木浪聖也, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3858739 / CC BY SA 3.0
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#青森山田高等学校出身の野球選手
#亜細亜大学硬式野球部の選手
#Honda硬式野球部及びその前身チームの選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#青森県出身の人物
#1994年生
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木浪 聖也(きなみ せいや、1994年6月15日 – )は、青森県青森市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投左打。
阪神タイガース所属。
青森市立篠田小学校1年時に、軟式野球チームの「安田ヤンヤン少年野球チーム」へ入団し野球を始めると、3年時まで主に二塁手、4年時以降は投手を務めた。
青森山田中学校時代は同校の硬式野球部に所属。
青森山田高等学校では1年からベンチ入りし、主に二塁手と三塁手を務めた。
甲子園出場はなし。
1学年上に山崎晃大朗、同学年に京田陽太、1学年下に西村凌がいる。
亜細亜大学に進学すると、1年春からリーグ戦に出場し、3年春からは主力としてプレー。
3年秋と4年春にはリーグ連覇を、1年時と3年時には明治神宮野球大会での優勝を経験した。
リーグ通算40試合出場で、110打数26安打、打率.236、0本塁打、7打点、7盗塁。
同学年に宗接唯人がいる。
Hondaでは、1年目から三塁手兼二塁手でレギュラーを確保。
同年の都市対抗野球大会では1回戦で決勝3ランを含む4打点を記録した。
2年目からは遊撃手に定着し、都市対抗までは「1番・遊撃手」として、都市対抗後は「3番・遊撃手」として活躍。
2018年のドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受けた。
チームメイトである齋藤友貴哉も阪神から4位指名を受けている。
契約金6,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約。
背番号はHonda時代と同じ0。
ドラフト指名後に出場した日本選手権では、初戦のJR東海戦に「3番・遊撃手」として先発出場するも5打数無安打に終わり、チームも延長12回タイブレークの末に敗れた。
2019年、新人では近本光司、齋藤とともに沖縄県宜野座村での一軍春季キャンプに参加。
北條史也、鳥谷敬らと正遊撃手を争う中で、キャンプ期間中の実戦全試合で安打を記録すると、オープン戦では12球団最多の22安打を記録してオープン戦新人最多安打記録を更新するなど存在感を示し、オープン戦終了時点で矢野燿大監督が開幕戦でのスタメン起用を明言するまでに至った。
実際に、開幕戦となった3月29日の対東京ヤクルトスワローズ戦(京セラドーム大阪)で「1番・遊撃手」として近本とともに先発出場を果たした(後述)。
しかし、無安打に終わる試合が続き先発落ちも経験。
4月12日の対中日ドラゴンズ戦(阪神甲子園球場)で代打出場しプロ入り後初安打を記録したが、初打席から実に18打席目での初安打だった。
同じく代打出場した同19日の対読売ジャイアンツ戦(甲子園)では菅野智之から3点本塁打を打ちプロ初本塁打を記録。
その後再び出場機会を増やし6月下旬には7試合連続安打も記録したが、夏場に入り徐々に攻守ともに精彩を欠くようになったことに加え、チームの得点力不足を打開する狙いから7月7日に球団が内外野を守れるスイッチヒッターのヤンハービス・ソラーテを獲得したことなどもあり、7月26日にはソラーテなどと入れ替わる形でプロ入り後初めて出場選手登録を抹消された。
8月8日に再昇格し同16日に先発に復帰すると、8月の月間打率が.431を記録するなど好調だったことから4月以来の1番打者に抜擢され、8月18日の対巨人戦(東京ドーム)から9月5日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)までの13試合連続で安打を記録し、シーズン序盤に近本が記録していた球団新人記録に並んだ。
113試合の出場で打率.262、4本塁打、32打点を記録した。
2020年は9月25日に新型コロナウイルスの濃厚接触者とされ、1か月一軍登録を抹消される。
92試合の出場で打率.249、3本塁打、25打点だった。
強肩や安定した送球、高い身体能力を生かした守備範囲の広さを持ち味とする堅守の遊撃手で、内野全ポジションをこなすユーティリティー性も持ち合わせる。
打撃では、打球を広角に打ち分ける技術とパンチ力を武器とする。
2020年シーズンでは安打の内訳として左翼22本、右翼24本と左打者としては割合的に逆方向へのヒットが多いが当シーズンの監督である矢野は「もう少し引っ張ったほうがよい打球が出そう」という理由からプルヒッティングも取り入れた打撃を命じながら指導している。
野球との出会いは3歳の頃から始めた、草野球の選手である父とのキャッ…
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