
セガに聞く
“あの時代”のサウンド制作
温故知新。現代のゲーム機、そしてゲーム音楽制作について深く知るためには、過去についても学んでおく必要があるだろう。アーケード、家庭用ハードウェア、ソフトウェアと幅広いジャンルでゲームを制作してきたセガに、1980〜1990年代のゲーム・サウンドについて聞いてみた。登場いただくのは、長年にわたりセガの音を作り上げてきたサウンド・クリエイター川口博史と幡谷尚史だ。
Text:Yusuke Imai Photo:Harumi Shimizu(ゲーム機を除く)
FM音源とPSG音源が基本
──セガのゲーム・サウンドにおいて重要な存在となっているお二人ですが、まずはあらためて経歴を教えてください。
川口 入社は1984年です。41年間勤めて、今年4月に定年退職となったのですが、現在は再雇用という形で働いています。入社当初はプログラマーでしたが、途中からサウンド・クリエイターになり、その後サウンド・ドライバーを設計したりしつつ、今ではまた曲を作る側に戻りました。コンシューマーからアーケード、メダル・ゲームやプリクラまで、幅広く曲を手掛けています。

【川口博史プロフィール】1984年にセガへプログラマーとして入社。『ハングオン』でメイン・テーマを作曲したことがきっかけでサウンド・クリエイターに転身する。アーケードからコンシューマーまで、セガのゲーム音楽を支えてきた人物として、Hiro師匠の愛称で知られる
幡谷 川口はセガのレジェンド・クリエイターです。作曲したアーケード・ゲーム『アウトラン』(1986年)の曲は、ゲーム音楽の起点とも言えるほどの評価を受けています。また、1980年代後半はゲーム音楽をアレンジして演奏するS.S.T.BANDのメンバーとしても活躍されました。プログラマーと音楽家という2つの側面を持って現役を貫いている人です。
──幡谷さんの経歴は?
幡谷 僕はセガに入って今年で35年目です。MIDIも扱えない時代にコンピューターの世界に入り、家庭用ゲーム機のサウンド部門に配属になりました。作品としては、例えばサウンド・チームが主体となって開発した『ROOMMANIA#203』(2000年)など、けっこうユニークなタイトルに携わってきましたね。

【幡谷尚史プロフィール】1990年にセガへ入社し、家庭用ゲームのサウンドを担当。『ソニック』シリーズのほか、メガドライブの『ゴールデンアックスⅡ』、ドリームキャストの『スペースチャンネル5』『ROOMMANIA#203』など、王道から異色作まで幅広い音楽を手掛ける
──川口さんが最初に手掛けた作品はなんでしたか?
川口 1984年にはアーケードもありましたが、そのころはSG-1000があって。同期のメンバーと一緒に『ガールズガーデン』(1985年)というゲームを作ったのが最初です。そのときはまだプログラマーで、音楽には携わっていませんでした。音楽のデビューは、アーケードの『ハングオン』(1985年)です。
──その時代のアーケード・ゲームは、ボード(基板)に載ったサウンド・チップで音楽を再生していたのでしょうか?
川口 そうです。内蔵音源と呼ばれるものですね。YM2203というYAMAHAのFM音源チップを使っていて、4オペレーターのFM音源3chと、矩形波やノイズが出るPSG(Programmable Sound Generator)音源3ch、そしてPCM1chを鳴らせました。
──当時のサウンド制作はどのように行われていたのでしょう?
川口 曲はシンセやシーケンサーを使って作るのですが、完成したら譜面に書き起こします。譜面化したものを見ながら、音符を数値化してコンピューターの画面に打ち込んでいくわけです。MML(Music Macro Language)のようなテキスト・ベースの言語ですね。ピッチや長さをすべて数値として一つずつ入れていました。
──実際のサウンドはどうやって確認していたのでしょう?
川口 最初のころは実機に入力して、実機で確認をしていました。音色作りは、当初YAMAHA DX7で作った音のパラメーターをうまく移植して入れていましたが、その後筐体と同じFMチップの載ったハーフ・ラックのYAMAHA FB-01などを使ったりしていましたね。同じYAMAHA製なので、搭載チップと近い音作りができます。そのパラメーターを元にして、実機搭載データを作っていました。
──打ち込まれた曲の情報はただのテキスト・ファイルですが、それをどのようにしてゲームに組み込むのですか?
川口 まずはコンピューターが認識できるバイナリ・データにするため、アセンブルという作業を行います。それからICE(インサーキット・エミュレーター)というものをボードのCPUソケットに挿して、それを通してデータを読み込ませることでやっと音を鳴らして確認ができたのです。FM音源以外にPCM音源も使えたので、サンプリングしたものもデータ化してROMに焼いていましたね。
──家庭用ゲーム機だと、PCM音源が使えるようになるのはもっと後のことだと思います。アーケード・ゲームは筐体の大きさもあって、PCM音源チップも載せることができたのでしょうか?
川口 それもありますが、コストをかけられたという面も大きいと思います。家庭用ゲーム機で同じことをやってしまうと、販売価格がかなり上がってしまうので。また、アーケードのほうがPCMデータを入れるROMの余裕もありました。『ハングオン』の次に出た『スペースハリアー』(1985年)、それから『アウトラン』となっていくうち、ROMの容量は倍々になっていき、よりリッチなサウンド表現ができるようになりました。
── PCMデータは社内で制作を?
川口 サンプリングして作っていましたが、あまり長いものは使えません。例えば、シンバルであれば短いサンプルを…
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