名古屋を拠点に、知的障がい児や発達障がい児に特化した支援サービスを展開する竹内亜沙美さん。もともとは中学校の非常勤講師として教壇に立っていた竹内さんが、どのように障がい者支援に目を向けるようになったのでしょうか。(全2回中の1回)

【写真】竹内さんが就労準備に特化した放課後等デイサービスを開くまでの奮闘(全11枚)

赴任先の学校で感じた違和感から、学び直しを決意 竹内亜沙美さん

── 2017年に起業し、障がい者支援事業を展開している竹内さんですが、以前は中学校の非常勤講師として働いていたとうかがっています。当時から、障がい者への支援や教育に興味を持っていたのですか? 

竹内さん:私には、重度の知的障がいのある弟がいるため、子どものころから「障がい」は身近なものでした。でも、弟の存在が障がい者教育を意識するきっかけになったかというと、そうではなくて。中学校で非常勤講師として働くなかで、障がい者理解についての「疑問」や「違和感」を感じるようになり、「障がい児教育」に目を向けるようになっていったんです。

赴任先の学校には、知的障がいのある生徒や、情緒面などの不安定さから支援を必要とする生徒が在籍している「特別支援学級」があり、私も積極的にサポートを行っていました。でも次第に「通常学級」と「特別支援学級」の間に見えない壁があると感じるようになって…。同じ学校の生徒なのに、特別支援学級に通う生徒の障がいや特性について理解している先生は少なかったように思います。学年主任の先生でさえ、配られた教材を口に入れた特別支援学級の生徒を見て、目を丸くしていて「あれ?」と思ったり…。

── 同じ学校に通ってはいても、通常学級と特別支援学級で分断された体制に違和感を感じたのですね。

竹内さん:そうですね。たとえ特別支援学級の担任じゃなくても、同じ学校の生徒であることには変わりないのだから、「特別支援学級の生徒のことも、通常学級の生徒と同じように理解すべきではないだろうか」と思いました。

私は、小さいころから障がいのある弟の食事の介助や車椅子での移動など、サポートを行ってきました。そのころから、弟のことを物珍しそうに見てくる第三者の視線を「嫌だな、なんでそんな目で見てくるんだろう」と感じていて…。障がいがあることで「普通とは違う扱い」を受けてきた弟がいたからこそ、通常学級と特別支援学級で、理解に差があることに違和感を感じたのかもしれません。

その後、「私は障がい児のことも理解できる教師になろう」と決意。通信制の大学で学び直し、特別支援教育の教員免許を取得して採用試験を受け、特別支援学校で働くようになったんです。

「障がいがあるからつらい思いを…」校長の言葉に起業を決意 働くなかで「障がい児教育」のあり方を考えるようになった

── 特別支援学校に勤務しながらNPOを立ち上げたそうですが、その理由は?

竹内さん:「障がいのある生徒たちの進路」に不安を感じたからです。当時の特別支援学校の授業内容に対して、「子どもたちが社会で生きていく力を身につけることができるのだろうか」と疑問を抱いて…。文字を書くことが苦手な子には、「名前を書く練習」を延々と繰り返させていましたし、足し算なども、「できるまで繰り返し教える」という感じ。

私は、障がいのある子たちに必要なのは、「通常学級に通う子たちと同じことができるようになる」ということではなく、「生きるために必要なスキルを身につける」ことだと考えています。計算を解くことよりも、重さを測ったり、調整したりする実践的な力を身につけたほうが、社会に出たときに役に立つと思うからです。

そう考えて、32歳になったころ「障がい児に社会的なスキルを教える」ことを目的にNPOを設立。障がいのある子たちが放課後に通う支援施設「放課後等デイサービス」を訪問しながら、講師活動を行うようになりました。

── その後、起業して放課後等デイサービスの運営を始めました。あえて「就労準備のための」放デイを立ち上げられたのは、NPOの活動を続けるなかで、何か気づきがあったということでしょうか。

竹内さん:NPOの活動を通して、「自分で放課後等デイサービスを運営したい」という意欲が芽生えつつありましたが、大きなきっかけになったのは、卒業式での校長先生の祝辞の言葉でした。校長先生は、卒業する生徒たちに向けて、「これから社会に出ていく君たちは、障がいがあるためにつらい思いをするかもしれない。それは私たち大人が作った社会が悪い。ごめんなさい」と謝ったんです。

その言葉で、「私も、今の社会を作っている大人のひとりだ」と立ち返ることができました。社会に出た生徒たちがつらい思いをするのは、障がい者への理解がないから。卒業生が、「障がい」を理由に仕事に就けなかったり、雇用されても必要な配慮を受けることができなかったりする事例は多く耳にしています。でも「障がいがあるから仕事ができない」「障がいがあるから社会に馴染めない」というのは偏見で、「働くとはどういうことか」「社会で生きるとはどういうことか」を学び、必要なスキルを身につけていれば、そのギャップは埋めていけるはずなんです。

「障がいのある子たちが、社会に出ても不安を感じずに生きていける仕組みを作りたい」。こう考えて、障がいのある中高生が「就労を視野に入れて準備を行える支援施設」を作ろうと決意しました。

働くなかで感じた「疑問」を「使命」に変えて 特別支援学級で働いていたころ

── 障がいのある子どもたちが、つらい思いをせずに生きられる社会を作ろうしていたのですね。

竹内さん:そうです。私ひとりの力で何ができるかわかりませんでしたが、「動かなければ」という使命感を強く感じていました。また同じ時期に、私自身が「血小板減少症」という病気になったことも、起業をあと押ししてくれたように感じています。

血小板減少症とは、一般の人よりも極端に血小板の量が少なくなる病気。ちょっと転んだりぶつかったりしただけで、大出血になる可能性があり、完治は難しく、難病に指定されている病気です。特に大きな不調はなかったのに、健康診断で突然、病気を告げられたときは、青天の霹靂という感じでした。

その後、医師から提案されたすべての治療法に挑戦しましたが、改善には至らず血小板の数値は下がる一方。最後には入院生活となり、治療法が残っていないことに絶望しながら「人生は、いつどうなるかわからないんだな」と感じました。止血剤と血管を強くする対処療法で、なんとか退院できる状態になりましたが、「命は有限」だと理解できたおかげで、起業への意思も固めることができたと思っています。

──「やりたいことは実行するべき」と、病床で感じたのですね。

竹内さん:そうですね。その後は、退職の意向を学校側に伝え、起業の準備を進めました。そして2018年4月、就労準備に特化した放課後等デイサービス「みらせんジュニア」を開設したんです。

「やるべきこと」を見つけるまでに時間がかかってしまいましたが、起業までに感じた、「社会への不満とジレンマ」が、私をここまで運んでくれたのもたしかなこと。今では、放課後等デイサービス以外にも、就労支援やショートステイ、グループホーム、障がい者が働く飲食店なども展開しており、障がいのある人々を包括的に支援できるサービスを提供できるようになりました。今後も、福祉の視点を大切に、「必要なサービスは自分たちで作る」というモットーで支援の輪を拡大していきたいと思っています。

教師時代の気づきから起業を決意し、就労の準備に特化した放課後等デイサービスの運営を始めた竹内さん。現在も、事業のなかで感じた「障がい者の生きにくさ」を改善するために、さまざまな事業を展開しながら奮闘し続けています。

取材・文/佐藤有香 写真提供/竹内亜沙美

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