高級宝飾品の米老舗ティファニーの販売員が「ウオッチモンスター」と呼んだ人々がいる。熱狂的な腕時計コレクターで、自分こそが時計界「雲上御三家」の一角、パテック・フィリップの希少な時計を手にすべき選ばれし者だと信じて疑わない富裕層のことだ。

  彼らがティファニーに殺到したのは数年前。「ティファニーブルー」の文字盤をあしらった限定モデル「ノーチラス5711/1A-018」の取り扱いを始めたときだった。パテックとティファニーとのパートナーシップ締結170年を祝し、170本限定で製作されたもので、ティファニーは話題性の高い時計が新たな富裕層を引きつけ、彼らを囲い込めると期待していた。

  しかし、この「ティファニーブルーノーチラス」は本来の意味で「販売」されていたわけではない。あまりに需要が高まったため、ティファニー幹部は、顧客がこの5万2635ドル(現在のレートで約780万円)の希少な腕時計を手に入れるためなら、他のジュエリーに数百万ドルをつぎ込む覚悟があることに気づいた。販売戦略に詳しい関係者によると、販売員は有望な見込み客に対し200万-300万ドル分のジュエリー購入を勧めるよう指示された。が、公式なキャンセル待ちリストも、この限定モデルを確実に買えるという保証もなかった。

  「誰もがあの時計を欲しがった」と、スイスを拠点とする高級腕時計コンサルタント、オリバー・R・ミューラー氏は述べる。「富裕層というのは、手に入らないと言われるとそれを欲しがるものだ。それがビリオネアの心理だ」という。

Tiffany-Patek Illustration of Blue Dial Watch

パテック・フィリップの限定モデル「ノーチラス5711/1A-018」

Illustration: Nico Brausch

  ティファニーブルーノーチラスが登場した当時は新型コロナ禍で起きた高級腕時計ブームのさなかで、富裕層の間で欲求が過熱。この限定モデルは瞬く間に、ラグジュアリー界で最も話題となるアイテムの一つとなった。

  だが、ティファニーとパテックという象徴的な二つのブランドを称えるものとして始まったティファニーブルーノーチラスの販売は、やがてラグジュアリー業界における「教訓」へと姿を変える。排他的戦略は、取り扱いを誤れば、ブランドの輝きを損ねるというものだ。

  ティファニーブルーノーチラスの発売後、パテックはティファニー4店舗に展開していたサロンを3店舗で閉鎖した。これはパテックによる事業再編の一環だが、両社の関係に亀裂が入ったことで、ティファニーでは現在も売り上げへの影響が続いている。事情に詳しい関係者によると、パテックがサロンを閉鎖した店舗では、販売員が月間ノルマの達成に苦戦しているという。

  ティファニーが腕時計愛好家のコミュニティー内で多くの怒りを買った詳細な経緯については、これまで報じられていない。ブルームバーグは今回、事情に詳しい20人を超える関係者へのインタビューを実施した。関係者は個人的な事柄だとして匿名を条件に明かした。

  ティファニーの広報担当者はコメントを控えた。アンソニー・ルドリュ最高経営責任者(CEO)はコメント要請に応じていない。

  パテックは、ティファニーとの関係や時計販売についてコメントを控えた。

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Tiffany Patek Blue Dial Inline

ティファニーブルーの「ノーチラス5711/1A-018」

Source: Patek Philippe

  ジュエリー販売におけるティファニーのビジネス上の理論は極めて明快だった。仮にティファニーブルーノーチラスの3分の2が、それぞれ250万ドル相当のジュエリー購入を引き出すことに成功すれば、ティファニーの売り上げはおよそ3億ドルに達する可能性があった。販売員にとっても、最大10万ドルのコミッションを得る機会となり得た。

  同社の元スタッフによると、購買熱が高まり始めた際、幹部からは「見返り」とも取れる条件を文書で残さないよう指示された。顧客に対し、「ジュエリーを買えば限定モデルが確実に手に入る」と誤解させないためだった。時計の割り当てはティファニー幹部の裁量に委ねられており、そのプロセスは一貫性に欠けていたという。

  そのため、顧客対応の観点から見ると極めて問題があったと元スタッフらは口をそろえる。中でも、販売員が「ウオッチモンスター」と名付けた熱狂的な顧客の一部は、高額なジュエリーを購入しながらも時計を手にできず、不満を募らせた。長年ティファニーやパテックに忠誠を示してきた顧客の中にも、これまでの購入実績が無視されたと感じた者は少なくなかったという。また限定モデルを手に入れた一部の購入者でさえ、時計が転売市場に出回り、価格が下落していくのを目の当たりにして憤慨した。

  2023年11月、ある顧客が約400万ドルのジュエリー購入を巡ってティファニーを提訴した。訴訟資料によると、ティファニーが納品を約束していたカスタムメイドのイエローダイヤモンドネックレスを受け取っていないと主張した。同資料ではティファニーブルーノーチラスに関する記述はなかったが、事情に詳しい関係者によると、この顧客は時計を入手する目的もあり、このネックレスを購入したという。最終的にはネックレスを受け取り、ティファニーとは24年8月に和解した。この顧客および弁護士はコメント要請に応じていない。

