釜元豪, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2536892 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手
#長崎県出身の人物
#1993年生
#存命人物
釜元 豪(かまもと ごう、1993年9月3日 – )は、長崎県北高来郡森山町(現:諫早市)出身のプロ野球選手(外野手)。
右投左打。
福岡ソフトバンクホークス所属。
諫早市立森山西小学校では2年生から森山西少年SBCでソフトボールを始め、4年生からレギュラーに座った。
諫早市立森山中学校に進学し、軟式野球に転向。
2年生の時には陸上競技の長崎県大会で短距離の障害種目にも出場した。
長崎日大高校からの誘いがあったが、『文武両道を貫く』と、長崎県立西陵高校に進学し、1年夏から3番・中堅手で活躍した。
主将となり臨んだ3年時の夏は、長崎県予選2回戦で春の第83回選抜高等学校野球大会に出場した波佐見高校と対戦。
プロ注目の松田遼馬を打ち崩し、5-1で勝利した。
しかし、準決勝で永江恭平擁する海星高校に1-9で敗れた。
2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから育成1位指名を受けた。
背番号は122。
2012年は、ウエスタン・リーグには4月27日の対阪神タイガース戦において、1番・左翼手として出場したものの、7試合で7打数ノーヒットだったため、三軍暮らしとなった。
5月29日の韓国遠征中のSKワイバーンズ二軍との試合で、右翼手での守備機会中に左手首を負傷し、帰国後の6月1日に福岡市内の病院で左手関節の橈骨遠位端骨折の手術を受けた。
9月1日の対徳島インディゴソックス戦で9番中堅手として実戦に復帰した。
三軍では41試合に出場し、打率.336でシーズンを終えた。
2013年は、二軍公式戦に63試合に出場し、規定未到達ながら打率.306の成績を残した。
10月6日のファーム日本選手権に9番中堅手として先発出場した。
シーズンオフの11月26日から台湾で開催された2013年アジアウインターベースボールリーグにNPB選抜として派遣され、22試合に出場した。
2014年は、二軍公式戦に57試合に出場し、規定未到達ながら打率.318の成績を残したが、一軍昇格は叶わなかった。
7月17日に故郷である長崎ビッグNスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに9番中堅手として先発出場し、1打席目に浦野博司から反撃となる適時二塁打を打つなど4打席で2安打1四球1打点と地元の声援を力に活躍した。
8月12日の二軍三軍紅白戦で帰塁の際に左手中指を骨折し、8月13日に手術した。
10月11日みやざきフェニックスリーグの対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で代打からセンターの守備につき実戦復帰した。
シーズンオフの10月27日からプエルトリコのウィンターリーグのヒガンテス・デ・カロリーナに派遣され、11月20日から12月17日までの7試合に出場した。
10月31日、3年間在籍したため育成選手の規約に則り自由契約公示されたが、プエルトリコから帰国後、12月25日に再び育成選手契約を結んだ。
2015年4月28日に、チームから唯一「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」のNPB選抜に選出された事が発表された。
シーズンに入りウエスタン・リーグで7月末までにチーム最多の70試合に出場し、打率2割7分3厘、1本塁打、10打点、14盗塁で盗塁数はリーグ1位に立ち、7月31日に支配下選手登録された。
背番号は60に決まった。
2016年9月14日にコボスタ宮城で行われた対楽天戦23回戦において、6回裏から右翼手・中堅手としてプロ5年目で一軍公式戦初出場を果たす。
7回表には初打席を迎える。
二軍公式戦において114試合に出場し、打率.268、3本塁打、45打点を記録する。
23盗塁はウエスタン・リーグトップの成績だった。
シーズンオフの11月28日に行われたNPB AWARDS 2016においてウエスタン・リーグの最多盗塁者賞を受賞する。
2017年の宮崎春季キャンプでは、塚田正義や上林誠知、真砂勇介らと共に、A組に抜擢され、激しい外野手のポジション争いを繰り広げるが、開幕一軍は果たせなかった。
7月9日に一軍昇格し、同日に行われた対北海道日本ハムファイターズ戦において、7回の守備から同年初出場の機会を得るが、7月16日、一軍出場選手登録を抹消される。
シーズン最終戦となる10月8日に一軍再昇格し、同日行われた対楽天戦に出場を果たす。
一軍公式戦の出場はその2試合にとどまったが、二軍公式戦において118試合に出場し、打率.257、2本塁打、27打点の成績を…

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