「かわいいだけじゃだめですか?」がバズりまくったCUTIE STREET。その続編でもある彼女たちの新曲「かわいいさがしてくれますか?」に、一部から批判の声が上がっています。

◆なぜ同じスタイルで結果が変わったのか?

「メロディがどこに落ち着くかわからないから不安な気持ちになる」や「複雑なメロディについていけるほど歌唱力がない」、「予想してた音程と違うとこ行ってばっかで気持ちよくない」という感想から、曲のコンセプトがぼやけていることが伺えます。

「かわいいだけじゃだめですか?」と「かわいいさがしてくれますか?」に共通しているのは、喋り言葉と歌の中間にある、半分ラップのようなボーカルスタイルです。それが前者では成功し、後者では不評を買ってしまいました。

なぜ「かわいいさがしてくれますか?」は期待通りの反応を得られなかったのでしょうか?

◆タイトルの強さが曲の構造を左右する

まず、曲のシンプルさが違います。「かわいいだけじゃだめですか?」は、タイトル自体がキャッチーなので、音楽の方であれこれと細工をする必要がありません。

よって、音節の多い歌詞がめくるめく飛び交うけれども、コード進行や歌のメロディには鼻歌で歌えるような素朴さが残っています。その素朴さゆえに、キラーフレーズである「かわいいだけじゃだめですか?」の語りが一層効いてくる構造になっているのです。

一方、「かわいいさがしてくれますか?」は文言としての強さに欠けています。説明口調っぽいのです。そのため、タイトルを全面に打ち出してインパクトを与えることができなくなっています。

この言葉の弱さゆえに、秒単位で転調をしたり、そこから関節を脱臼させるようにメロディを展開させていったりと、どうにかして飽きさせないようなアトラクションを配置せざるを得なくなっています。

タイトルの弱さが、音楽の無理矢理感を引き出してしまっていると言えるでしょう。

◆歌詞の魅力の明暗を分けたポイント

次に歌詞のきらめきです。「かわいいだけじゃだめですか?」には、ところどころでハッとさせる歌詞があります。

たとえば、<取り柄ないけど 顔がかわいいのも才能だと思って優しくしてほしいのです>というところ。この歌詞には、自虐と傲岸不遜(ごうがんふそん)が絶妙に入り混じったユーモアがあります。中学生が読んでもわかる文章でありながら、感情のレイヤーが幾重にも重なった味わいがある。

<短所も使え 使え 使え ドジなとこも おバカなとこも>という歌詞も、ヤケクソな客観性という、一見相反する要素が自然に同居している不思議な魅力があります。

一方、「かわいいさがしてくれますか?」の歌詞は悪意味で分かりやすくなってしまいました。

<不器用だって「だいじょうぶ!」 きっと特別な「かわいい」じゃん? 失敗も成功へのプロローグ ぐ ぐぐぐーっど!>

ここでは、「不器用」と「特別」の対立する構図をそのまま「失敗」と「成功」の関係に置き換えているのですが、このようにコンセプトを明快に図解してしまうような言葉の使い方は、詞の勢いを削いでしまいます。

◆バズ狙いが生んだメロディの迷子

確かにメッセージとしては理解しやすい。でも、なんだかわからないけど口に出してしまいたくなる魅力には欠けてしまうのですね。

<遙か未来で咲く花は たくさん咲いてそうかな?>というフレーズも、メンバーの桜庭遥花と板倉可奈の名前に掛けているとはいえ、一昔前の広告コピーのように古臭い。もうひとひねり、深読みをさせてほしかったところです。

こうした言葉のチョイスの詰めの甘さがインパクトに欠ける要因となっているので、そのしわ寄せが突拍子もない曲の構造につながっているのだと思います。

これはひとえに、ショート動画にハマることを前提に音楽を作らなければならないことの弊害です。それが「かわいいだけじゃだめですか?」では奇跡的にプラスに転じ、「かわいいさがしてくれますか?」ではそのまま困難として現れてしまったという話なのでしょう。

秒で有名になることのできる現代でバズり続けることの難しさ。CUTIE STREETは、その刹那を体現しているのです。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4

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