中谷将大, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2222841 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#福岡工業大学附属城東高等学校出身の野球選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手
#福岡県出身の人物
#1993年生
#存命人物
中谷 将大(なかたに まさひろ、1993年1月5日 – )は、福岡県小郡市出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)。
右投右打。
福岡ソフトバンクホークス所属。
小学校3年生より「みくに野ハニーズ」に所属し、捕手として野球を始める。
三国中学校在学中は「二日市ライオンズ」に所属。
全国大会にも出場した。
福岡工大城東高校への進学後は、1年生の秋から、外野手として打撃面でチームに貢献。
2年生の秋から捕手に復帰したが、春夏を通じて阪神甲子園球場の全国大会とは無縁であった。
ちなみに、福岡大学を経て2014年に捕手として阪神タイガースへ入団した梅野隆太郎は1年先輩で、中谷が2年生の時に主将を務めた。
2010年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから3巡目指名を受け、契約金5,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で、捕手として入団。
背番号は60。
2011年、ウエスタン・リーグ公式戦23試合に出場。
打率.261(46打数12安打)、打点4という内容で、高卒の新人野手としては上々の成績を残した。
守備面では、捕手としての出場機会がなく、13試合で外野の守備に就いた。
このため、シーズン終了後には、捕手登録のまま外野手へ本格的に転向した。
2012年、入団後初めて、春季キャンプのスタートを一軍で迎えた。
その後二軍へ合流したが、7月18日のフレッシュオールスターゲーム(HARD OFF ECOスタジアム新潟)には、ウエスタン・リーグ選抜の指名打者として出場。
イースタン・リーグ選抜の田原誠次から適時打、十亀剣から2点適時三塁打を打つなど、2安打3打点の活躍でMVPに選ばれた。
8月23日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、同日の対中日ドラゴンズ戦(倉敷マスカットスタジアム)に7番・右翼手としてスタメンで一軍デビュー。
一軍公式戦では、この試合を含めて6試合に出場したものの、無安打に終わった。
なお、ウエスタン・リーグ公式戦には90試合に出場。
打率.225、3本塁打、27打点という成績を残した。
2013年、このシーズンから正式に外野手として登録。
ウエスタン・リーグ公式戦では、100試合の出場で、打率.201、2本塁打、31打点を記録した。
しかし2年ぶりに一軍公式戦への出場機会がなかった。
2014年、前年に続いて一軍昇格を果たせなかったが、ウエスタン・リーグ公式戦では、93試合の出場で7本塁打を記録。
その一方で、打率は.190で、2年続けて最終規定打席到達者の最下位にとどまった。
2015年、開幕を二軍で迎えたものの、ウエスタン・リーグ公式戦では開幕から高い打率を維持していた。
5月上旬の時点で首位打者に立っていたことを受けて、5月8日に自身3年ぶりの出場選手登録。
同日の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)に7番・中堅手としてスタメンで、3年ぶりの一軍公式戦出場を果たした。
5月9日の同カード9回裏に代打で一軍初安打を打ったが、チーム事情で5月17日に登録を抹消。
しかし、ウエスタン・リーグ1位タイの月間9打点を挙げた7月には、ファーム月間MVPに選ばれた。
なお、シーズン終盤には、2度にわたって一軍へ昇格。
同リーグの公式戦では、規定打席に満たなかったものの、94試合の出場で打率.290、9本塁打、40打点という好成績を残した。
このため、シーズン終了後にはファーム優秀選手賞を受賞している。
2016年、一軍の春季キャンプに参加しながら、打撃不振でオープン戦の序盤から二軍へ合流。
さらに、二軍監督・掛布雅之の方針で春先に打撃フォームを改造したことから、一軍への復帰は6月14日にまで持ち越されたが、6月15日の対オリックス・バファローズ戦からスタメンに起用されると、6月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦(いずれも甲子園)では武田翔太からの適時二塁打で一軍でのプロ初打点、6月25日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島では岡田明丈から一軍でのプロ初本塁打を記録。一軍でシーズン2度目の中堅守備に就いた6月26日の同カードでは、2度にわたるダイビングキャッチでチームのピンチを救った。しかし、同点の9回裏二死満塁から代打・松山竜平が左中間へ打った飛球を捕った瞬間に、左翼手の俊介と交錯。その衝撃で落球したことから、チームは…
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