薮田和樹, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3102917 / CC BY SA 3.0

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#亜細亜大学硬式野球部の選手
#広島東洋カープ及び広島カープの選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#野球日本代表選手
#岡山理科大学附属高等学校出身の人物
#1992年生
#存命人物
薮田 和樹(やぶた かずき、1992年8月7日 – )は、広島県広島市東区出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
広島東洋カープ所属。
妻は、モデル、タレントのkaruna。
広島市立矢賀小学校・広島市立二葉中学校卒。
中学時代は広島安芸リトルシニアでプレイ。
岡山理科大学附属高校では、1学年上の九里亜蓮に続く有望な投手と目されていたが、3年時に右肘を疲労骨折し、目立った成績は残せなかった。
高校卒業後は亜細亜大学で野球を続けたものの、右肘の骨折が再発し、3年時に東都リーグ戦へ2試合登板、しかし4年時に右肩を痛め、リーグ戦に復帰できないまま大学野球生活を終えた。
1部リーグ通算2試合に登板、0勝0敗、防御率0.00。
2014年10月23日、ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け、11月25日、契約金7000万円、年俸1000万円で仮契約を結ぶ。
2015年は故障を抱えた状態でのスタートだったが、春季キャンプで1年振りに投球練習を行い、3月25日のウエスタン・リーグ対中日ドラゴンズ戦(由宇)で二軍初登板。
4月28日に、チームから唯一「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」のNPB選抜に選出されたが出場辞退。
7月1日に一軍に初昇格し、初先発初登板した同日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で、5回2失点で初勝利、直球は自己最速の153km/hを計測。
2016年は中継ぎを中心に16試合に登板し、8月31日の横浜DeNAベイスターズ戦では福井優也のアクシデントで緊急先発をし、6回2安打無失点など、終盤に3勝。
2017年は開幕一軍入りし当初はリリーフだったが、交流戦から先発に転向し、6月13日のオリックス・バファローズ戦(三次)では金子千尋と投げ合い8回を無失点に抑え、8月12日の巨人戦(マツダスタジアム)では菅野智之との投げ合いを1対0で制し、プロ入り初の完封勝利。
自己最多の15勝(内成績は23試合3勝1敗防御率3.00)、自身初タイトルとなる最高勝率も獲得。
10月12日に第1回アジア プロ野球チャンピオンシップの日本代表に選出される。
CSファイナルステージでは第1戦で先発し、5回コールドながらCS初登板完封勝利を挙げた。
第4戦にも先発したがレギュラーシーズンでも未経験の中4日の登板間隔が影響し、4回0/3を4失点でKOされ敗戦投手となった。
2018年は開幕4戦目に先発し勝利したものの5回を投げ四死球7とコントロールに苦しみ、次の登板でも5回を投げ四死球8の内容で先発ローテーションから外された。
リリーフでは一定の成果を挙げたことにより4月30日の対阪神5回戦で先発復帰したが、4回を投げ7四死球の内容で二軍落ち。
その後一軍に復帰しても不振の投球で即二軍落ちを二度経験し、わずか9試合に登板し2勝1敗、防御率5.74に留まった。
26.2投球回に対し与四球32。
しかし二軍では16試合の登板で7勝0敗、防御率2.55だった。
2019年は不調で一軍ではわずか4試合の登板で0勝2敗防御率9.24の大乱調でプロ入り後初の未勝利に終わった。
二軍でも20試合6勝8敗1セーブ防御率3.98と苦しんだ。
2020年は初登板が開幕から10日後となったが、中継ぎで5試合無失点と好投。
7月16日の対巨人戦にてシーズン初先発したが、3回3失点でノックアウトされ敗戦投手となった。
その後は再びリリーフでの登板が主だったが、9月13日の対阪神戦で3ヶ月ぶりの先発、しかし結果は2回5失点でノックアウト即二軍落ちとなった。
10月22日の対阪神戦で1ヶ月ぶりに昇格すると先発として6回2失点8奪三振で二年ぶりの勝利を挙げ残りのシーズンも先発として登板したがこの1勝のみで終わった。
投球フォームはテイクバックが小さく、188cmの長身から直球は最速156km/hを記録。
フォークボールのように変化の大きいツーシームやカットボール、カーブなどを投げる。
2017/11/25 セ・リーグ優勝パレード 大学時代は怪我のため登板機会が少なく、ほとんど無名だった。
薮田の母親は一時期タクシー運転手として働いており、広島の球団オーナー松田元を偶然にも客としてタクシーに乗せ、その際に息子が大学で野球をしていることを紹介したことをきっかけに、広島のスカウトがマークす…

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