石山泰稚, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2721757 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#秋田県立金足農業高等学校出身の人物
#東北福祉大学硬式野球部の選手
#ヤマハ硬式野球部及びその前身チームの選手
#東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#秋田県出身の人物
#1988年生
#存命人物
石山 泰稚(いしやま たいち、1988年9月1日 – )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
東京ヤクルトスワローズ所属。
旭北小4年生の時に野球を始めた。
金足農業高3年時の夏は秋田大会準々決勝で、後にプロでチームメイトとなる菊沢竜佑を擁する秋田高に0-2で敗退。
甲子園出場経験はなし。
東北福祉大学に進学すると、仙台六大学野球連盟に加盟する野球部に入部する。
1年秋から公式戦に登板する。
2年時と3年時に全日本大学野球選手権大会、3年時に明治神宮野球大会に出場している。
プロ志望届を提出したが指名漏れとなった。
同期に阿部俊人がいる。
大学卒業後は、社会人野球のヤマハに入団。
1年目から公式戦に出場。
第82回都市対抗野球大会では、2回戦で十亀剣、縞田拓弥、川端崇義らを擁するJR東日本と対戦。
1点ビハインドの7回途中から登板するも、2点を失い2-5で敗退した。
2年目の第83回都市対抗野球大会では、1回戦の九州三菱自動車戦で先発するが5回1/3を2失点に終わり、チームも1-2で敗退した。
2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で、藤浪晋太郎の抽選を外した東京ヤクルトスワローズから1巡目指名を受け、契約金1億円+出来高払い3,000万円、年俸1,500万円で入団に合意した。
2013年はオープン戦で先発として調整し、結果を残せず開幕一軍とはならなかったが、中継ぎとして昇格して以降セットアッパーとして定着する。
この年抑え投手を固定できなかったチーム事情もあり、シーズン終盤から抑えに定着する。
この年は60試合に登板して3勝3敗21ホールド10セーブと大車輪の活躍を見せた。
オフに、2,000万円増となる3,500万円で契約を更改した。
2014年は開幕一軍入りし主にリリーフの二番手として起用されたが、不安定な投球が続き6月終盤に二軍落ち。
7月に復帰してからはチーム事情もあり先発に転向。
2014年7月2日、対阪神タイガース11回戦(阪神甲子園球場)にてプロ初先発。
5回1失点(自責点0)ながら敗戦投手となった。
8月は2勝負け無しだったものの、7月と9月は好投しても勝ちが付かない試合と大量失点を喫する試合など好不調が激しく共に0勝3敗に終わる。
先発の駒不足もありシーズン中盤から先発ローテーションに入っていた。
オフに、300万円増となる推定年俸3,800万円で契約を更改した 2015年は2年連続で開幕一軍、初の開幕ローテーションを掴み、4月は月間防御率トップに躍り出るなど好調だったが、援護がつかず白星には結びつかなかった。
5月には一度登録を抹消され、再昇格後はチームの9連敗を止めたが、不調が続き再び二軍に降格。
7月に3度目の昇格を果たすとペナント終了までローテーションを守り続け、規定投球回には達しなかったがチーム3位となる111回3分の1イニングを投げた。
クライマックスシリーズでは登板機会がなかったが、日本シリーズでは3試合に登板。
打ち込まれる投手が多かった中で中継ぎ・ロングリリーフで好投を見せた。
オフに、300万円増となる推定年俸4,100万円で契約を更改した。
2016年は右肘の故障で13試合の登板に留まった。
オフに、推定年俸3,100万円で契約を更改した。
2017年は秋吉亮などが離脱する苦しいチーム状況の中で中継ぎとしてチームトップの66試合に登板し、3勝6敗24ホールド、防御率3.03という成績を残した。
オフに、1,700万円増となる推定年俸4,800万円で契約を更改した。
2018年は投手キャプテンに就任した。
セットアッパーとしてシーズン開幕を迎え、好調を維持。
新外国人のマット・カラシティーの不調があり、5月からルーキーイヤー以来の抑えに配置転換された。
交流戦では10試合に登板して無失点で、球団初の交流戦最高勝率に貢献し日本生命賞を受賞した。
9月23日の中日ドラゴンズ戦では自身初、また球団の日本人選手としては4人目となる30セーブを達成した。
終盤まで山﨑康晃とセーブ王争いを繰り広げ、タイトル獲得とはならなかったが、リーグ2位の71登板、リーグ2位の35セーブ、防御率2.08といずれもキャリアハイの成績を残した。
セッ…
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