  別の顧客はティファニーの販売員から、限定モデルを手に入れるには500万ドル分のジュエリー購入が必要と告げられ、その提案に強く反発。過去にティファニーで購入したパテックの時計を数本売り払い、ティファニーではもう買い物をしないと語った。

  ティファニーブルーノーチラスを購入したある起業家は、200万ドル余りのジュエリーを購入したと語る。この時計を着けて外出すると、他の所有者らから宝飾品をどれだけ買ったかを尋ねられるという。ティファニーの販売員からは、顧客によって異なるため、支払った金額を口外しないよう頼まれたとしている。 

  最終的に、顧客からの反発があまりに大きかったため、ティファニーは一部の購入者に対して、時計を手に入れる目的で買ったジュエリーの返品を特例として認めたと、元スタッフは明かしている。これは、通常7万5000ドルを超える商品は返品不可という同社のポリシーに反する異例の対応だった。

  パテック側は、ティファニー店舗でのサロン閉鎖について「グローバルな再編の一環」と説明しているが、ティファニーの元スタッフによると、ティファニーブルーノーチラスの販売方法に不満を抱いたことが閉鎖の一因だと幹部から説明されたという。

  パテックは直営店舗が少なく、長年にわたりティファニーを通じて腕時計を販売してきた。ティファニーは米国でパテックの腕時計を販売できる数少ない正規販売店の一つだ。ティファニーで販売された一部の腕時計には、両ブランドのロゴが文字盤に刻印されており、それが時計愛好家の間では高い評価を受けている。

  22年初頭、著名人がティファニーブルーノーチラスを着用した写真がネット上に出回り始めた。人気ラッパーのジェイ・Z、米プロバスケットボールNBAのスター、レブロン・ジェームズ、米俳優のマーク・ウォールバーグやレオナルド・ディカプリオがその顔ぶれだった。彼らが時計を早々に手に入れていたことは、ウオッチモンスターの一部にとって、なおさら受け入れがたい現実だったと元従業員は語っている。

Tiffany-Patek Celebrities Wearing the Blue Dial

ティファニーブルーノーチラスを着用した著名人ら

Illustration: 731; Photos: Getty Images (5)

  ある商品を購入するために他の商品購入を事実上の条件とする販売手法は、ラグジュアリー業界では「バンドリング」または「タイイング」と呼ばれている。時計メーカーは小売業者が設定できる価格を管理し、人気モデルの価格が実際の市場需要よりも大幅に低く設定されることもあるため、ティファニーのような企業にとっては、ジュエリー需要を喚起する手段としてバンドリングが機能する。

  こうした販売手法を巡っては、時計メーカーから品位に欠けるとの批判が出ている一方、時計メーカー自身も顧客に対し、本命の1本を手に入れるためには、あまり人気のないモデルを複数購入するよう促すことがある。中古時計を売買するウィンド・ビンテージのオーナー、エリック・ウィンド氏が説明した。

  宝飾品店側も時計メーカーの割り当てに問題があると主張する。年に数本しか割り当てられない高級時計を、数百人に及ぶ顧客にどう販売するかは極めて困難な課題であり、購入実績を基準とせざるを得ないとする声もある。

  このような商慣習は、業界全体で顧客の不満を招く温床ともなっている。

  22年11月までに、一部のティファニーブルーノーチラス所有者が転売を始めた。ある1本は、クリスティーズのオークションで約320万ドルの値をつけた。23年5月には同じくクリスティーズで約250万ドル、24年5月にはオンラインオークション「Loupe This」で120万ドルで落札された。

  ウオッチチャーツのデータによると、最近の転売価格は120万ドル前後で推移している。

  ティファニーは当初、ティファニーブルーノーチラスの購入者を厳密に選別し、即座に転売されることがないよう慎重に対応するはずだったと、元スタッフは語る。パテックは自社の時計を、投資目的で販売されるものではなく、大切に所有されるべきものと位置づけている。ティファニーおよびパテックの一部の顧客は、転売された時計の価値下落を目の当たりにし、我慢の限界に達した。その中にはパテックに直接苦情を申し立てた人もいたという。

  顧客の間でバンドリングを巡る不満が高まっていたにもかかわらず、ティファニーは現在も一部の顧客に対し、パテックの希少モデルを手に入れるチャンスを高める目的でダイヤモンドやゴールド製品の購入を勧めている。

  だが、顧客側はこうした「ラグジュアリーゲーム」に辟易している。

  ボストン郊外に住む麻酔科医、チャーリー・ホー氏は24年12月、ニューヨークのティファニー本店を訪れ、ティファニーブルーではないものの非常に人気の高いパテックの腕時計の購入について相談した。だが、販売員はジュエリーを買えば入手が早まると示唆したという。

  ホー氏は、希望する腕時計が手に入るまでどれだけ時間がかかっても待つつもりだとしたほか、中古市場での購入も選択肢に入れているという。同時に、時計を得るためにジュエリーにお金を支払うつもりはないとし、「もう、あの手のゲームには付き合いたくない」と述べた。

原題:Tiffany Angers Rich Clients Who Wanted to Buy a Rare Patek Watch (1)(抜粋)

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