僕はゲームがない時代に育ちました。その影響は「シネマティックは映像表現」と評されることが多い自分の作品にも表れています。ゲームに対する先入観がない分、自ずと小説や映画で得た知識や技法をゲーム開発に生かすようになったのです。それもあり、ほかのメディアのクリエイターとも頻繁に意見交換をします。次回作のアイデアや好きな映画の話はもちろん、共通の悩みについて話すことも多いです。というのも、ディレクターは孤独。「この指とまれ」と言ってプロジェクトを始めたら、最後まで指を下ろせません。とまってくれた人たちへの責任があるからです。そこで生まれる苦悩や軋轢は、同じ孤独感にさいなまれている人にしか理解できません。
友人であるニコラス・ウィンディング・レフン監督とのコラボレーション展「SATELLITES」(プラダ青山店にて8月25日まで開催中)でも、テクノロジーや死といったテーマに加え、ものづくりの過程で変わる自身の生き方や哲学について語っています。双方弱みをさらけ出した、お腹丸出しの状態です。70年代のホログラムのような映像で映される僕らの会話の断片を聞いて、お客さんが何かを持ち帰り、自分のなかで再構成してくれればというコンセプトで作りました。僕とレフン監督、ふたりの引力で回っているところにお客さんが来て一緒に回ってもらう──それゆえ「SATELLITES」(衛星)という名前がついています。そんなレフン 監督が手がける映画と僕が手がけるゲームは、異なるメディアです。しかしいま、両者は急速に接 近しています。俳優を長期間ブッキングしづらかったり、そもそも出てもらうことが難しかったりといった大きな壁はありますが、ゲームだからといって俳優が出てはいけない決まりはありません。
WACOCA: People, Life, Style.