26 Comments

  1. 春は大府の槙原、夏は名電の工藤、
    愛知は恐ろしい年でしたね。

  2. 北陽はいつも好投手に泣かされてるイメージでしたね。この試合では工藤さんとロングリリーフ高木さんとの投手戦が熱かったです。

  3. 当時小学校6年生で最初からテレビ📺️見てました。初回北陽の先発投手がすぐ2番手の高木に代えられたのを覚えてます

  4. 北陽の先発はいつも技巧派の吉岡投手でしたが実質エースはプロ入りした左腕の高木投手でしたね。この頃は工藤投手よりもスピードがあったと思いました

  5. 懐かしい動画ありがとうございます!
    工藤投手、当時はカーブの印象が強かったけど、今見るとストレートがいいですねー。
    高木投手はプロ入り後、頭角を現したタイミングでの故障が残念。順調なら1986年の日本シリーズで、2人の再戦があったかなあ。。。

  6. 小学校低学年だった私は、こんな頃に野球に興味を持ち始めました。
    その中でも、この試合はそのきっかけになった1試合です。

    断片的にしか記憶には残ってないですが、工藤のカーブの軌道は凄くよく覚えています。
    当時の私には、何であんなに落ちるのか判りませんでした。
    それから、サヨナラ本塁打の直前のちょっとした間についても、私は「あれ?」と思ったのを覚えています。高木投手がポンポンとテンポよく投げていたのに、何故かここだけちょっと間が出来ました。まあ、当時はまだ野球のルールもろくに判ってなかった頃なので、投手の投げるボールの軌道やテンポ良く投げ込む間合いとか、打者の打った打球とか、そんな事くらいしか注目出来なかったので余計にそう感じただけかもしれません。

    この試合で何か感化されたのか?翌日の第一試合、京都商ー宇都宮学園戦でしたが、私はTV中継をじぃ~と見ていたそうです。
    (これはあまり記憶に無いです。おそらく無意識のうちにそのようになっていたかと)
    その試合、私は兄から色々と野球のルールやプレー中に起きた事の説明を受けながら見ていたのは覚えています。

  7. この試合をTV観戦していた古葉監督が北陽の高木投手をスカウト部門に獲得を要望したらしいね。打者に向かって行く表情、気迫がいいね。故障もあって残念でした。
    工藤投手は三振の山を築いたけど球威は驚く程ではなかったしあんな大投手になるとは思わなかったです。

  8. 1回戦の長崎西戦でのノーノーを甲子園で見ました。あのカーブはプロで通用すると素人ながら思ったけど200勝するまでとは。

  9. この当時は、左投げの投手はこのカメラの角度だったんだね。
    工藤はカーブもすごいし球も速いな。

  10. 大会9日目の日程の組み方がひどい。第1,第2試合が二回戦で、第3,第4試合が三回戦。
    この試合に競り勝った名電は、日程的にかなり有利だったが、準決勝で三連戦の報徳にあえなく敗退。
    なお、翌年から三回戦は一日4試合ずつ2日間で消化するようになった。

  11. 工藤阿須加って親父に全然似てねーな、母親似なんだと
    思ってたら、これまんま工藤阿須加でワロタ

  12. この時の控え選手と一緒に働いてるけど「ホンマ、ええ思い出になったわ!」っていまだに言ってるからな

  13. こんないい投手を5位で取ったらいかんでしょw

  14. 速球の伸びも素晴らしい左の江川みたいだ

    相手の右腕も素晴らしい投手ですね

  15. この試合は球場にいたなあ。工藤には驚いた。高木は寄付金の額で補欠にされたと聞いたが。
    とにかく北陽の松岡はそれはそれは酷い暴力やった。名電も似たようなもんやろうがね。

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