笠原祥太郎, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3526109 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#新潟県立新津高等学校出身の人物
#新潟医療福祉大学硬式野球部の選手
#中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
#新潟市出身の人物
#1995年生
#存命人物
笠原 祥太郎(かさはら しょうたろう、1995年3月17日 – )は、新潟県新津市(現:新潟市秋葉区)出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
中日ドラゴンズ所属。
名前の「祥」は正確には示へんを崩さずに「祥」と書く。
小学校2年生の時に、姉からキャッチボールに誘われたことをきっかけに、野球に興味を持ち、地元の少年スポーツクラブに加入し、中学(新潟市立新津第二中学校)では軟式野球部に所属した。
ラグビー選手の稲垣啓太は同じ中学の先輩にあたる。
県立新津高校に進学すると、2年生の春からエース番号を与えられ、夏の大会は2年時に県予選1回戦の帝京長岡戦で敗退。
3年時も県予選で2回戦の新潟明訓戦で敗退。
理学療法士を目指して地元の新潟医療福祉大学を志望したが、3年時に負けた新潟明訓野球部監督の佐藤和也が新潟医療福祉大学に新設される野球部の監督に就任するという噂を聞き、佐藤を慕い、志望学科も健康スポーツ学科に変更し、一般受験で進学して大学でも野球を続ける。
当初はプロ野球は念頭になかったが、球速は2年冬ころから一気に増し、3年時の秋には、チームは関甲新学生リーグの1部に昇格した。
同年の秋リーグでリーグ新記録の73奪三振(投球回:55回1/3)を記録する。
4年時の春のリーグでは、同大は2位で、笠原個人は6勝(0敗)・防御率0.72・奪三振64とすべてでリーグ最高を記録、球速は147km/h、「No.1左腕」と評された。
プロ入り意識して体重も入学時の74kgから85kgに増量、4年時には大学日本代表選考会のメンバー50人にも選出されるが、選考で落選した。
2016年10月のドラフト会議で中日から4位指名され、同年11月21日に契約金4000万円、年俸800万円で合意し、入団した。
新潟県の大学から、社会人野球などを経ずにNPB入りしたのは笠原が初めてであった。
2017年6月30日、公式戦で中継ぎとして初登板。
以後8月末までに16回2/3を投げ、防御率4.86ながら17奪三振(奪三振率9.18)。
9月からは先発に回って9月1日に4回2失点、9月8日に5回1失点、3回目の登板となった9月18日は8回を投げて被安打2、無失点に抑えて初勝利。
10月3日、自身最終戦となった試合では被安打3、初完投したが、味方の援護がなく負け投手となった。
同年、先発に転向後は計5試合で32回1勝2敗、防御率2.25だった。
2018年は開幕ローテーション入りし、4月25日の読売ジャイアンツ(巨人)戦で1アウトも取れずに6失点、5月13日の巨人戦で1回2/3を5失点で降板して、翌日2軍降格した。
6月15日、昇格後の埼玉西武ライオンズ戦で7回2安打無失点と復調し、9月7日の広島東洋カープ戦では初完封を飾った。
6月以降に限れば、13試合で83回1/3を投げ6勝2敗(内完封1)、防御率2.70だった。
2019年は初の開幕投手になった。
しかし4月27日の対阪神の試合で不整脈の症状が出たため先発登板を回避した。
精密検査を受ける為、4月28日に登録抹消された。
5月11日に発作性上室性頻拍であったことが発表された。
6月19日にウエスタンリーグ公式戦の広島戦で実戦復帰し2回3安打1失点という結果を残した。
7月20日対横浜DeNAベイスターズ戦で一軍復帰した。
不整脈の影響でシーズン通して僅か8試合の出場に留まった。
オーバースローから最速147km/hのストレートとカットボール、チェンジアップ、カーブを投げる。
2018年1月5日に高校1年時の同級生で保育士の一般女性と入籍した。
家庭では、新潟の言葉で通しており、チームメートの小笠原慎之介からも「優しいし、方言も使うので面白い人」、「笠原さんはその優しさがマウンドで出ない」と評されている。

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