辛島航, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1644632 / CC BY SA 3.0

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辛島 航(からしま わたる、1990年10月18日 – )は、福岡県福岡市博多区出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
福岡市立吉塚小学校の1年時に、「冷泉少年ファイターズ」で軟式野球を始める。
3年時からソフトボールチームの「吉塚クリッパーズ」に移ると、外野手兼一塁手として5年時に九州大会へ出場。
福岡市立吉塚中学校への入学後にボーイズリーグの「ドリームフューチャーズ」へ参加すると、2年時に外野手から投手へ転向した。
飯塚高等学校への進学後は、1年時夏の選手権福岡大会からベンチ入り。
エースの座をつかんだ2年時の秋と、3年時の春にはチームの九州大会出場に貢献した。
第90回全国高等学校野球選手権記念大会への出場校を決める3年夏の福岡大会では、二保旭、河野元貴、榎本葵などを擁する九州国際大学付属高等学校を準々決勝で破るなどの快進撃で、チームを学校創立46年目で初めて甲子園球場での全国大会出場に導いた。
記念大会では浦添商業高校との初戦に先発したが、試合中に爪が割れたこともあって、8回を11被安打7失点という内容で敗戦投手になった。
2008年のNPBドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから6巡目で指名。
契約金3,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は58。
2009年、8月13日の対福岡ソフトバンクホークス戦(クリネックススタジアム宮城)で、救援投手として一軍公式戦へのデビューを果たした。
高校から直接楽天へ入団した新人投手による一軍公式戦への登板は、2007年に右投手の田中将大が記録して以来2人目で、左投手では初めてであった。
イースタン・リーグ公式戦には11試合に登板し、1勝どまりながら防御率2.82をマーク。
2010年、公式戦の開幕から一軍に入ると、4月25日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)でプロ初ホールドをマーク。
一軍公式戦全体でも、12試合の登板で5ホールドを挙げた。
2011年、故障の影響で入団後初めて一軍公式戦に登板しなかったものの、イースタン・リーグ公式戦では、13試合の登板で4勝2敗、防御率3.10を記録した。
2012年、5月1日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)で一軍公式戦初先発を果たすと、6回2/3を2被安打1失点で初勝利を挙げた。
5月23日の中日ドラゴンズ戦(クリネックススタジアム宮城)で2勝目を挙げたが、登板中に左手の中指を痛めた影響で、およそ2ヶ月間の戦線を離脱した。
7月15日に一軍へ復帰してからは、先発ローテーションの一角に定着し、美馬学と並ぶチーム2位の8勝を挙げた。
2013年7月31日、こまちスタジアムにて 2013年、シーズン前に左肘を痛めた影響で、一軍公式戦でのシーズン初登板は7月31日の西武戦(こまちスタジアム)にまでずれ込んだが、後半戦だけで3勝をマーク。
球団史上初のパシフィック・リーグ優勝の一翼を担った。
ポストシーズンでも、千葉ロッテマリーンズとのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ第4戦と、読売ジャイアンツとの日本シリーズ第5戦に先発。
日本シリーズ第5戦では勝敗が付かなかったものの、5回を1被安打無失点と先発の役割を果たした。
シリーズ終了後の12月25日に結婚を発表。
2014年、7月5日に第一子(長男)が誕生。
入団後初めてシーズンを通じて一軍の先発ローテーションに定着し、9月7日の対千葉ロッテマリーンズ21回戦(QVCマリンフィールド)で一軍公式戦初の完封勝利を挙げた。
打線の援護に恵まれず、リーグ最多タイの13敗を喫したが、リーグの規定投球回へ初めて到達し、リーグ10位の防御率3.79を記録した。
2015年、オープン戦期間中の3月上旬に背中を痛めた影響で、公式戦を二軍でスタート。
さらに、右手親指付近の石灰化に見舞われ、4月中旬に患部の除去手術を受けた。
5月22日の対西武戦(西武ドーム)に先発投手として一軍公式戦のシーズン初登板を果たすと、8回を1被安打1失点に抑えシーズン初勝利をあげるもシーズンを通しては夏場に調子を落とし5勝7敗と負け越した。
シーズン終了後の契約交渉では、球団から初めて減俸を提示され前年から900万円減の推定年俸3,300万円という条件で契約を更改した。
2016年、一軍公式戦の開幕当初に先発で1勝を挙げたものの、左肩に炎…

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