陽川尚将, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2013751 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#金光大阪高等学校出身の人物
#東京農業大学硬式野球部の選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#大阪市出身の人物
#1991年生
#存命人物
陽川 尚将(ようかわ なおまさ、1991年7月17日 – )は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。
右投右打。
阪神タイガース所属。
愛称は「ゴリラ」。
小学2年時に「関目東ライオンズ」で三塁手として野球を始める。
大阪市立菫中学校時代には、硬式チームの「大阪都島ボーイズ」で投手兼三塁手を務めた。
1学年上に浅村栄斗がいる。
金光大阪高校への進学後は、1年夏に背番号15でベンチ入り。
2年春から遊撃のレギュラーを確保すると、3年生の春に第81回選抜高等学校野球大会へ出場した。
東京農業大学時代 (2013年10月21日、明治神宮第二球場にて) 高校通算で36本塁打を放つほどの長打力が評価されて、2009年のNPB育成ドラフト会議では、読売ジャイアンツから3巡目で指名されたが、陽川は入団を固辞したうえで東京農業大学に進学した。
大学では、1年生の春から東都大学野球2部のリーグ戦に出場。
主に三塁を守るとともに、リーグ戦通算で109安打、23本塁打、51打点を記録した。
2013年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから3巡目で指名。
球団を問わず、4巡目以下の順位で指名された場合には社会人野球へ進むことを事前に表明していたが、契約金5500万円、年俸840万円(金額は推定)という条件で阪神に入団した。
背番号は55。
2014年春季キャンプ前の1月に内科的疾患で入院、同年シーズンは二軍での生活に終始した。
ウエスタン・リーグの公式戦には、98試合に出場。
打率.241、6本塁打、38打点を記録する一方で、三塁の守備で12失策を喫した。
シーズン終了後の秋季キャンプでは、当時の監督和田豊からMVPに選定された。
2015年には、正三塁手候補の1人として沖縄での春季一軍キャンプに参加したが、一塁手としてスタメンに起用された三星ライオンズ(KBO)との練習試合(2月13日)1回表の守備中に、ダイビングキャッチによるゴロの捕球で左肩を亜脱臼。
患部のリハビリに、およそ3か月を要した。
6月中旬から実戦に復帰すると、フレッシュオールスターゲームでは、ウエスタン・リーグ選抜のメンバーに初めて選出(試合自体は荒天の影響で中止)。
同リーグの公式戦では、54試合の出場で、打率.213、3本塁打、16打点を記録した。
シーズン終了後には、NPB選抜チームの一員として台湾でのウィンターリーグに参加、チーム事情で二塁手や遊撃手として起用されながら、17試合の出場で、打率.345、20安打(二塁打6本・三塁打2本・本塁打2本)、13打点という好成績を残した。
同年10月に就任した金本知憲より「今後が期待できる若手選手」の1人に挙げられた。
2016年には、前年に続いて、沖縄での春季一軍キャンプに参加し、従来の一塁・三塁に加えて、外野の守備にも挑戦した。
その後いったん一軍を離れ、迎えた3月15日開幕のウエスタン・リーグ公式戦では、開幕戦から2試合連続本塁打を記録。
18試合終了時点で、4番打者として全試合にスタメンで出場すると、5本塁打、18打点(いずれもリーグ1位)、打率.347という好成績で3・4月度のリーグ月間MVPを受賞した。
4月15日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)5回裏の三塁守備で公式戦に初めて登場すると、7回表の初打席で初安打を記録。
一軍公式戦でのスタメンデビュー戦となった翌16日の対同カードは、左翼手として出場した。
同月29日の対横浜DeNAベイスターズ戦(阪神甲子園球場)では、初本塁打(逆転の2点本塁打)をバックスクリーン左へ放つと、チームの勝利によって同期入団の岩貞祐太と共に自身初のヒーローインタビューを経験した。
公式戦全体では、三塁手や左翼手としてスタメンに随時起用されながら、29試合に出場。
2本塁打、4打点、打率.167を記録した。
ウエスタン・リーグでは、球団史上初の打撃三冠王誕生を射程圏内に収めるほど、4番打者としてシーズン終盤まで好調を維持。
9月中旬に一軍へ復帰した関係で、打率(.301)は首位打者(塚田正義)と3分6厘6毛差の3位にとどまったものの、62打点で打点王を、14本塁打で本塁打王のタイトルをバーバロ・カニザレスと分け合った。
2017年には、外野手への転向を視野に入れながら、二軍監督の掛布雅之の方針で春季キャンプを3年ぶりに二軍(安芸)で過ごした。
7月8日…

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