【歴史偉人ランキング】戦国時代で強さ最強の剣豪・侍の歴代TOP5!史上最強の剣士は誰?
#歴史 #日本史 #ランキング

31 Comments

  1. 一騎打ちが戦場の華だった時代では剣豪は重宝されたであろう。
    戦場が組織による集団戦に移行してからは有能な指揮官が重宝される。
    柳生は例外として、ほとんどの剣豪が大名格になりえなかったのは、雇う側から見れば『使いどころが無くなった』という事かな。

  2. よくこういうランキングは柳生宗厳が入るけど、
    壮年期の宗厳と3度立ち会って、3度打ちのめしたといわれる疋田景兼は
    入らないね。

  3. 塚原と上泉は別格にしても、試合歴から言って石舟斎と武蔵のTOP5はないな。

  4. まあ、皆集めて
    天下一剣術会でもやらないと
    本当のトコはわからん。
    案外、竹刀なら最近の剣士の
    方が勝つんじゃないかな・・・

  5. 武蔵は無いな・・・
    巌流島の遅刻説は一次資料に記載はなく初出が1700年代に入ってからなので創作の可能性が高いかと。
    決闘当時小次郎が50代~70代だったのは複数資料からの推定でかなり可能性が高い。

  6. 他の方も言っている通り、本当の所はわからないと思う。
    これらの話がどこまで信憑性のある話なのか…

  7. 柳生家は後に大目付になった事から判る様に本当の才能は諜報何だけどね。

    武蔵は関ヶ原の時は宇喜多家所属では、剣聖は上泉信綱も呼ばれていたが。

    柳生家は一度領地を追われれたのは言え小大名だし、上泉信綱もそれは同じなんだけどね。

  8. 伊藤一刀斎の弟子で小野典膳と神子上次郎左衛門が後継者争いをしていたが、素行の悪い典膳に酒を飲ませ、一刀斎と次郎次郎左衛門で闇討された典膳がダントツに強いと思われるが、いかがでしょうか。そのあと小野派一刀流の名前にしことからも伺えられる。

  9. 強ぇのは上泉信綱じゃないかな。武蔵は「何がなんでも生き延びる」方向にポテンシャル全振りしてたみたいだし

  10. 卜伝はまだしも武蔵が上泉より上とか正気か?
    もしかして動画主の情報元はバキとかか?

  11. 諸説あるから強弱を断言するのはどうなのかと思います。疑うばかりではなくて歴史へのロマンを楽しむのもいいものですよ。

  12. 武蔵は原城戦で投石を喰らい大怪我をしていますね。
    大戦においては武蔵の剣法も役には立たなかったようです。
    山本勘助については斥候と言われ、その任務で命を落としたと言われています。塚原卜全に会ったかどうかは不明ですね。
    義輝は上泉にも師事したと言われていますね。その壮絶な最期からも歴代将軍では最強だったとか。最期は棒切れで叩きまくったらしいので、三好勢に相当な恐怖を与えたのでしょうか。

  13. 申し訳ないんですが。戦国時代もういい🍴😞✋いらないと思っております。今の日本にはもういらない思想とか感覚と思っております。こんな事やっていたら日本は先進国とは言えない国に落ちて行くと思いますが。所詮弱者を正当化して食い物にした時代と思っておりますので。キレイ事ばかりはもういらないんですが。

  14. 宮本武蔵は剣聖ではない。塚原卜伝と上泉秀綱の二人が、日本史上別格の剣聖です。

  15. もっと、余り知られてない、剣士、を取り上げて、幕末の剣士、仏生寺弥助、七戸和磨、大石鍬次郎、伊庭八郎など

  16. いかにも講談で盛り付けた逸話より、
    確実性の高い記録だけで十分な上泉信綱の実績に本物の凄みを感じる

  17. 無想剣は使った事がある。構えていたら、いつのまにか打突しており、その後に突いたことに気がついた。
    一試合で二度あった。

    また、フラフラに成る程疲れ切った時に、相手が打突する初動を捉えて無心に打突することが何度もあった。
    普通に稽古して身についた訳では無いから、しかし、再現性があるかは分からない。

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