安部友裕, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1228216 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#福岡工業大学附属城東高等学校出身の野球選手
#広島東洋カープ及び広島カープの選手
#北九州市出身の人物
#1989年生
#存命人物
安部 友裕(あべ ともひろ、1989年6月24日 – )は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投左打。
広島東洋カープ所属。
小学校2年から野球を始め、中学では小倉バディーズに所属し、2年の時に俊足を活かす為、左打ちに転向した。
福岡工大城東高に進学すると、2年時にレギュラーを獲得するも夏の甲子園では怪我でベンチ入りに留まった。
3年の夏の県大会は足の故障で1回戦はベースコーチを務め、2回戦から不慣れな外野を守るもその2回戦でチームは敗れた。
全国的には無名ながら高校屈指の内野手として評価され、12球団すべてのチームから調査書が届いた。
2007年10月3日の高校生ドラフト会議で、唐川侑己の抽選に外れた広島東洋カープに1巡目指名を受けた。
11月11日に契約金7000万円、年俸600万円(推定)で仮契約。
背番号は60。
2008年(1年目)はファームで49試合に出場。
打撃は打率2割とやや苦戦したが、盗塁9個、犠打10個を記録した。
守備も二軍内野守備・走塁コーチだった岡義朗からの指導と練習で成長を見せ、フェニックス・リーグでは全試合スタメン、秋季キャンプでも主力選手中心の日南組に抜擢された。
2011年6月6日、代打として一軍初出場し、二軍では盗塁王。
2014年は一軍では3試合に出場、2度目となる二軍での盗塁王を獲得し「1度目の受賞は嬉しかったが、今回は悔しい気持ちが大きい。自分がまだ二軍にいるということなので」と述べた。
2015年は26試合に出場し打率.243、終盤では三塁手としても出場する。
2016年はシーズン当初は打率0割台と不振に喘いだものの徐々に調子を上げ、5月8日に猛打賞を記録し3割に乗せた。
主に相手チームの先発投手が右投手の場合に三塁手としてスタメン出場し、スタメンを外れた試合でも代打や守備固めからの出場機会を得た。
最終的に自己最多の115試合出場、6本塁打、33打点、企図数は7ながら盗塁成功率100%を記録し、飛躍のシーズンになると同時にチームのリーグ優勝に貢献した。
打席での安部(2017/6/15 MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて) 2017年は123試合に出場し、自身初の規定打席に到達。
打率.310、4本塁打、49打点、17盗塁を記録した。
11月22日に背番号が6に変更されることが発表された。
2018年は三塁手のレギュラーとして開幕を迎えたが、6月14日の時点で打率1割7分9厘と深刻な打撃不振に陥り出場選手登録を抹消された。
その後1軍に復帰したものの、8月5日の対横浜DeNAベイスターズ戦で守備捕球の際に右手中指を骨折、同7日に再び登録を抹消された。
福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは全試合に先発出場し、第3戦(10月30日・福岡ヤフオク!ドーム)で鈴木誠也とともに2本塁打を記録。
1試合で2選手が2発を放つのは日本シリーズ史上初の快挙であった。
走攻守三拍子揃った大型内野手。
高校通算39本塁打、遠投110m、50m5秒8。
高校時代の監督からは真面目で素直な性格と評されている。
同級生である東京ヤクルトスワローズ投手の木谷良平は小倉バディーズ時代のチームメイトであり、互いの出身中学も学区が隣同士であった。
広島で後々同僚となる野村祐輔は同じ生年月日。
岡山県倉敷市出身だが母方の実家のある北九州市で生まれており、2人は同じ病院で出生している。
安部が30分早く生まれていたという。
内野守備 外野守備

WACOCA: People, Life, Style.