当時、名古屋市は震災で修学旅行に行けなかった中学生のために、市民から寄付金を募り、2泊3日の日程で名古屋市へ招待。その中にいたのが、吉田さんです。
野球部のエースだった吉田さんが任されたのは、ナゴヤドームでの始球式。
(吉田凛之介さん 当時中学3年)
「プロを目指して、この場に立てるように頑張りたい」
その吉田さんは今…
■「“おとう”が仕事をやめたら農業をやると言っていて」
(吉田さん)
Q.ここでは何を作っている?
「もう終わるんですけど、ほうれん草」
街の高台、自宅前にあるビニールハウスは全部で5つ。育てているのはキャベツやほうれん草、トマトなど約40種類です。
吉田さんは、実家の農家を継いでいました。
(吉田さん)
「『少量・多品目』といって、量は少ないけど多くの種類を育てて、年中畑が回るように」
大学卒業まで野球を続け、盛岡市で就職した吉田さん。農家を継いだわけは…
(吉田さん)
「うちの“おとう”が、仕事をやめたら農業をやると言っていたのを聞いて、それだったら自分もやりたいなと」
Q.お父さんは定年になったら跡を継ぐつもりだった?
「多分そう。そんなに詳しくは聞けなかったので、わからない」
■父親は津波の犠牲に…
震災の時、消防団員として避難誘導をしていて、津波に巻き込まれた父の利行さん(震災当時43歳)。
(吉田さん)
「やっぱり震災があったのが、大きかった。震災がなかったら、地元に帰ってくることもなかったかもしれない…」
跡継ぎがいなくなった畑。それを守っていくと決めました。
(吉田さん)
Q.この辺りでお父さんと遊んだ記憶はある?
「キャッチボールはここらでやったり、家の前でやったり…」
Q.子どもの時の街と違う?
「全然違う。このあたりは、りんご畑と山だったので」
