【プロ入り前】
小学1年の時に地元の佐呂間町の少年野球チームで野球を始めた。高校は地元を離れ旭川実業高等学校に進学し、成瀬功亮と同級生になる。3年時に夏の甲子園に出場したものの、登板機会はなかった。高校卒業後、東京農業大学生物産業学部(北海道網走市)へ進学する。
大学進学後は1年春から北海道学生野球連盟の公式戦に出場した。同級生に風張蓮、1学年後輩に井口和朋、樋越優一、3学年後輩に周東佑京がいた。1年時の春季リーグ開幕戦の対北海道教育大学函館校戦でリーグ史上7人目、開幕戦では史上初のノーヒットノーラン(1四球、12奪三振)を達成した。北海道六大学リーグでは1年春に最優秀投手賞・ベストナイン、2年・3年・4年秋に最高殊勲選手、3年・4年春に優秀投手賞。全日本大学野球選手権大会に2度、明治神宮野球大会に1度出場、全国大会通算で6試合に登板(先発2試合・リリーフ4試合)し1勝を挙げ、防御率2.93という成績を残した。大学時代もプロから注目されていたが、プロ志望届は提出しなかった。
大学卒業後、君津共同火力に入社し、社会人野球の新日鐵住金かずさマジックに入団。1年目はリリーフとして活躍し、のちに再びチームメイトとなる加藤貴之と共に日本選手権大会出場に貢献した。加藤が抜けた2年目は主に先発を務め、第87回都市対抗野球大会に出場したものの制球力に苦しんで活躍できなかった。
2016年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから8位指名を受け、入団。背番号は54に決まった。
【プロ入り後】
2017年、開幕を二軍で迎えたが、イースタンリーグでは主に先発要員として11試合に登板した時点で1勝を挙げるとともに、防御率1.62と好調だった。5月27日に初めて出場選手登録され[2]、5月28日の対福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初登板を果たす。6月2日の阪神タイガース戦では、1イニングを無失点に抑えると、その後松本剛の適時二塁打でチームが逆転したため、プロ初勝利を挙げた。
2018年はロングリリーフ要員として当初開幕一軍入りして、安定した投球を続けて次第に接戦での登板も増えた。連投による疲れから防御率が悪化し、一時期2軍での調整を強いられたものの、前年の登板数を上回る40試合に登板した。
2019年は自己最多の65試合に登板、防御率2.61の成績を残す。
※Wikipediaより引用
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