ダニエル・バード, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1891446 / CC BY SA 3.0

#アメリカ合衆国の野球選手
#ノースカロライナ大学出身の野球選手
#ボストン・レッドソックスの選手
#アリゾナ・ダイヤモンドバックス関連人物
#コロラド・ロッキーズの選手
#ヒューストン出身の人物
#1985年生
#存命人物
ダニエル・ポール・バード(Daniel Paul Bard, 1985年6月25日 – )はアメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
MLBのコロラド・ロッキーズ所属。
1985年5月15日にテキサス州ヒューストンで生まれ、5歳で野球を始める。
少年時代は遊撃手を守っていた。
高校では、野球をするために転校して新しいチームでは投手として好記録を残し、打者としても3割を打ち5本塁打。
翌年には4割を打って10本塁打を打った。
2003年のMLBドラフト20巡目(全体604位)でニューヨーク・ヤンキースから指名を受けたが、学業に励みたいという自身の意思から、地元ノースカロライナ州のノースカロライナ大学チャペルヒル校に進学。
2004年のベースボール・アメリカでアメリカの最も優れた新人であると評された。
このシーズン16試合に登板し8勝4敗・防御率3.88を記録した。
新人の8勝はノースカロライナ大学チャペルヒル校の新記録であった。
2005年は7勝5敗、防御率4.22、2006年も9勝4敗・防御率3.64を記録し、チームメイトのアンドリュー・ミラーと共にドラフト候補に挙がった。
ボストン・レッドソックス時代 (2012年5月29日) 2006年のMLBドラフト1巡目(全体28位)でボストン・レッドソックスから指名され、プロ入り。
2007年は傘下のA級グリーンビル・ドライブとA+級ランカスター・ジェットホークスで先発投手として75イニングを投げ、防御率7.05・78四球の成績を残した。
この成績から中継ぎに移された。
シーズン終了後レベル的にAAA級のハワイ・ウィンターリーグで16試合に投げて防御率1.08と好投し、制球問題に関しても大幅に改善した。
2008年はA級グリーンビルとAA級ポートランド・シードッグスで中継ぎとして投げ、77イニングを投げ、防御率1.51・107奪三振の成績を残し、近年はジョン・レスターやクレイ・バックホルツが選出されていたマイナーリーグのピッチャー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
2009年はAAA級ポータケット・レッドソックスでシーズンをスタートし、16イニングで打者58人に対し29奪三振。
6安打され、うち2本が本塁打であった。
5月10日にハビアー・ロペスのマイナー降格に伴ってメジャー昇格し、13日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャーデビューを果たした。
5月20日のトロント・ブルージェイズ戦でフェンウェイ・パークで初登板したが、3安打を打たれ失点した。
6月12日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で延長13回に登板しメジャー初セーブを記録した。
8月26日のシカゴ・ホワイトソックス戦でデビッド・オルティーズのサヨナラ本塁打でメジャー初勝利を記録した。
2010年はジョナサン・パペルボンに繋ぐセットアップマンとして定着し、73試合の登板で防御率は1.93だった。
32ホールドはリーグ最多だった。
2011年は5月27日から7月31日にかけて、25登板連続無失点の球団新記録を樹立。
しかし、9月以降に0勝4敗・防御率10.64と不振に陥り、レッドソックスは歴史的失速によってプレーオフ進出を逃した。
2012年は自ら志願して先発に転向したが、深刻な制球難に陥り、6月5日には3シーズンぶりにマイナー降格の屈辱を味わった。
降格後はリリーフに戻ったが、乱れた制球は改善されず、AAA級ポータケットで防御率7点台と苦しんだ。
8月30日に再昇格したが、最後まで調子を取り戻すことはなかった。
2013年9月1日にDFAとなった。
2013年9月4日にウェイバー公示を経てシカゴ・カブスへ移籍したが、12月2日にFAとなった。
2014年1月31日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結び、2月3日に球団が発表した。
この年は傘下のA級ヒッコリー・クロウダッズで4試合に登板したが、防御率175.50と大炎上した。
2015年1月18日にカブスとマイナー契約を結ぶが、登板なしに終わった。
オフに自由契約となった。
2016年1月14日にピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶが、5月13日に自由契約となった。
その後、6月22日にセントルイス・カージナルスとマイナ…

WACOCA: People, Life, Style.